国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

Seoul Style 2002 E-News 『こりゃKOREA!』


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Seoul Style 2002 : E-News
『 こりゃKOREA!』
http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/200203/index 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2002.08.02 ━

 8月です。つい先日までソウルスタイルがおこなわれていた特展会場では、もうあたらしい展示がはじまっています。
 まったくあたらしい展示のありかたを示してきたソウルスタイル。ひとつの場をつくるために、さまざまな人びとが関わりあっていました。考える人、集める人、つくる人、ものを運ぶ人、横槍いれちゃう人、サボる人、、、。どれだけ多くの人々の行動と思いが結実したかがあらためてよくわかる!こりゃKOREA17号をお送りします!!
清水郁郎(副編集長) 
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  こりゃKOREA! 17号目次
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   ◇─2002年ソウルスタイル ここだけの話
   │ │
   │ ├28 図面と資料とデータと
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   │ ├29 “運ぶ”ということ
   │ │
   │ └30 “2002年 ソウルスタイル”と関わった事
   │
   ◇─みんぱくe-news 創刊しました!
   │
   ◇─編集後記:こりゃこりゃ通信

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  ● 2002年ソウルスタイル   ここだけの話 - 28

      図面と資料とデータと
松尾健治(まつお けんじ)
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 私が初めて今回の特展の図面を見たのは、去年のクリスマス前、12月の半ばでした。通常業務に当たり見積りながらも、「今回の図面もえらい図面やなあ」と、ついつい思いながらの作業になりました。
 実のところ家屋の復元自体よりも、その廻りにあるのが宙づりのパネルで、さらにその内側にA5サイズの写真を2640枚貼る、という図面に「ほんまかいな」と思わざるを得ませんでした。このパネルは直径が18m、面積では約100平方メートル、畳で約60畳、約30坪で最近のマンションでは広い方かなと。ちなみに「李さんち」は約90平方メートルです。また、写真データを出力するに当たって作成したCDは21枚、データ量は約7ギガになりました。すべて出力するのに約75時間・10日程掛かり、実際に貼るには2人の職人が3日掛かりました。

 しかしながら、見積の段階でこの現場に関われるかどうか、正直なところ半信半疑でした。なんとか受注でき、第一回目の打ち合わせに出席した私を待っていたのは、驚愕に値する事実でした。打ち合わせに際し提出する書類には「工程表」があります。文字通り、着工してから竣工するまでの流れを示した表です。この中で自分が設定した引き渡し日より後に、韓国からの資料が到着する、ということを知らされたからです。こう書くとたいそうですが、何事も資料ありきの「みんぱく」ですから、すぐに工程表をそのように修正しました。

 つづいて製作に当たり、細かい質問に対する答えは、A4・44枚に及ぶデジカメによる「李さんち」の写真でした。この写真は形状だけでなく、色の参考にもなりました。この写真を見続けることによって、自分の仕事は李さんちの復元というより、李さんの家庭の再現だと、思うようになってきました。

 現場の着工は2月1日、とても寒い日でした。その日の特展場は照明も暗く、エアコンもなく、空っぽの空間でした。1Fは直径32m・1000平方メートル超・約308坪程です。
 この空間で行う最初の作業が「墨だし」です。これは何処に何を造るか、決めていく作業で、この作業でミスがあると図面通りに物が出来なかったり、のちのち大変な目に合う、大切な作業です。寒い中、床を這いまわり、基準線や壁の線を書き、現場が広いため怒鳴り合う、過酷な一日となりました。
 「墨だし」が終われば工程に従い各職人が組み立て作業を進めていきます。ステージが出来、壁が建ち、壁紙が貼られ、床材が貼られ、塗装作業、タイル貼り、2階から見ていると一連の作業が流れ作業のように着々と進んでいきました。そして運命の2月25日を迎えました。

 寒風吹きすさぶ中、トレーラー3車により、資料は届けられました。梱包されている膨大な資料を見ながら、私が探していたのは、システムキッチンとトイレ等衛生器具でした。この大物を取り付ける作業が待っていたからです。
 システムキッチンは約20パーツ程あったと思います。初めはこちらが大変と思っていましたが、浴室の方が大変でした。あの狭いところでバスタブを付け、洗面器を付け、そしてトイレを付けました。実は、トイレ自体新品が到着しており、梱包を解き、さあ取付というときに「李さんちのトイレから、ふたを外してきたのがあるから、こっちを付けて!」という指示がでました。確かに新品より存在感があります。でも使用済みというのは…。

