国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

「戦争玩具」という用語をめぐって  2019年4月1日刊行

笹原亮二

玩具の世界でも独特の用語があるらしい。「戦争玩具」もその一つである。玩具の世界に疎い私はその用語を今までまったく聞いたことがなく、今回の特別展「子ども/おもちゃの博覧会」の準備を通じて初めて知った。 戦争玩具という用語は、もともとは、昭和26年(1951)頃、関西主婦連や日教組が展開した玩具をめぐる運動において用いられるようになった造語とされる。即ち、「刀・鉄砲・ピストル・タンク・ジープ、飛行機、軍艦からパチンコ、吹き矢までを含めて戦争ごっこ関係の玩具を指す造語」で、当時の「朝鮮戦争以来の高揚感に乗って、目に付くように」なったが、それらを「子ども達に持たせるのは、戦争気分を助長し子どもの心理に悪い影響をおよぼすという見地」から反対運動が繰り広げられた(東京玩具協同人形組合『輝ける玩具組合と玩具業界の130年』)。つまり、戦争玩具とは、戦争に関わる玩具に反対し、否定し、徹底的に排除すべきものとして対象化するために作られた、徹頭徹尾否定的な意味合いを負わされた用語であったといえる。

 

そうした戦争玩具という用語をめぐる経緯は、今から見れば何を大げさなという気がしないでもない。しかし、戦前から戦中までの子どもたちのまわりを改めて見てみると、そうともいえないことがわかってくる。メンコや絵合わせなどの玩具には、軍人や兵士や戦場はお馴染みの絵柄で、鉄カブトや毒ガス用のガスマスクが戦場で用いられると、それらが玩具として登場して大ヒットした。幼児や少年向けの雑誌や絵本には軍刀を掲げて敵兵に斬りかかる兵士の姿が頻繁に描かれたし、修身や国語などの教科書にも、軍隊や戦闘が話題としてしばしば取り上げられた。当時の子どもたちは、そうした大人が与えた玩具や教育を通じて戦争を志向する心身を形作っていったことは想像に難くない。

 

そうなると、関西主婦連や日教組による戦争玩具の排斥運動は、戦前戦中に子どもの戦争への志向を育成してしまった自らに対する徹底的な反省の上に行われた切実な運動であったといえそうである。しかし、その後も軍艦や兵器などの戦争に関わる玩具は相変わらず子どもたちに買い与えられて人気を博したし、玩具の世界では戦争玩具という用語が必ずしも否定的な意味合いではなく用いられるようになった。それは、人びとがそうした切実な反省を踏まえてもなおそうしたということか。あるいは、結局そうした切実な反省が社会全体には届かなかったということか。戦争玩具という用語をめぐる経緯は、戦争と玩具の関係をめぐるそんな問いを私たちに突きつけていると考えるのは、うがち過ぎであろうか。

 

笹原亮二(国立民族学博物館教授)

 

◆関連ウェブサイト
特別展「子ども/おもちゃの博覧会」