巻頭コラム
- 水俣に通う理由 2018年8月1日刊行
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熊本県水俣市で調査をはじめて13年目になる。その間、民族学博物館の人が水俣で何をしているのか、と何度聞かれたことだろう。わたしは水俣で、水俣病被害者を支援する人たちを人類学の立場から調査研究している。現地に住み込み、ともに活動しながら、彼らが何を考え、何を感じ、何をしているのかを理解しようとしているのだ。
水俣との出会いは偶然だった。東南アジアのタイで日系企業の調査をしていたとき、近くを流れる河川の水質汚濁が問題になっており、現地の労働者から次のような質問を受けた。「日本は水俣病を輸出しているのではないか」。水俣病に関する知識が乏しく、うまく答えられなかったわたしは、帰国後しばらくして水俣を訪れる機会をもった。熊本大学に勤める友人に案内してもらい、水俣病センター相思社というNGOで話を聞いた。
水俣病は過去の出来事ではない。水俣病被害者に対する差別や偏見はいまだに根深く残っている。それゆえ水俣病に関する正しい知識を伝えることが、現在の我々の運動の中心になっている、と後に親友となった人がわたしに教えてくれた。彼らは水俣病の歴史と現在を伝えるために、使わなくなったキノコ栽培工場を改装して独自の資料館までつくっていた。
じつはわたしが水俣で一番関心をもったのは、支援活動をしている人たちのことである。東京や大阪など、よそから移り住んだ、水俣病とは縁もゆかりもない「支援者」と呼ばれる人たちだ。なぜ自分と関係のない、何の利益にもならない、経済的観点からすればきわめて非合理的な活動に、人生をかけるようなことをしているのか。この謎こそが、いまだにわたしが水俣へ通う最大の理由である。この問いに答えられたとしたら、その答えは現在の日本社会にとってきわめて重要なものになるという予感がしている。
平井京之介(国立民族学博物館教授)
◆関連写真
水俣病センター相思社
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