 また、大型資料といえば、やはり冷蔵庫にもいろんな意味で苦労させられました。「臭いも展示する」と聞かされたときには、ああそういうものかとすぐに納得する自分に、自分自身もう不思議でもありませんでした。
 冷蔵庫といえば、韓国の家電製品は、全て220Vです。館内の100Vでは動きません。このため館内の100Vの分電盤に昇圧トランスを付けて220Vにあげ、独立の電源で送っています。中の食材も本物のため、当然24時間送電です。220Vを初めに送電できたのは「教室」の柱の扇風機です。スイッチを入れ当たり前のように回ったときは、思わず「やった!」でした。

 造作工事が終わり大型資料が取り付けられると、いよいよ演示チームの出番です。それまでモデルルームのごとき李さん宅が、演示されるに従い李さんちになっていきます。
 精細な演示作業を見守りながら、我々は他コーナーを仕上げていきます。一番苦労したのは「故郷コーナー」の墓石の設置です。当然本物の石の固まり(未使用)ですので、あのサイズでも推定200キロ程あります。作業員4人掛かりでやっと設置できました。「市場コーナー」の演出テントも何度もやりかえました。この時点でオープンまで10日ほどになっていました。

 展示工事の終盤はおおむねグラフィック工事が佳境を迎えます。ハングルあふれる展示場の陰で、原稿とデータと戦う人々が幾人いたことでしょう。苦労の結晶でもあるデータは、主にMOという鉄とプラスチックの造形物で受け渡しされます。10センチ角にも満たないサイズの重量は、わずか40グラムです。ですが、この中には数多の人々の思いが凝縮されているといっても過言ではないと思います。こうして出来上がった「作品」は最盛期には10人の作業員の手で各所に取り付けられていきました。

 こうして迎えた3月20日プレオープンの日、華やかなセレモニーの傍らでいつもと同じ作業服を着た私は、いつもとは違う感慨にふけっていました。展示工事というのは駅伝のアンカーみたいな感じかなと。構想段階から始まり、企画・映像・図録・設計と次々に渡されたたすきを最後に受け継ぎ、オープンというゴールに飛び込む、そんな感じを漠然と考えていました。

 最後に、今回の現場にかかわることになり関係した全ての方に、お礼を申し上げます。

(株式会社 日展)

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  ● 2002年ソウルスタイル   ここだけの話 - 29

      “運ぶ”ということ
初田貴文(はつだ たかふみ)
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 我々は、日頃から民族学博物館/情報企画課よりご依頼をうけて、展示品や資料の庫内移動作業等のお手伝いをさせていただいております。
 今回の特別展“2002年ソウルスタイル”一連の作業に関しては、昨年の秋頃お話をいただき、年末より当社韓国の代理店で展示品の集荷、保管、船積みを致しました。
 以下では、2002年1月末、釜山港出港後、我々日通大阪海運支店が携わった業務内容につきまして、その時々感じたことをまじえながらご紹介させていただきます。

◆ 通関 ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 2002年2月2日、李さん宅の温もりや思い出が一杯詰まったコンテナが3本、韓国・釜山港より、本船 FEEDER6(フィーダーシックス)号に載ってまだ寒空の大阪南港に到着しました。
 そして、時を同じくして当社の現地代理店などから膨大な書類の束が到着しました。基本的な通関書類だけで40枚。物品は530点。写真などの資料が130枚。(これだけたくさんの物品、李さんは困らないのか?と思いましたが…)ふだん、おもに扱っている商業貨物であれば、せいぜい通関書類は、1件あたり、資料も含めて5枚~10枚程度。物品は1点から5点程度です。
 我々営業スタッフ、通関スタッフともども、その“量”に圧倒されました。
 但し、普通の商業貨物と異なり、今回の展示品はすべて“収集品及び標本”とみなされるので、申告のために品物ごとに仕分けをする必要はなく、関税もかからない。とはいえ、530点1つ1つの商品のチェックは入念に行わなければなりません。絵図面とにらみ合いながら、日々遅くまでチェック致しました。

 2月20日、やっとのことで輸入許可を大阪税関よりいただき、これではじめて、国内での作業が自由にできるようになりました。
 翌日2月21日、当コンテナ3本は、いったん当社のコンテナヤードに動かし、民博の指示に基づき、燻蒸(コンテナ内に害虫駆除のための薬剤を散布する)を行いました。
 そして2月23日には燻蒸用のガス抜きの作業も終わり、いよいよ、トレーラーで吹田市の民族学博物館まで運べるところまできました。
 搬入作業予定である25日に“テレビ局が来る”という事がかなりプレッシャーになっていて、最後はかなりあわてていたように思います。

