国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

Seoul Style 2002 E-News 『こりゃKOREA!』


※このE-Newsは、メーラーの設定を等幅フォントにすると、最適なかたちでご覧いただけます。
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             Seoul Style 2002 : E-News

               『こりゃKOREA!』

         http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/200203/index

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2002.08.13 ━━

  こりゃKOREA18号をおとどけします。ホームページ編集事務局からメール
 マガジンの発行を打診されたのは今年1月のことです。特別展の開催にあわせて、
 民博のイベント情報をネットで配信しよう。この計画に、編集責任を負わせても
 らえるならという条件で、私は参画しました。創刊以来およそ5ヶ月間で18号、
 これまで発行をつづけてこれたのは、お手軽な博物館ニュースとはおよそ縁遠い
 内容にとまどいながら、編集を担当してくれた鈴木わかえさんと副編集長の清水
 郁郎さんの協力のたまものです。こりゃこりゃ探検隊として民博レストランやシ
 ヂャンのレポートも書いてくれた鈴木さんは、じつは辛い物が大の苦手、ニンニ
 クやキムチにたじろぎながらの渾身の取材でした。いつもクールな視線で編集長
 の暴走をおさえていた清水さんは、タイの山地民アカ族の専門家。図録や広報で
 大活躍した李家の見取り図の制作者でもあります。今号は編集スタッフ一同の顔
 見世興行、ご無礼の段はひらにご容赦ください。

                            佐藤浩司(編集長)

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   こりゃKOREA! 18号目次
   │
   ◇─2002年ソウルスタイル ここだけの話
   │   こりゃKOREAたてよこ
   │
   ◇─実録 2002年ソウルスタイル -1
   │
   ◇─編集後記:こりゃこりゃ通信

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  ● 2002年ソウルスタイル   ここだけの話 - 31
         
      こりゃKOREAたてよこ

                       鈴木わかえ(すずき わかえ)
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  こりゃKOREAなんておやじギャグ的な名前を誰がつけたのか? いつもつ
 まらないミスをそこここにちりばめて、毎号まちがい探しをさせずにおかないの
 は誰だ?と、つねづねお思いの方、申し訳ございません、わたしが犯人です。

  通常はみんぱくのホームページ作成の仕事をしています。
  ホームページ編集事務局は、毎月会議を開き、みんぱくウェブサイトの企画を
 考えています。ホームページを見てもらうという受動的なプレゼンテーションの
 他に、もっと能動的なことはできないかと話し合った結果、「2002年ソウルスタ
 イル」の開催にあわせて、メールマガジンを発行しようということになりました。
 これは、みんぱくウェブサイトの「ソウルスタイル」のページで情報を発信する
 だけでなく、メールで最新の情報を配信し、積極的に興味のある方にはたらきか
 けるという、初めての試みです。実行委員である佐藤先生の協力を得て実現しま
 した。

  佐藤編集長、清水副編集長からなる強力なプロジェクト・チームがつくりだす、
 独特のテイストのメールマガジンの発行を重ね、月日があっという間に流れてい
 きました。ときどき編集長が行方不明になるので泣かされることもありましたが
 …。
  こりゃこりゃ探検隊の一員として、初めてキムチを食べ(半泣き)、鶏の骨を
 しゃぶり(これはやみつき、うそ)、へなちょこ記者になったのも忘れられない
 体験です。

  とうとうソウルスタイルは終わってしまいましたが、『遠くて近い隣国』韓国
 をいっそう身近に感じることができたのも、ソウルスタイルとこりゃKOREA
 のおかげです。ありがとうございました。

  こりゃKOREAがはじめた新しい試みは、『みんぱくe-news』に引き継がれ
 ることになりました。これからも、メールだけの特別なコンテンツを満載して、
 こりゃKOREAに負けないよう、みなさまの期待におこたえしていきたいと思
 います。まだ購読されていない方は、ぜひこの機会に登録してください。:)

           http://www.minpaku.ac.jp/museum/enews

              (ホームページ編集事務局/財団法人千里文化財団)

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          実録 2002年ソウルスタイル - 1 ┃
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  ■ソウルより愛をこめて ヽ(^。^)ノ■     [2000年11月3日 11:03:18]
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   ソウルの佐藤より報告です。
   
