国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

みんぱく映画会

2010年4月24日(土)
昭和30年代の海外エクスペディション映画 民族学者とヒマラヤ、南極「マナスルに立つ」

【上映作品】

■「マナスルに立つ」
2010年4月24日(土) 13:30~16:00(開場13:00)

■「カラコルム」
2010年5月1日(土) 13:30~15:50(開場13:00)

■「花嫁の峰 チョゴリザ」
2010年5月8日(土) 13:30~15:50(開場13:00)

■「南極大陸」
2010年6月5日(土) 13:30~16:40(開場13:00)

  • 場 所:国立民族学博物館 講堂
  • 定 員:450名(先着順、申込不要)
  • 参加料:無料(ただし、本館展示をご覧になる方は別途観覧料が必要です)
  • 主 催:国立民族学博物館
  • チラシダウンロード[PDF:17.6MB]
開催にあたって

日本の文化人類学が胎動を始めた昭和30年代前半、研究者が企画したエクスペディション(学術調査、探検、登山)の多くは、「総天然色」の35ミリフィルムに記録されました。そこに記録されたのは、敗戦のため日本国内に閉じ込められた人たちが海外に対して抱いたあこがれ、そして、文化人類学の黎明でした。
文化人類学者(当時は民族学者と呼ばれることが多かった)は、戦後日本の海外学術調査体制が確立する時期にエクスペディションを先導し、他の分野に先がけて海外調査を実現しました。また、そのことにより、先進国でも占領地域でもない場所にこの時期の日本人が大きな期待を寄せるようになりました。
おりしも2010年は、日本万国博覧会開催40周年を迎えます。その前史としての海外エクスペディションをご覧いただき、その意義をあらためて見なおしたいと思います。

飯田卓(国立民族学博物館 文化資源研究センター・准教授)

作品と文化人類学/民博との関わり

マナスル登山は、戦前に中央アジア探検を志していた今西錦司と、西堀栄三郎の奔走で実現しました。彼らは後年、カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊(今西)と第1次南極観測隊(西堀)に参加します。チョゴリザ登山は、今西によるカラコラム偵察をふまえて実現したエクスペディションです。このときに作られた映画は、他の映画以上に真摯なまなざしを人びとに対して向けており、その点でも注目されます。
民博との関係では、民博の初代館長だった梅棹忠夫がマナスル登山の計画に参加し(ただし、病気療養のため参加を断念)、カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊の一員として「カラコルム」にも出演しました。また、彼が戦前におこなったイヌぞり研究は、第1次南極観測隊の活動にも生かされました。梅棹は、こうした探検のキャリアを認められ、チョゴリザ登山の報告会でも司会をつとめました。

 

マナスルに立つ(1956年、毎日映画社、98分)

2010年5月1日(土) 13:30~15:50(開場13:00)

映画紹介
「マナスルに立つ」 日本山岳会がネパール=ヒマラヤのマナスル峰(8,163メートル)に初登頂したときの記録。日本隊が8,000メートル峰に登頂したのは、これが初めて。日本隊は、多数のネパール人ポーターとともに大量の装備や物資をベースキャンプまで運び、そこからいくつもキャンプを設営しながら次第に頂上へ近づいていく。たんなる冒険でなく、緻密な計画にもとづくエクスペディションのようすが、克明に示されている。

解説「マナスル登山の副産物:学術調査の始動」
南真木人(国立民族学博物館 准教授)
マナスル登山において踏査隊や登山隊の科学班がもたらした知見と経験は、その後のヒマラヤをめぐる多様な分野の学術調査の先がけとなった。文化人類学の分野では、川喜田二郎の『ネパール王国探検記』(1957年)が読者を未知の世界へのロマンに駆りたて、異文化を学ぶ知的探検にいざなった。それから54年を経た現在、学術調査や文化人類学、そして調査対象としてきた社会はいかに変わったのかを考える。

司会 飯田卓

■お問い合せ先
国立民族学博物館 広報企画室企画連携係
〒565-8511 大阪府吹田市千里万博公園10-1
Tel: 06-6878-8210(平日9:00~17:00)