◆ 搬入作業 ◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 2月25日月曜日、ぼんやりと霞んだ青空の下、朝9時半に3本の青いコンテナは、無事、博物館の搬入口に到着しました。この日は、とても暖かく天気にはとても恵まれました。天気の良し悪しは、我々の作業に大きく影響します。
 この日は、7名のスタッフで臨みました。NHK、MBSといったテレビ局の方も来られていて、この展示の注目度の高さに私は驚きました。コンテナのシールを切り、扉を開けると、中には大小様々な大きさの物品がぎっしり詰まっていました。それを見た途端、今日中に物品をすべて搬入できるだろうか?不安がよぎりました。  しかも、ただ単純に搬入していけばよいわけではなく、李さん宅が忠実に再現され、入り組んだ展示場のそれぞれのブースごと、復元される部屋ごとに搬入しなければなりません。
 我々は、通関時にいただいた、そして現地よりいただいた膨大な物品リスト、民博からいただいたブースと部屋ごとの物品リスト、展示場内の図面の以上3つれぞれ目をやりながら、搬入の計画を立てました。入り口から遠いブ―ス、部屋を先に、かつ家具など大きな物から入れるといった具合に・・・。
 また、カートンにはナンバーが打ってありますが、それだけでは、限られた時間の中で効率良く搬入はできません。そこで、展示品をコンテナの中から出す際、出てきたものに片っ端から、記号をカートンに記載していき、(例えば、台所であれば“E”リビングであれば“A”学校であれば“学校”と)搬入口の駐車スペースで仕分けをすることにしました。

 搬入部隊3名、取り下ろし部隊3名、仕分部隊が1名(私)の体制で10時半頃より作業開始。
 しかし、コンテナ内の何処に何があるという情報は我々にはなかったので、出たところでそのカートンがどのブースのものかを瞬時に判断しなければいけません。なにぶん、500点以上あるリストから探し出し、仕分記号を振らなければならない。コンテナからは、次々に取り下ろし部隊により展示品がおろされる。そして出てきた物は搬入部隊に搬入させなければ・・・。1度に3つのことを限られた時間でこなさなければならなかったので、とても苦労しました。
 また、搬入口の仕分けスペースは、瞬く間に物品であふれかえりました。いったんコンテナから出すのを止めたり、また再開したり、臨機応変な対応も必要でした。

 当然の事ですが、取りおろす際、搬入の際には、展示品を傷つけぬように気を配りました。展示品は生き物です。展示品が死んでしまえば、その展示も死んでしまいます。
 特に一番大きかった“屋台”を入れるのは一苦労でした。搬入口の大きな扉に屋台の上部がどうしても引っかかり、押せなくなりました。いったん引いては、角度を変えて押してみて、また引いて・・・という具合に切り返しを繰り返しながら、7人全員で運び入れました。
 こうして、日がかなり傾いたころ、搬入はやっと終わりました。

◆ おわりに ◆
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 万博公園に蝉の声が聞こえはじめ、非常に蒸し暑かった7月17日、我々は、再び博物館を訪れました。搬入時とは逆に各部屋ごとに梱包し、収蔵庫への移動作業をするためです。作業は7月19日に無事終了いたしました。

 我々の“モノを運ぶ”という仕事は、不可欠なものであるとはいえ形に残らない仕事です。しかし、今回このように証言を残す機会を与えていただくことで、我々の仕事も“形”を残せました。大変、光栄に思います。
 ありがとうございました。
(日本通運株式会社 大阪海運支店)

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  ● 2002年ソウルスタイル   ここだけの話 - 30

      “2002年 ソウルスタイル”と関わった事
古川幹雄(ふるかわ みきお)
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 今回“ソウルスタイル”と実質的に関わったのは展示造作の「こわし・廃材処理」! この様に書くと、解体やさん?と思われるかも知れません。
 実は、次のコレクション展示“世界の民族服と日本の洋装100年”の会場制作・演示作業との一連の作業で関わることになりました。
 一階の約6割を解体撤去し、残り部分を流用し建替え・表具替えし新たな空間に生まれ変えていくのです。

