国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

特別展の日本資料展示をめぐる舞台裏  2018年5月1日刊行

卯田宗平

現在、みんぱくでは特別展「太陽の塔からみんぱくへ― 70年万博収集資料」が開催されている。1968年から69年の間、万博開催のために若き研究者たちが世界各地や国内から仮面や神像、生活用具などを収集した。今回の特別展では、当時収集されたもののうち645点を展示している。この特別展には、1960年代末に収集された日本の資料を紹介するコーナーもあり、そこでは水田稲作に関わる道具を展示している。日本の収集資料に関しては、当時の収集活動の記録がまったく残されていない。こうした状況のなか、展示を担当したわたしは、なぜ稲作道具を選んだのか?

 

それは日本人にとって身近なものをあえて取りあげることで、より多くの方々とともに1960年代の日本について考えてみるためである。本館展示場の日本資料をみてもわかるが、かつて収集された「伝統的」な道具はほぼすべて姿を消した。これは、日本の農業が1960年代以降に大きく変化したからである。変化を決定づけたのは農家数の激減であった。実際、1960年に207万戸であった専業農家数は1970年になると84万戸にまで減少した。こうした状況のなか、農村の人手不足を解消するため、国主導で機械化が推し進められた。各地の農村では、1960年代にトラクターが普及し、耕耘用の馬や牛が不要となった。その後も田植え機やコンバインの所有数が増加し、日本の農の風景は一変した。

 

それまで日本の稲作を支えてきた田下駄や田舟は弥生時代から、犂や馬鍬は古墳時代から、菅笠は平安時代から使用されてきたといわれている。つまり、日本で1000年以上も前から使われてきた道具が1960年代以降に一気に姿を消したのである。万博の準備期間中、関係者のなかでは「我々は進歩という名のもとですべてを切り捨ててしまうのか」という憂いがあったという。農具の変化をみる限り、こうした憂いは現実的なものとなった。

 

しかし、変わらないものもある。それは豊穣への祈りである。展示場では、岡山県新見市哲西町の綱之牛王神社で奉納されていた蛇形を展示している。いまから50年前に収集されたものだ。この蛇形を作る「蛇形祭」は鎌倉時代から続いており、いまでも毎年12月におこなわれている。また、展示場ではタノカンサァの石像も展示している。南九州の旧島津領をまわると、お供え物を前にした石像ををみることができる。地元ではタノカンサァと呼ばれ、いまでも親しまれている。もちろん、日本各地で豊穣を祈願する習慣がすべて残っているわけではない。しかし、我々は進歩という名のもとですべてを切り捨てたわけではないのである。

 

卯田宗平(国立民族学博物館准教授)

 

◆関連ウェブサイト
開館40周年記念特別展「太陽の塔からみんぱくへ― 70年万博収集資料」