国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

Seoul Style 2002 E-News 『こりゃKOREA!』


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Seoul Style 2002 : E-News
『 こりゃKOREA!』
http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/200203/index 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2002.07.12━

 考えれば考えるほど不思議な李さん一家、そもそも、あれだけのものを手放してしまい、今はどのような部屋に住んでいるんですか?レコードとか聞きたくなったらどうするんですか?ピカチュウの代わりになるものは入手できたんですか?李さん一家を追っかけてソウルまで行った人、だれかいませんか~??
 祝!!こりゃこりゃ探検隊メンバー増員!探検隊最強の布陣でお送りするレポートをはじめ、なにかとてつもないパワーが感じられるこりゃKOREA第15号をお届けします!
清水郁郎(副編集長) 
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  こりゃKOREA! 15号目次
   │
   ◇─2002年ソウルスタイル ここだけの話-24
   │   李さんご一家との出会い
   │
   ◇─2002年ソウルスタイル ここだけの話-25
   │   感動した!
   │
   ◇─お知らせ:イベント情報等
   │   「2002年ソウルスタイル」閉幕せまる!
   │
   ◇─こりゃこりゃ探検隊
   │   おばはんたちのソウルスタイル
   │
   ◇─編集後記:こりゃこりゃ通信

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  ● 2002年ソウルスタイル   ここだけの話 - 24

      李さんご一家との出会い
笑福亭銀瓶(しょうふくてい ぎんぺい)
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 「ここまで生活をさらけ出す家族は、いったいどんな人たちなんだろう?!」

 今年の3月に国立民族学博物館へ「ソウルスタイル」を見に行った時、僕が最初に感じたことだ。
 ABCラジオ「東西南北龍介がゆく」の「KOREAええなぁ」のリポートで、日韓両国内いろんなモノを取材したが、インパクトの強さではまちがいなくナンバー1である。

 最も驚いたのは、「ニオイ」があったこと。特に、台所の「とうがらしのニオイ」には、感動すら覚えた。「これは本物や」。
 そう思ってから、取材を忘れてそこらじゅうを開けまくった。李さん夫婦の寝室に入り、化粧台の引き出しに手をかけたとき、「まさか、いくらなんでも…」と思ったが、次の瞬間、一気に裏切られた。ビッシリ詰まった奥さんの下着。
 「なんでここまで?!」
 「モノ」しかないのに「ヒト」がいる。
 それが「ソウルスタイル」のスゴイところである。

 すぐに、スタッフと話し合い、「李さんたちに会いに行こう」、ということになった。多くの方のお力添えのおかげで、李さんご一家との対面が実現した。2002年5月26日、日曜日のことである。
 当日のソウルは、この出会いを祝福するかのような快晴。僕は珍しく緊張していた。まるで、狙い定めた女性との初めてのデートの時のように。

 マンションのドアは、すでに開いていた。「アンニョンハシムニカ」と声をかけると、李さんの奥さんがニコニコ笑顔で迎え入れてくれた。後ろに少し恥ずかしそうなドンファがいる。そして、クシャクシャの優しい笑顔で、李さんが僕を待っていてくれた。
 李さんと握手したとき、僕は不思議な感覚に見舞われた。「初めて会った人なのに、そんな気がしない。なんでやろ?」
 3月の「ソウルスタイル」で、李さんたちに会ってはいないのだが、「李さんたちの空気」をすでに感じていたのだ。本物の持つ説得力に、改めて脱帽である。
 遊びから帰ってきたウィジョンちゃんを交えてのインタビューは、最高に盛り上がった。話を聞いて、改めて李さんたちの人間の大きさを感じた。そして、夕食までごちそうになった。通訳を介しながらだが、李さんたちといろんな話をした。

 李さんたちとの出会いが、僕に日韓新時代に突入していることを、痛切に感じさせてくれた。また、「韓国」が好きになった。
 今度、僕が李さんご一家に再会するとき、日本と韓国はどんな風になっているのか、とても楽しみだ。それは僕たちにかかっている。
(落語家)

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  ● 2002年ソウルスタイル   ここだけの話 - 25

