国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

Seoul Style 2002 E-News 『こりゃKOREA!』


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Seoul Style 2002 : E-News
『 こりゃKOREA!』
http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/200203/index 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2002.07.03━

 祭りは終わった、、、いや終わってない!まだソウルスタイルがあります!!いまやすっかりソウル通の殿堂、見たり、においを嗅いだり、いじったりはもちろんのこと、ソファに寝そべったり、布団にもぐり込んで少しだけ昼寝してみることさえも、今ならできるかもしれません?!
 多くの人がなにかをひとつひとつ積み上げてできたソウルスタイルから、こりゃKOREA14号をお送りします!!
清水郁郎(副編集長) 
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  こりゃKOREA! 14号目次
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   ◇─2002年ソウルスタイル ここだけの話
   │ │
   │ ├20 韓国な毎日
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   │ ├21 演示と展示の間で
   │ │
   │ ├22 キッチン
   │ │
   │ └23 パズル
   │
   ◇─お知らせ:イベント情報等
   │
   ◇─編集後記:こりゃこりゃ通信

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  ● 2002年ソウルスタイル   ここだけの話 - 20

      韓国な毎日
松崎裕也(まつざき ひろや)
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 僕が、ソウルスタイルという展示と初めて関わったのは、1年近く前にさかのぼります。とある方から展示会の図面を書いてくれないか?という話しがあったので、ふたつ返事で「よろこんで書かしてもらいます。」という返事を返したのが胃の痛くなる日々のはじまりでした。

 はじめに、基本図面を40枚程書きこれで終わりだろうと油断していたその時、これからが地獄の日々のはじまりでした。日々図面の変更で、何度も何度も図面を書き直しているうちに、李さんよりも李さんの家の隅々まで知っているのではないだろうか、ひょっとして僕が李さん?と思ってしまうほど李さんの家に関して物知り博士になってしまっていた。

 そして、設計期間が終わり、工事期間に突入した。僕の仕事は設計で終わると身も心も油断していたその時、とある方に演示工事も続けてやってくれといわれ、またもやふたつ返事で、「よろこんで、やらしてもらいます」といっていた。今度は平面ではなく僕の思い描いていた韓国の生活が目の前に現れた。けれども、どれひとつ目新しいものがみつからなかった。むしろ懐かしい位に感じられた。それ位僕は韓国人になっていたのかもしれない。

 このソウルスタイルを通して異文化の生活様式を肌で感じる事ができた事は僕にとって普通に設計士として生活しているなかでは得ることのできない貴重な体験であった。演示工事が終わる頃には僕の頭は寝ても覚めても韓国一色。先程開催されていたワールドカップでも、日本より韓国を応援している自分がいるのに気付いた。

 そして、ワールドカップが終わり、僕の頭もやっと日本の文化をとりもどしつつある今日この頃です。
(+W collaboration design work)

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  ● 2002年ソウルスタイル   ここだけの話 - 21

      演示と展示の間で
山崎清道(やまざき きよみち)
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 ある日、私の師事する中西先生に「搬入、手伝って。」と言われた時のことを思い出します。今になって考えてみると、あのコンテナの中で休んでいた大なり小なりのモノ達が、このようなカタチ(演示?展示?)で表現されるとはあの時点では考えられていなかったように思えます。

 展示品の搬入・展示と聞いていたので、引っ張り出したスニーカーを履き、少し神経を尖らせながらコンテナの扉が開く瞬間を待ちわびた。さあいざ搬入!となったのですが、慎重に展示場へと移し運んでいくその様子を見ていると。何か違う…。展示品の搬入というよりはその風景だけを眺めると、引越ともとれてしまう…。机、椅子、タンス、冷蔵庫…、普段の自分の生活で目に入るモノと比べてもさほど違ったものは見あたらない。せいぜいアート作品の搬入展示しか経験したことがない私にとって、この時点ではまだ状況を飲み込む事が困難でした。「何でボクは掃除機を運んでんだ?」といったところです。しかし安易でしたね。

 そんなこんなで搬入がひとまず終わり、李さんの家にひとつひとつ展示をしていったわけですが。キッチン>冷蔵庫>食器棚>カップ>お皿>包丁>まな板>まな板の上のキムチと、作業が進むにつれてモノが小さくなっていきます。そして小さくなるにつれて勿論のこと数も倍々と増えていくわけで、調査時の写真(案の定ドットが荒い…)だけを手懸かりに忠実に展示していきました。がやはり、モノが小さくなるにつれてそのひとつひとつを忠実に再現することは困難になってくるのも勿論です。
 「この鉛筆はどの鉛筆たてに入れるんだ?写真より少し短いよ!
  このカセットテープは何処?全部いっしょに見えてわかんないよ!
  この下着は?う?、わからん…。」
といった判断しきれない細かな問題が各部屋で山のように発生しました。これはお手伝いして頂いた京都造形大学の学生達も四苦八苦しながらの奮闘となりました(本当にお疲れ様でした…)。