 私達が、“ソウルスタイル”の解体作業に入った時には既に資料の95%まで無く、残っていたのは玄関のスチール製ドア、システムキッチン、風呂桶、トイレ、カガミ類、壁付けの電源コンセント等、まるで昨日李さんが引越して行った後で、もぬけの殻と言う感じでした。
 これまでいろいろな展覧会の撤去にも立ち会ってきましたが、少し様子が違う? やはり日常生活そのものを展示されていたのだと実感しました。
 実際の作業は、8名の丸1日で解体出来たのですが、円形のステージが図面と全く違う作り方がしてあり、ステージの下からレンタルステージが大量に出てきました。しかも20年以上使用され年季が入り、大切に業者さんの名前まで刻印されていましたので返却しようと思い連絡をとったところ、「いらないので破棄してください」との事でした。結局今回の廃材処理は、4tパッカー車で7台にもなり1日がかりの作業になりました。

 現場に残った材料で、次のコレクション展示“世界の民族服と日本の洋装100年”がもう開催されています。ア!ここにも、あそこにも、“ソウルスタイル”が残っている!なんて見方が出来るアナタ かなりの通ですね。是非“世界の民族服と日本の洋装100年”へ足を運んでください。観覧無料です。
     
(株式会社 七彩)

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    ┃         みんぱく e-news 創刊!!        ┃
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     『2002年ソウルスタイル』開幕以来発行をつづけてきた本誌
     も、まもなく最終号をむかえます。多くの方々にご愛読いた
     だき、関係者一同感謝の気持ちでいっぱいです。(*^▽^*)

     こりゃKOREA愛読者のみなさまにお知らせがあります。

     このたび国立民族学博物館が「みんぱく e-news 」を創刊し
     ました。「みんぱく e-news 」は、世界各地でのフィールド
     ワークにもとづく、人類の社会や文化についての研究活動や、
     博物館活動について月一回電子メールでお知らせします。
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 ■ 編 集 後 記 :こりゃこりゃ通信 ■ 
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 もうひとつのソウルスタイル。そんな言葉を書きつづけながら、もういくつ目かのソウルスタイルを私自身も経験しています。そのひとつ欠けてもソウルスタイルは実現できなかったことでしょう。「業者」として展示にかかわってくれた匿名の人びとの心意気を垣間見ることができるとはなんという幸せ。ほんのすこしでもわかちあえる何かがそこにあった証拠だから。展示場はなくなってしまったけれど、こうして生きつづけているものがある。多忙な仕事の合間をぬって、心のこもった原稿を書いてくださった日展の松尾さん、日通の初田さん、七彩の古川さん、どうもありがとうございました。ご迷惑をかえりみず、無理矢理原稿をお願いした失礼をどうかおゆるしください。

 『本の雑誌』8月号で、蔵前仁一氏が今年度上半期の出版物ベストワンにソウルスタイルの図録を掲げていました。つづいて『ミュージアム・マガジンドーム』63号は特集「民博変わった? 民博変わった!」。ソウルスタイルは今年度ベスト・スリーにはいる展覧会と、この時点で言い切ってしまえる、とお褒めの言葉を頂戴しています。今年度とはみみっちい、100年に一度あるかないかの展覧会、と当事者の意気ははるかに軒昂なのです(^^ゞ

 展示はおわっても、まだいくつかのプロジェクトは進行中です。生活財一式を譲り渡してしまった李さん一家のその後は? 展示中もっとも多かった質問にこたえるべく、長編ビデオ作品の編集がすすんでいます。それに、ソウルスタイルその後にまつわる謎の覆面展覧会が今年度中にどこかであるかも。。。。

 収蔵庫へはこびこまれた膨大な李家の資料は、さっそく何人もの館内スタッフの手によってひとつひとつチェックされ、データをつきあわせながら博物館に収蔵する準備がすすめられています。たった1本のチビた鉛筆が、これほど多くの人の目にふれ、これほど丁寧にあつかわれた例もないのではないでしょうか?
 特別展示館では、8月1日にコレクション展示「世界の民族服と日本の洋装100年:田中千代コレクション」がお披露目をむかえました。かつて李さん一家のアパートがあった展示空間を色とりどりの民族衣装が舞っています。

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     ※このE-Newsは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』 を利用して
    発行しています。
      http://www.mag2.com/ (マガジンID:0000086722)

        E-News配信解除: http://www.mag2.com/m/0000086722.htm

      バックナンバー: http://www.minpaku.ac.jp/special/200203/news/index
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編集・発行:2002年ソウルスタイル・プロジェクト・チーム 

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