      感動した!
戸高真弓美(とだか まゆみ)
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■感動その1・「ソウルスタイル」■
 「うっそぉ!」
 3月、ABCラジオ『東西南北龍介がゆく』の取材で、落語家の笑福亭銀瓶さんと「ソウルスタイル」を訪れた時の、第一印象である。そこに展示されているものは、それまで私が知っているどんな「展示会」「展覧会」とも違っていた。だって、全てが「本物」で、さっきまで「使用」していた「温度」があるものばかり。  ある種裸になるよりも恥ずかしい。私なら、断固断る。ヌード写真を撮るか、家にあるもの全てを提供するかと言われたら、迷わずヌードになる。まぁ、見たい人もいないと思うが・・・。
 会場のビデオでオモニが「我が家に遊びに来てください」と明るい笑顔で話していた。「遊びにおいでって!」「行くか!」銀瓶さんの気持ちも、私と同じだった。善は急げ。翌日、早速番組ディレクターに「ソウルへ行きたい!李さん一家に会いたい!」と訴えた。

■感動その2・李さんに会えるの?!■
 「ふーん。でも、そんな簡単に会えるんでしょうか?」
 熱く語る私たちに向かって、担当ディレクターは半信半疑だった。そりゃそうだ。近いとは言え、李さんは韓国人、外国の人。「遊びに来てください」は社交辞令と思うのが常識だろう。大体、「会いたい」と言い出した人にいちいち会っていたら、李さんたちの身が持たない。
 でも、諦め切れない私はみんぱくの広報の方を通じて佐藤先生に「李さんに会いたい!」ファックスを送った。ダメもとだった。
 が、佐藤先生はまるで友だちの電話番号を教えるように、李さんの自宅の電話番号を教えてくれた。ただし、「ここから先はそちらで。ちなみに、李さんはハングルしか話せませんので」
 へっ?連絡は私が取るの?でも、韓国語なんて喋れない。どうしよう・・・。

 でも、私たちは出会えるように運命付けられていたに違いない。実は、私の弟は韓国で日本語教師をしている。早速私は彼にメールを送り、ソウル在住で、日本語と韓国語に堪能で、取材の段取りと当日の通訳をしてくれる人を紹介してくれ!と泣きついた。そして、紹介してくれたのが日本の大学へ通い、現在はソウルの大学で日本語を教えながら大学院で日本語学を専攻する27歳の女性、金世恩さんだった。
 「ガンガン日本語で話して大丈夫だから」弟の言葉に嘘はなかった。電話でも、メールでも、彼女の日本語は完璧だった。もしかしたら、怪しい関西弁を使う私などより、ずっと美しい日本語を使っていた。彼女のおかげで、私たちはいよいよ李さん一家に会うことができることになった!

■感動その3・李さん一家に会っちゃった!!■
 5月26日日曜日、午後4時。銀瓶さん、戸谷ディレクター、通訳の金さん、そして私の4人は、高速ターミナルに近い李さん一家のマンションに向かった。初めての場所なのに、何だか懐かしい。
 その懐かしさは、実際に李さん一家に会った瞬間、「本物」になった。「初めまして」と挨拶するのがおかしい位、私は李さんの家族と、その暮らしに自分がすっかり馴染んでいることに驚いた。「お久しぶり!お元気でした?」そんな感じだ。
 取材は和気藹々、順調に進む。李さんも奥さんも、終始笑顔。これは一重に、金さんの通訳のおかげだ。銀瓶さんの言葉を、本当にきちんと、それこそ音の強弱、身振り手振りで伝えてくれる。韓国語の全く分からない私でも、今彼女が何を話しているのか分かるほど、銀瓶さんの言葉を忠実に伝えてくれていた。これは感動だった。言葉って一見違っていても、実は気持ちは同じなんだ。

 取材後、私たちのたっての希望で「韓国の家庭の夕食」をご馳走になる。テーブルの上には、乗り切らないほどのご馳走が。「いつもよりずっと豪華だよ」李さんがこっそり教えてくれた。取って置きのお酒を振舞ってくれ、話に花が咲く。
 「奈良の正倉院には朝鮮半島から日本に渡ったものが沢山残されている。日本には昔から歴史を残しておく文化がある。が、韓国にはそれがなかった。だから、私たちがみんぱくに提供した生活用品が、いずれ貴重な資料となればと思っている」李さんの優しい笑顔の裏に隠された熱い思いを伺い、改めて「すごい家族だ」と「感動」した。
 夜9時過ぎ、再会を約束し私たちは李さんの家を後にした。タクシーの中で、私たちは静かな興奮を感じていた。