 今考えると「展示」から「演示」への切り替わりはこの時点だったような気がします。全てをパーフェクトに「展示(コピー&ペースト)」しようとするならば、李さん一家にあの場所に住んでいただく位でないと…。しかし、勿論そんな馬鹿げたことは出来るはずもないですし、それをしては(出来ませんが!)今回の企画の意がズレてきてしまう。かといって演示者達が勝手に「演示」し過ぎてしまうのもまたズレが生じる。展示から演示、演示から展示への往復がひたすら続いたような気がします。しかし、このふたつの間を右往左往したことで、限りなく「展示」に近い「演示」へのターンバックが出来、「展示と演示」の距離を混ぜ合わせることで成立したような気もします。

 また、演示工事と平行にひとつひとつのキャプション作製も担当していたのですが、これがまたまた難解です。難解というよりも自分の頭の中を整理することが困難だったのかもしれません。
 というのも、例えば展示品のひとつである「花札とトランプ」。展示会場2階、余暇・娯楽コーナーのモノですが、それを見る限りでは普段行くコンビニにぶら下がっている花札とトランプになんら変わりもありません、差違を見つけるとすれば印刷の色が少し違うくらいです。演示する人にとっても観覧される方にとっても、そのモノを見るだけではやはり只の花札とトランプ。天蚕糸でとめながらも「?」の字が頭からはなれない。がしかし、キャプション原稿を渡されて内容を確認してみると、
『 花札とトランプ:花札は植民地時代から持ち込まれたものといわれている 』………。
普段目に入る小さなモノだけあって目には映らない「隠れた『ズレ』」のようなものに気付かされた気がします。そして、それはキャプションの数含め3000点以上のモノ全てにあるのだろうと思えます。

 韓国:日本の時間のズレ、建築:会場の空間のズレ、展示:演示の現象のズレ、モノ:モノの存在意義のズレ、etc etc 。それらの差違を、大小や身勝手な価値で見るのではなく、ひとつひとつの全てのモノ(事実)を抽出し平らに見ることで「事実→スタイル」が僅かにでも見いだせた気がします。そしてそれは今回の「ソウルスタイル2002」だからこそ確認出来たことだと思っています。

 7月16日まで残りわずかです。3000点の撤収という事実も近づいてきたわけですが…。新しいスニーカーでも買いに行っておきます。
(ARX)
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  ● 2002年ソウルスタイル   ここだけの話 - 22

      キッチン
大谷宗平(おおたに そうへい)
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 キッチンを担当した大谷です。キッチンを担当して最初に立ちはだかった壁は『臭い』でした。私が今まで嗅いだことのない臭いが鼻を刺激してきました。それが韓国のキッチンの臭いかどうかは今も疑問に思っています。しかし、人間の体は良くできているもので、何日か作業をしているうちに、臭いも気にならなくなっていました。今では、あの臭いが恋しくなっています。

 次に現れたのは400以上もの食器などの資料です。これらを目の前にしてキッチンスペシャリスト?の私は燃えました。梱包をはずし、いよいよセッティングです。中西先生の現地調査の写真、佐藤先生の写真、カタログの写真を見ながら、元の位置に並べていきます。ここで新たな問題が出てきました。それは中西先生もおっしゃっていましたが、それぞれの写真は撮影日が異なっていることです。キッチンは毎日使うものですから、食器・その他の資料の場所がバラバラに映っていました。これは私ひとりでどうにかなるものではなかったので先生方や李さんの奥さんに助言していただいて何とか進めることができました。

 一段落して冷蔵庫の作業にとりかかりました。ここではさらに強烈な臭いが、一緒に作業をしていた杉村さんと私を襲いました。この臭いも何日か経てば慣れてくるだろうと思っていましたが結局最後までマスクをしたままの作業でした。

 キッチンも仕上げの段階です。包丁などの養正や固定などといった細かい作業になってきました。ここで佐藤先生から、まな板に置いてある包丁は食材を切っている状態で固定したいというリクエストをいただきました。先輩の田中くんと一緒に試行錯誤を繰り返して何とか固定することができました。これがキッチン最後の作業でした。周りを見渡すとそこは李さんの家のキッチンそのものでした。
 このような貴重で珍しい体験をさせていただいた先生方や大勢の関係者の方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
(京都造形芸術大学空間演出デザイン学科)

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  ● 2002年ソウルスタイル   ここだけの話 - 23

      パズル
和田 茜(わだ あかね)
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 「パズルの様な仕事があるんだけど・・・」と中西先生に今回のえんじの仕事の手伝いを頼まれたのが昨年の夏。その時はどんな内容の仕事か、どれほど大変か等の疑問は全く持たず、ただ楽しそう、という単純な思いだけで参加を決めた。