   生活財調査のほうは、1980年建設のマンション住人が協力してくれることに
   なりました。しかし、アンドンの出身者ということで資料の適正さをKさん
   は心配しています。たしかに。しかし、ほかに選択の余地がなさそうなので、
   とりあえず来週から作業をはじめます。日本関係者は親身に協力してくれる
   のですが、いかんせん彼らも職員にすぎないので、館長の指令が得られない
   以上、調査にまで参加してくれるわけではありません。自分自身韓国語でコ
   ミュニケーションがとれないこともふくめていろいろとなさけない。
 

 
  ■Re: ご苦労様→先がおもいやられる■     [2000年11月9日 9:30:49]
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   これから出勤なのでとりあえず返事のみ。
   いろいろ情報感謝。なかされるね。
   
   調査は予想された通り「まだはじめられていません」。調査予定の家からは
   1週間待ってくれるように言われました。いまは1週間が永遠にならないこ
   とを祈るばかりですが、最悪の場合、手ぶらで帰ることも、、、、
   以下、Aさんが聞いたら背筋の冷たくなるような話でしょう。4日に研究会
   がありましたが、研究会のメンバーが調査を助けてくれることはありません。
   しかも、私が来韓するまで、どころか、この研究会の開催まで、調査対象の
   選定が済んでいたわけでも、交渉がすすんでいたわけでもないのです。まっ
   たくの白紙にちかい状態。ほかに選択の余地がないので、きょうから博物館
   の館員の家を見せてもらうことになっていますが、ともかく「待つ」ことば
   かりで、その間自由に活動できるわけでもなければ、待った甲斐があるわけ
   でもないまま10日あまりがすぎました。親身に調査の手はずを考えてくれて
   いるのはこれもKさんひとりです。
   
   ひとり悲嘆にくれるまま、おいしい会食にさそわれる毎日です。こちらに来
   たときに美しく色づいていた木々も、今はさびしく葉をちらしています。
   嘆息
 


  ■ソウル白兵戦■               [2000年12月2日 7:37:32]
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   報告がとどこおってしまって申し訳ありません。前回のメールでお知らせし
   た調査家屋からは直前に1週間の調査延期を言われてしまい、来韓以来約2
   週間をただ当てのない何かを「待つ」だけのために無為にすごしました。ま
   ともに調査を開始できたのはEさんが日本にもどってからです。こちらの体
   制にもいろいろな問題があり、報告せねばならないことも多々あるのですが、
   なにせ朝から夜まで生活財の記録におわれてとてもメールを書ける状態・気
   分ではありませんでした。記録に関しては一昨日ようやく終わりました。最
   終のアイテム(写真+調査シート)数は3200点ほどです。まだインタビュー
   も足りませんし、データのまとめをどうするか、片づけねばならない問題は
   多くあります。ともかく消費財にかぎらず家のなかにあるものを徹底的に洗
   い出しました。パンフレットや広告の類、家族写真(数量は際限がない)や
   手紙、電気・ガスなどの請求書、スーパーのレシート、給与明細書、電機製
   品のマニュアル、保証書、使い終わった酒瓶や香水瓶などなど、うまく「分
   類」できないものがじつは非常に多くて困りました。人間は蓑虫のようにそ
   うしたモノを身の回りに寄せ集めて自己を実現している、が今回あらためて
   認識したことです。かなりおもしろい家族(よい意味で特殊です)なので、
   調査の顛末については時間のあるときに別便でまた報告します。家族全員
   (夫婦+小学生の男女の子供+夫の母の5人家族)の所持品調査もあわせて
   おこないましたよ。
   
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ながなが書きましたが、今回の滞在で私が感じたこと、言いたいことはただ
   ひとつです。
   今回の共催展は、当初、日本側がすべてまかなう形で話をすすめました。そ
   れは韓国での日本展をしきることまで民博が面倒をみるという方向です。し
   かし、協約書で相互主義を確認した段階でこのような発想を双方が捨てる必
   要があるだろうということです。こちらの博物館に金がない(と言っている)
   からといって、そんなことまでいちいち日本から心配する筋合いの話ではな
   い(基本的にはね)のです。
   「日本に行ったらどんな仕事が必要とされるのか」とPさんからは聞かれま
   した。あなたがたの展示にどういう仕事が必要かはあなた方のほうで考える
   ことだろう。そのために一年間日本でいられるポストを用意したのだから。
   これが私の答えです。日本からはこうして生活財の調査にまできて韓国の現
   在の生活文化を展示をしようとしている。では、「日本展」に予定されてい
   る資料はいったいどんなメッセージを伝えるのか? 当然の疑問です。その
   疑問に対して私はきちんと答えることができません。彼らも自分たちなりに
   日本の調査をして、収集をして、展示企画を練ろうとしています。予算や日
   程やもろもろの問題があって、どこまで可能なのかわかりません。実現でき
   ないことも多い=結局当初案におちつく、ことになるかもしれませんが、と
   もかくやりたいことについてはSさんに相談にのってもらうようにこちらで
   は話しています。とばっちりですが辛抱強く、勇気づけるような対応をおね
   がいします。
   