 その後も、ワールドカップで韓国チームが快進撃を続けるたびに、私は李さんの奥さんにメールを送った。オモニからは、熱い返事が返ってくる。

 みんぱくの皆さん。「ソウルスタイル」の会期は延長しないんですか?
 閉会に際して、李さん一家は来阪しないんですか? 今度は大阪で会いたいです。そういえば、オモニは日本に語学留学したいって言ってました。私に真顔で「ホームスティできませんか?」と聞いていました。それも楽しいかも…。久しぶりに心から「感動した」李さんご一家との出会いだった。
(構成作家)
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  ● お知らせ
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       ☆☆☆「2002年ソウルスタイル」イベント情報☆☆☆
    http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/200203/event
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        7月16日(火)「2002年ソウルスタイル」閉幕!
       会期中最後のマダン公演です、是非お越しください!

        ☆7月14日(日)11:00~
         生野民族文化祭 プンムル

       【場所:民博の前庭「みんぱくマダン (広場)」】
              ※参加無料・申込み不要
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           マダン公演のお問い合わせ・お申し込み
              みんぱくソウルスタイル係
          TEL: 06-6878-8532 / FAX:06-6878-8247
            E-MAIL:junbi@idc.minpaku.ac.jp
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   ┌────新聞・雑誌で「ソウルスタイル」が紹介されました!───┐
      Memo 男の部屋 2002年8月号
         「特別展2002年ソウルスタイル」
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄こりゃこりゃ探検隊 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

       おばはんたちのソウルスタイル

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実家の母親から、ソウルスタイル面白かったよ~!と電話があり、たいそう興奮して体験談を話してくれました。姉妹三人(全員孫持ち)で見て来たらしいのですが、その体験談がなかなか興味深かったので、末妹の久恵さんに感想文をお願いしました。
北村 彰(こりゃこりゃ探検隊)
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李さんのお宅へおじゃまして

 5月11日、二人の姉に誘われて、民博に展示されている李さんのお宅へおじゃまに上がりました。お友達か親戚のお宅をお訪ねしたような、懐かしい親しみや温かさを感じたのは何故なのでしょう。そして、昨日も今日も続いている生活そのままを日本に運んでしまって、いま、李さんご一家は毎日どうして暮らしていらっしゃるのでしょう?と心配になってしまいました。それほど、気取りのない日常生活が、展示されていたのです。

ドアの向こうから、奥様が、アンニョンハセヨ、とお顔を出されるのではないかしら、と思わせるぐらい、飾らない家族の生活を公開して下さった事に、感動と敬意を覚えました。国とか民族の違いを越えて、日々の暮らしの何と共通点の多いことか!台所でも、韓国料理の冷麺を思い出すような食器棚の中の金(かね)の食器以外は、ほとんど日本と変わるところはありません。お風呂場に干された洗濯物や、引き出しの中からうかがえる物を大切にする心、一主婦として感じるところ多々ありました。とくに感心しましたのは、日本では骨董屋さんでしかお目にかかれないような、民族調の古い美しい家具を大切にお使いになっていらっしゃる事でした。その他にも、学校や屋台など、いろいろと盛り沢山の展示で楽しませていただきました。

 また、生まれてから人生の終わりまで、伝統に深く根ざした韓国文化にふれられる展示も、大変興味深いものでした。憧れのチマチョゴリ、おそらく、とても若い娘さんの衣装であろうショッキングピンクの美しい民族衣装を着て、もしかして前世でオモニだったかも、と、もう一つの人生を楽しんだ私でした。(久恵)

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● 感想文を書いてくれた久恵さん(61歳)の話:
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 李さんのお宅の周りに展示してあった子どもらの文房具、ちびた鉛筆や消しゴム、使い込んだ筆箱に、こんなもんまで展示してと、まずびっくりしたわ。それで、お宅に上がって、玄関のげた箱や部屋のタンスを、二回目(の来館)やった照子姉ちゃんが開けまくったら、はき込んだ靴やら古い水着やらが入ってるやろ。かかとの薄なった靴下も一足に束ねてちゃんと仕舞われてるやんか。ああ、おんなじなんやと感じてん。それにしても、自分とこの家に親兄弟を招いてもよう見せんような、ありのままの暮らしを、それも他所の国で、どうぞ見て下さいとさらけ出しはった、その心意気にはえらい感動したわ。日本人やったら、もっと取り繕ってええ格好したんとちゃうやろか。