 しかし、作業が始まり、全く先が見えてこない「パズル」に悪戦苦闘する日々が続いた。一番の問題点は、李さん一家の全てを知っている人が少なすぎる事。最初、家の間取り図を頭に描けない段階での作業は、ほとんど進まず、資料のあまりの多さにただただ圧倒されるばかり・・・もちろん、家の中身を全て持ってきているわけだから、それだけの量は当然なのだが、当初想像していた規模を遙かに上回る状況に、何から手を付けていいのか分からず、「指示待ち」といった、最悪の状態に陥った。そこで、「このままでは終わらない!」と危機感を募らせた私達は、わかるところから、という目標を立て作業を進める事にした。一つの場所にこだわってやっていても、どうしても見つからない資料が出てくる。それを3000点の中から一人で探し出すのは不可能。まずは近くにあるものから並べていく、という方法をとってからは、思いのほか作業がはかどりだした。

 何日か家の中を走り回っていると、だいたい、どこに何があるのかわかってくる。人間の記憶力とはすごいもので、写真にある資料が見つからない時、誰かに聞くと、「それ、あの部屋にあったよ」「あの段ボール箱で見た」等、最初の段階では分からなかったものが、どこに隠れているのかがほとんど理解できる様になった。本棚の中の写真立て、タンスの中のハンガーや化粧水、洗濯物に至るまで。作業が終盤にさしかかった時には、まるで自分たちの家であるかの様に、ほとんどの物の在処がわかる様になっていた。

 もちろん、実際にソウルまで訪れ、李さん一家を見てきた方々の感動にはかなわないだろうが、作業を終えた時の私達の達成感は、本当に大きかった。そして、この様な型破りな展示に参加できた事を誇りに思っている。
 ほとんどの資料が並べ終わった頃、奥さんが最終チェックに訪れて下さった。自分たちの寝室に入り、思わずため息をこぼされた奥さんを見、私も思わず嬉しくなった。 
(京都造形芸術大学空間演出デザイン学科)

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  ● お知らせ
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       ☆☆☆「2002年ソウルスタイル」イベント情報☆☆☆
    http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/200203/event
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        ☆7月6日(土)・13日(土)11:00~
         虹と太陽のマダン
         ・韓国・朝鮮の遊びの紹介
         ・チェギ(蹴り羽根)づくり・折り紙工作
         ・楽器の展示
         ・在日韓国人の文化活動の紹介

          ☆7月14日(日)11:00~
         生野民族文化祭 プンムル

       【場所:民博の前庭「みんぱくマダン (広場)」】
              ※参加無料・申込み不要
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           マダン公演のお問い合わせ・お申し込み
              みんぱくソウルスタイル係
          TEL: 06-6878-8532 / FAX:06-6878-8247
            E-MAIL:junbi@idc.minpaku.ac.jp
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   ┌────新聞・雑誌で「ソウルスタイル」が紹介されました!───┐
     PACIFIC Friend July 2002 Vol.30 No.3
         「in brief: Seoul Style 2002」
     日本経済新聞(夕刊)6月27日(木)
         「ソウルフル・ライフ(8)屋台で回る焼酎グラス」
     讀賣新聞 7月1日(月)
         「韓国通学グッズ貸し出し好評」
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 ■ 編 集 後 記 :こりゃこりゃ通信 ■ 
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 現代人は物にたよることでしか自分という存在を確認できないのかもしれない。そんな思いではじめた調査は、調査対象になった資料もろとも展示というクライマックスをむかえます。展示場では、アパートの部屋だけでも3000点をこす資料との格闘がはじまっていました。先の見えないパズルの正体は、肉体によってかろうじて統一をたもっているかにみえる錯綜した「自分」という生き物。

 展示のめざす方向はただひとつしかありませんでした。それは物にたよりながらこの肉体の不在を表現してゆくこと! アパートの部屋は現代のポンペイさながらに、いままさに立ちはたらいていた人びとが忽然と姿を消したように演出されました。だから、ソファーに腰掛けて新聞を片手にテレビを見るアボジや台所で夕食の支度をするオモニ、いやいや勉強机にむかうドンファやピカチューの人形を抱いたベッドのウィジョン、それに暇さえあればミシンがけにはげむハルモニが、彼らの不在の意味を問いかけてくるのです。

 物をはなれて、私はどこまで私自身でいられるだろうか、と。

 作業の中心が研究室や会議の場から実際の展示場にうつされると、李家の物たちは私の予想をはるかにこえてひとりあるきをはじめます。紹介しきれないほど多くの関係者に、、感謝!

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     ※このE-Newsは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』 を利用して
    発行しています。
      http://www.mag2.com/ (マガジンID:0000086722)

        E-News配信解除: http://www.mag2.com/m/0000086722.htm

      バックナンバー: http://www.minpaku.ac.jp/special/200203/news/index
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編集・発行:2002年ソウルスタイル・プロジェクト・チーム 

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