   本日これから数日のあいだ地方へ旅行します。Kさんと、Pさんの日本展
   コンビが「出張」でつきあってくれます。組織をあげて、、というところで
   しょうか。日本でこわい。
   


  ■ふるちん床屋■              [2000年12月12日 19:13:50]
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   7日にもどる予定を10日までのばして帰国しました。
   ソウルレポート第3回は師走の日本からです。
   
   来韓以来4週間ほどすぎた頃、博物館ちかくの床屋に行きました。
   
   床暖房のせいで乾燥しきった部屋のなかで、のびた髪の毛は手の施しようが
   ない状態になってしまっていました。庶民の利用する(つまり普通の)床屋
   は銭湯にあると博物館のスタッフから聞いてはいましたが(本当?)、床屋
   の主人が堂々と振る鎮、いや、ふるちん、で出てきたのにはびっくりしまし
   た。その格好のまま、背広を着込んだCさんから私の希望を聞くと、やおら
   ガウンをはおりながら脱衣場横の椅子を目配せしました。
   カットのスタイル?床屋に来る前のそんな心配は、難破船のなかでビールの
   味を議論しているようなものであることがわかりました。もっとも床屋の主
   人の名誉のために書いておくと、あざやかなハサミさばき(そうそう韓国で
   は料理人もハサミを使うではありませんか)で散髪はほんの10分ほどのあい
   だに終わり、マッサージも洗髪も期待していた(むくつけき)サービスはな
   にもないまま、服を脱いでシャワーをあびて帰るように言われただけです。
   もちろん、サウナもしっかり利用してから私は帰りましたよ。散髪7000W+
   銭湯3000W(逆だったかな)、きちんとはらわされましたからね。しかし、
   いまおもいかえしても赤塚不二夫的世界!
   
   12月2日から4泊5日、安東、慶州、古城(総研大のK女史の調査地)、全
   州の4カ所を各1日づつでまわるというハードスケジュールの旅行をしてき
   ました。博物館のK、P両氏が出張で同行、Kさんの手配した車で、彼の運
   転による旅です。博物館からふたりの出張費を出させたのもKさんの差配、
   生活財調査にも10日間ほど助っ人のアルバイトをやとってくれましたがこれ
   もKさんの手回しです。何から何まで彼にはお世話になりました。なにより
   ありがたいのは、そうやって少しずつ博物館を組織として共催展のサポート
   にむかわせてくれていること。日本でそれに見合う対応をするのは逆に大変
   なのですけれどね。
   
   この旅行で、河回と良洞の両民俗村を見てきたのですが、それ以上の収穫?
   は、全州に住む一人暮らしの女子大生にインタビュー(全州大学で非常勤を
   しているLさんの学生)、彼女のワンルーム下宿を見学できたことです。女
   子大生のあつまる居酒屋で、男3人+古城から同行のK女史にかこまれて、
   恋人、結婚、家族、大学、仕事、ファッション、、から最近韓国でも問題に
   なっている女子高生の援助交際や主婦売春まで、とても怪しい雰囲気(あぶ
   ない好奇心を「学術的」に言い訳するのに苦労した(^_^;))のインタビュー
   でした。といってもまともに記録をとったわけではないのですが、日本展の
   担当者ふたりも興味津々、日本でもおなじような経験を共有できるとよいな
   あ。
   
   ソウル到着後2週間ほどは無為にすごしたせいで、帰国前はやたらといそが
   しくやり残したことばかり気になります。住宅の生活財ばかりでなく、コン
   ビニの全商品調査、屋台の道具調査なども計画していましたが、結局時間が
   ありませんでした。生活財調査の報告はさらに別便で書きます。
   
   生活財の調査写真約3千点(3GB)はCDロム7枚にまとめてKさんのも
   とに一部置いてきました。問題は3千枚の調査シートのほうです。今回もっ
   て帰ることは諦めましたが、民博でデータベースプロジェクト(画像とリン
   クさせる)に申請できないでしょうか。個人で対処できるデータ量ではあり
   ません。記載内容はハングルなので、韓国研究者の協力はいずれにしても必
   要です。
   