 台所では、ボランティアの人が食器棚を開けてみせてくれはったら、韓国料理屋さんで使うてはる金属の食器が並んでて、でもそれ以外は、ほんまにおんなじやった。洗濯物は干してあるし。食べること、寝ること、排せつすること、生きもんとしての人間の暮らしはどこへいっても一緒なんやなあと。それで、自分ももしかしたら韓国のオモニやったかも知らへんなあと思って、感想文にはそう書いてん。

 それから、目上の人を敬うところは日本と違うなあと、これは自分が年をとってつくづく感じたことやった。堺の光明池に「ふるさとのいえ」という在日韓国人の方々が多い、食事やコンサートなどによく招かれる地域に解放的な老人ホームがあって、そこでも、長いこと生きてきた年寄りをとっても大事にしてはる。日本はこの先どうなるんやろうと、李さんの韓国がちょっとうらやましかった。

 ポスターになってるポシャギの実物も、服のリフォーム教室(森南海子さんの)で見せてもらったけど、どんな端切れでも無駄にせんと、しかもつなぎ方も色使いもすばらしくて、ものをいとおしむ心を感じたのを思い出したわ。「ソウルスタイル」でも、そのいとおしむ心が伝わってくるねんなあ。

 とにかく、ありのままを見せてくれはった李さんに、ようお礼を言うといてな。

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● タンスを開けまくっていた姉の照子さん(67歳)の話:
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 姉妹三人で行くとまるで漫才みたいやったわ。李さんのお宅に上がって寝室を覗くと、ベットの上に学生らしい女の子たちが座って、鏡台の引き出しを開けてキャーキャー騒いでて、何が入ってんの?とたずねると夫婦お揃いの下着を取り出して見せてくれるやろ。幸江姉ちゃんは、台所で金属の食器やお箸を見せてもらったボランティアの人に「このお箸、カンザシみたいですなあ」とボケをかますし。まわりのお客さんもけっさくで、市場の展示で粉末の唐辛子をこっそりなめて「これあんまり辛くないから」と他人に勧めるひとがいてるかと思たら、二階の棺桶に入ろうとしているお客さんに蓋閉めたげましょか?とつっこんでるおばちゃんもいてる。最後に三人でチマチョゴリを着せてもろたら、幸江姉ちゃん、よっぽど嬉しかったんか、他人のいてはる前で、アリランを歌って踊り出すんやもん。ほんまにびっくりしたけど、久しぶりにぎょうさん笑うて楽しかったわ。

 姉妹で盛り上がるだけやなくて、傍にいてはる見ず知らずのお客さんともすぐに盛り上がってしまうねん。置いてあるもんにさわってええからさわるやろ。さわるといろんな発見があって、誰かに喋りたなるやん。

 それにしても不思議やったんが、なんで見ず知らずの他人といきなり喋れるんかやねんけど、きっと靴脱いで家に上がるせいかもしらへんな。靴を脱いで上がったとたん、親戚の家によばれた家族のような気持ちになって、そこらにいてはるお客さんも、みんな身内の感覚になってまうんや。しかも、家には洗濯物は干しっぱなしで、タンスをあけたらその洗濯物がたたんで仕舞われているやろ。その仕舞われ具合とか、まだ着れるという傷み具合がまた、たまらんぐらい身近な感じやねんなあ。

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● アリランを歌って踊った長姉の幸江さん(73歳)の話:
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 家財道具ぜんぶ出してしもて、李さんとこ、生活どないしてはんの?それにしても楽しませてもろたし、えらい懐かしかったわ。

 李さんとこの台所に入ったらボランティアさんが食器棚を見せてくれはって、そしたら金属の食器や箸が入ってるやん。私が小学生の(昭和12~13年)頃、近所に金さんいう韓国の人が住んではってん。優等生ていわれてたすごく頭のええ子がいて、家に遊びに行くと、家族で車座になって、立て膝ついて食事してはんねんけど、その時に使うてはった食器やお箸と一緒やったから、あの頃を思い出して懐かしかってん。家ではちゃんと正座せな怒られたのに、金さんとこはみんな膝ついて食べてはんのが不思議やったから、いまでもよう覚えてるわ。