   本日これまで。
   


  ■本命の生活財調査■             [2001年1月15日 15:39:00]
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   特派員報告最終回です。
   
   帰国してから元気だったのは翌日だけで、3日ほど発熱と下痢で寝込みまし
   た。はやりの風邪なのか、土産に買ってきた蟹キムチにあたったのか、、、
   
   Aさんには書きませんでしたが、生活財調査は、受け入れてくれる家屋がな
   く、いったい本当にできるのかどうかあやぶまれる状態のまま2週間すごし
   ました。指をくわえて待っているわけにもいかないので、館員のお宅(彼も
   安東の出身)で調査らしきことをはじめていたのですが、、、なにしろ一日
   に3時間くらいしか調査時間をさいてもらえなかったので暗澹たる気持ちで
   した。
   
   調査をこころよく受け入れてくれたのは、夫婦そろって安東大学の民俗学出
   身者(つまりこれもKさんの手配ということ)、観光局の公務員の夫、音楽
   雑誌の編集者だった妻(現在は、子供のための音楽コンクールのマネージメ
   ントや雑多な原稿執筆をこなす「主婦」)、小学5年生の息子と4年生の娘、
   それに歌辞で安東地方の伝統芸能保持者(詳細不明)にもなっている老母の
   5人家族。夫の年収は3千万W+能率給、夫婦あわせて5~6千万W(中流
   の上くらい?)。夫婦はふるきよき韓国文化の風習や家族の紐帯をまもるこ
   とに熱心で、きわめて特殊といえば特殊な家庭ですが、それなりにきわめて
   「韓国的」(現代の韓国人の典型をしめす)であることはまちがいありませ
   ん。調査は、記録魔、保存魔(結婚以来の古い記録を丹念にとってある)で
   ある奥さんの「調査者」としての参加がなければとてもできないほど密度の
   たかい、徹底的なものでした。おまけに彼女は日本ファン。片言の日本語が
   話せます。おかげで数日の調査予定はえんえん3週間にまでのびました(の
   ばすことが可能だったと言ったほうが正確でしょう)。
   
   夫婦が住むのは地下鉄二号線の蚕院駅、高速ターミナル駅からそれぞれ徒歩
   10分、1979年に建設された12階建てのHアパート(日本でいうマンション)。
   もっか再建築の計画が進行中で(これも継続調査すると本当はおもしろい話
   題)、住民の8割が賛成し、業者と話がまとまれば、2001年末には解体され
   る予定です(うまくいけばこの家のモノをそっくり手に入れることも可能で
   す)。この一帯には、1980年代以降、漢信の開発した団地が林立しており、
   Hアパートのある一画はもっともふるい区画、二車線道路を挟んで反対側に
   はデパートと大型ディスカウント店がならび、日本で言うなら青山、原宿と
   いった位置づけの場所でしょうか(あってる?)。
   夫婦は1989年に結婚、以降、現在のアパート(持ち家)は3度目の住宅です。
   ソウルでは平均2年半に1度転居するという統計がある(らしい)。
   
   、、とここまで書いた段階でほかしてあったのですが、資料収集などで必要
   な情報だとおもうのでおくってしまいます。調査家庭はとても協力的であり、
   たびたびテレビにも登場する地元では有名な家庭です。団地の部屋で伝統的
   な祭祀をおこなうところをテレビ取材されていたり(KBS「人間家族」と
   いう15分程度の番組で、このビデオテープ自体も展示場で使用できるはずで
   す)、こちらの取材にもこころよくおうじてくれるでしょう。
   
   調査の結果についていずれまた書きます。たしかに調査は徹底的でしたが、
   だからといってそれをそのまま展示すれば済むという話ではないので注意し
   てください。やはりなにをどう展示するかつめねばなりません。
   調査資料にかんしては、このままでほっておけないのでデータベースのプロ
   グラム作成を申請しました。データ入力は来年度の予定です。ハングルを日
   本語になおさねばならないので関係者の協力をおねがいします。