 チマチョゴリも、その子のお母さんがいつも麻の真っ白のチマチョゴリに先の尖った靴を履いてはって、それがものすごく格好よくて、いっぺん着てみたいなあと、その頃からの憧れやってん。そしたら、2階の展示場で着てみますか?って言われて着させてもろたら、すごく合理的に出来てて着やすいし、胸から下がすっと長くて格好ええやん。色もとってもきれいし。それであんまり嬉しくて思わずアリラン歌って踊ってしもてん。え、なんでアリラン知ってたかって?それは昔、職場の慰安旅行先の旅館で在日韓国人の団体と隣り合わせてんけど、その時、やっぱり麻のチマチョゴリ着て鉦や太鼓も持ってきて歌って踊ってはってん。その時に教えてもろたのが自然と出てしもたんや。

 終わるまでにもう一回見にいくつもりやねんけど、いまから楽しみやわあ。

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 ■ 編 集 後 記 :こりゃこりゃ通信 ■ 
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 ソウルスタイルの展示を評して物の羅列とのべた批評家がいます。人間にたいするイマジネーションをもうすこし発揮してくれたら、展示の印象は大きくことなったものになっていたでしょう。展示場に唯一欠けているのは李さん一家の生身の姿です。その生身の李さん一家は、いまこの瞬間にも展示場とはべつの世界で、べつの人生をあゆんでいる。展示場を訪れた人は、にわかには理解しがたい事態に直面することになります。すべての物を展示してしまった李さん一家はどうしているの?

 ABCラジオ「東西南北龍介がゆく」が展示場の様子を紹介してくれたのは、オープン間もない3月29日のことです。奥さんのブラジャーが、、、レポーターの笑福亭銀瓶さんが番組のなかで絶叫していました。取材で直感したこの展示の不思議をみずから確認するために、じっさいにソウルまで出かけてしまったスタッフのみなさんの行動力に脱帽!そして類いまれな好奇心に喝采。貴重な体験談を(李さん一家は実在していた!?)披露することをこころよくひきうけてくださいました。李家のレポートは5月29日の同番組で放送されています。
 ソウルスタイルに感染してしまったあとでは、誰しも自分自身の隠し事が色あせてみえるようになります。ソウルスタイル症候群? 展示品のまえでニヤリとわらい、いつのまにか能弁になっていたら要注意。

 展示場にお年寄りの姿が目につくようになったのはここ1ヶ月ほどでしょうか。韓国と日本のちがいより、いまは世代のちがいのほうが大きいかもしれない。この世界には子供もいれば老人もいる。あたりまえのことをソウルスタイルはあえて正面からとりあげています。こりゃこりゃ探険隊は展示場にみえる老人たちの何故に突撃取材。展示場をもりあげてくれるゆたかな感性に心の底から感謝!!ハルモニは得意の歌辞にたくしていまの気持ちをかたってくれました。

  35坪のアパートのどこを見回しても
  私の手垢のついた品物たちは影も形もなくなった
  私の魂がはいり 私を守ってくれていた家具たちが
  今から 遠い異国の地 日本にあると思うと
  涙が出そうで 幼なじみを失った気分になる

  見知らぬ地に 私たちの物が陳列してある展示場に
  私と同年輩の年寄りがたびたび尋ねて来て
  韓国女性の伝統の物をたくさん見て行き
  私の心を慰めて欲しい
  物を惜しんで大切に思う気持ちは
  日本でも韓国でも同じだろうか

 閉幕までのこすところ1週間になりました。展示場にあふれる幸福そうな笑顔とももうじきお別れですね。さびしい。
 ハルモニの歌辞の全文はいずれ「こりゃKOREA」上でご紹介します。

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     ※このE-Newsは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』 を利用して
    発行しています。
      http://www.mag2.com/ (マガジンID:0000086722)

        E-News配信解除: http://www.mag2.com/m/0000086722.htm

      バックナンバー: http://www.minpaku.ac.jp/special/200203/news/index
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編集・発行:2002年ソウルスタイル・プロジェクト・チーム 

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