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 ※「実録 2002年ソウルスタイル」は、佐藤から発信されたメールの実録であり、
  起きていた事実をつたえるものではありません。事実はつねに藪の中。佐藤の
  メールボックスには、特別展関連で総数1800通("こりゃKOREA"をあわせ
  ると2400通)ほどのメールがのこされています。生活財の調査にはじまり、
  データベースの作成、映像取材、ポスターやパンフレットの制作、関連行事な
  どの広報活動、図録の編集、展示場のデザイン、韓国パックの仕掛け、そして
  李家のオモニ・金英淑さんとの対話など、ソウルスタイルの実現に必要とされ
  たコミュニケーションの数と理解しています。本文の実名は伏せ字にあらため、
  一部内容を削除してあることをおことわりしておきます。(佐藤浩司)

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 ■ 編 集 後 記 : こりゃこりゃ通信 ■
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  もうひとつのソウルスタイル、、、そんな一文で簡単にまとめてしまうには、
 はっきりいって惜しいこりゃKOREA通信。18号までつづきました。自由すぎ
 るといわれかねないスタイルで発行してきましたが、ひとつの特展の舞台裏を伝
 えるという、みんぱくとしてははじめてのこころみになるからこそ、今までにな
 い「スタイル」をまとったのです。

  先日閉幕したソウルスタイル、その目玉は李さん一家の住まいの展示でした。
 特展というのは、きっちりとした企画が最初にあって、、、と想像しがちです。
 しかし、日本にいる実行委員のだれかにあてた本誌編集長のメール通信文は、こ
 のソウルスタイルの企画が、じつは当初からあったわけではないことを物語って
 います。

  特展本体に比べればあまりにも小さなこのこりゃKOREA。それでも迷うこ
 との連続でした。いつまで発刊をつづけられるか、、、というのも、現実的な問
 題でしたし。そのこりゃKOREAの力強い歯車になってきたのは、各号の企画
 と編集、各執筆者への原稿依頼など、編集長の人目にふれない舞台裏での活躍と、
 水ももらさぬ妥協なき姿勢(^^ゞでした。

  ところで、インドネシア、マレーシアをはじめとする東南アジア建築の専門家
 としての編集長は、ソウルスタイルを、ソウルを、そして今の韓国をどうみてい
 たのでしょうか。
  その舞台裏もいつかあかしてほし、、、と思ったら、12号に登場してくださっ
 たりかまる先生(こりゃこりゃ探検隊)が、編集長にインタビューを敢行してい
 ました\(^o^)/

            http://www.log-osaka.jp/

  りかまる先生、編集長にするどく斬り込んでいるんですが、編集長も容赦なく
 斬り返しています。おもしろさ秀逸です。

  今号で「ここだけの話」に登場していただいた鈴木さん、こりゃこりゃ探検隊
 通信係兼斥候として、数々の体当たりレポートをさせられ、、、いや、していた
 だきました。それに、このメルマガの命名にもよくあらわれているもはや奇跡と
 しか言いようがない卓越したセンスは、編集をつづけるうえでおおいに力になり
 ました。なにより、本職のホームページ編集委員として、こりゃKOREA発行
 を一手にになっていただきました。どうもありがとうございました。

  ぼくにとってのソウルスタイル、それは昨年の2月ころ、李家のパースを描く
 ことからはじまりました。昨年の夏は、窓もインテリアもないみんぱく本館の作
 業室で、ひとりぼっちで図面と向き合っていました。ピンクフロイドなどを聞き、
 自分の中のなにかが変わりそうな気配におののきながらも図面を描きつづけ、完
 成図面を編集長に渡すころには、部屋のスケール感やものの配置など、李家の内
 部が手に取るようにわかっていました。よく知っているのにそれまでみたことは
 なかった家、幻影のようなそんな李家が会場に建ちあがっているのをみたときの
 不思議な感覚(ひとり占めさせてもらいました)、今でも鮮明に覚えています。

  さて、このこりゃKOREA通信、じつはまだしばらくつづくんです。願わく
 ば永久につづいてほしいものですが、そんなことをしたら編集長が倒れてしまい
 ます。とりあえず次号を待ちましょう。目を離せないのは、これまでと同じ。
 きっと、なにかおもしろい仕掛けがあるにちがいありません。ぼくも一読者に
 戻って楽しみに待つことにします(^_^)/~

                          清水郁郎(副編集長)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┌──────────────────────────────────┐ 
   ※このE-Newsは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』 を利用して
    発行しています。
      http://www.mag2.com/  (マガジンID:0000086722)
 
      E-News配信解除: http://www.mag2.com/m/0000086722.htm

      バックナンバー: http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/200203/news/index
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          編集・発行:2002年ソウルスタイル・プロジェクト・チーム

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