国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

特別展「更紗今昔物語─ジャワから世界へ─」

更紗今昔物語─ジャワから世界へ─

展示場2階
ジャワから世界へ Part 3 ─プリント更紗に波及したジャワ更紗のロウケツ染め技法
チャンティン
チャンティン
チャップ
チャップ
チャンティンによるロウ置き:インドネシア,ジャワ島クドゥンウニ,ウィ・スゥ・チュン工房(2006年)
チャンティンによるロウ置き
:インドネシア,ジャワ島
クドゥンウニ,ウィ・スゥ・
チュン工房
(2006年)
チャンティンによるロウ置き:インドネシア,ジャワ島クドゥンウニ,ウィ・スゥ・チュン工房(2006年)
チャンティンによるロウ置き
:インドネシア,ジャワ島
クドゥンウニ,ウィ・スゥ・
チュン工房
(2006年)
チャップによるロウのプリント:インドネシアジャワ島ジョグジャカルタ(1990年)
チャップによるロウのプリント
:インドネシアジャワ島ジョグ
ジャカルタ(1990年)
ジャワ更紗の染色技法であるロウケツ染めは、チャンティンやチャップと呼ばれる銅板製の道具を使って布の両面にロウ置きをおこなってきた防染技法である。アフリカでプリント更紗の最高級のブランド商品として流通しているワックス・プリントは、ローラー・プリント技法によって布の両面にロウをプリントし、その後に浸染してロウをプリントした部分以外を染めるというものである。このローラー・プリントによる機械化したロウのプリント技法は、ジャワ更紗のチャップを使った手作業によるロウのプリント技法をもとにして、20世紀初頭にオランダで開発された。そうしたワックス・プリントの製作技法は、ただちにイギリスやスイスに伝わり、ワックス・プリントは20世紀初頭以降のアフリカ向けに輸出されるプリント更紗の主要な商品となっていった。そして、1950年代からは日本からもワックス・プリントが輸出されていた。さらに今日においては、中国、そしてアフリカの一部の国々でもワックス・プリントが生産され、それらはオランダのフリスコ社やイギリスのABCワックス社で生産されたワックス・プリントとともに、アフリカで流通している。

ロウケツ染め
ロウケツ染めはロウを防染剤とした染色技法であり、熱せられて溶けたロウで布面に模様をあらわし、その後に染色することによって、布地のロウで覆われていない部分のみが染まる。染料が乾燥したのちには脱ロウ(布を熱湯にくぐらせることによって、布面に付着したロウを除去する作業)がおこなわれて、ロウケツ染めの一連の作業工程が終了する。

ジャワ更紗
ジャワ更紗は、インドネシアのジャワ島とその周辺地域でつくられてきた、ジャワ語でカメン・バティック(kamben batik)、インドネシア語でカイン・バティック(kain batik)と呼ばれるロウケツ染めの布に対応する日本語である。ジャワ更紗のロウケツ染め技法では、布の両面からロウ置きがおこなわれており、ロウ置きのあと、布は浸染される。したがって、ジャワ更紗のロウケツ染めでは、布の両面からロウ置きをおこなうことと、その後に浸染することによって、布の両面が染められる両面染めが、技法上の特徴となっている。ジャワ更紗のロウ置き作業には、おもに手描き用のチャンティン・トゥリス(canting tulis/通称はチャンティン)と呼ばれるロウ置き道具と、プリント(型押し)用のチャンティン・チャップ(canting cap/通称はチャップ)と呼ばれるロウ置き道具,すなわちスタンプが使われてきた。そうしたジャワ更紗のうちには、チャンティンを使ってロウ置きをおこなった手描きのジャワ更紗(バティック・トゥリス)、チャップを使ってロウ置きをおこなったプリントのジャワ更紗(バティック・チャップ),そして、チャンティンとチャップを併用したジャワ更紗(バティック・コンビナシー)の3種類がある。

バティック(batik)
バティック(batik)は、本来、ジャワ語で「ロウケツ染め」を意味する語であり、とくに「ジャワ島とその周辺地域でおこなわれてきたジャワ更紗のロウケツ染め技法」を意味する語として使われてきた。しかし、20世紀後半からは、“batik”の名称は「ロウケツ染め一般」を意味する世界共通語としても広くもちいられるようになっている。ただし、そうしたなかにあっては、ジャワ更紗のデザインを摸倣したプリント更紗もバティックの名で呼ばれるばあいが多い。さらに、アフリカではロウケツ染めのみならず、絞り染めもまたバティックの名で呼ばれているばあいがかなりあり、今日、バティックの意味は、世界的に少なからず錯綜している。


ジャワから世界へ Part 3 ─手工芸的なロウケツ染め技法の世界展開
今日、ロウを防染剤とした手工芸的なロウケツ染めは、世界各地でおこなわれている。そして、その多くは、本来インドネシアのジャワ語でジャワ更紗のロウケツ染めを意味する名称であるバティックの名で呼ばれている。それらバティックと呼ばれる世界各地のロウケツ染めのすべてが、ジャワ更紗の影響によるものとはいえないものの、あきらかにジャワ更紗の影響によっておこなわれるようになったロウケツ染めが、マレーシア、タイ、ミャンマー、オーストラリア、カリブ海諸国、そして日本などで見いだされる。そうしたジャワ更紗の手工芸的なロウケツ染め技法の世界への波及は、20世紀初頭のマレーシアにおけるチャンティンやチャップを使用したロウケツ染めのはじまりが最初であったと見られる。そして、その後のまもない時期には日本に波及し、20世紀後半には、タイ、ミャンマー、オーストラリア、カリブ海諸国に波及している。ただし、世界各地に波及したジャワ更紗のロウケツ染め技法は、それぞれ独自の展開を遂げており、ジャワ更紗のロウケツ染め技法が、そっくりそのまま技術移転し、ジャワ更紗と同様のロウケツ染めがおこなわれているという例はなく、ジャワ更紗のロウケツ染め技法の特徴のひとつとなっている布の両面へのロウ置きは、いずれの国々においてもまったく見いだせない。

タイ、プーケットのロウケツ染め
タイ、プーケットの
ロウケツ染め
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東南アジアのロウケツ染め
ジャワ更紗のロウケツ染め技法は、東南アジアでは、マレーシア、タイ、ミャンマーに波及している。
マレーシアでは、マレー半島東部のクランタンとトレンガヌが中心的な生産地であり、チャンティンやチャップを使用して、布の片面にロウ置きをおこない、ジャワ更紗と類似した腰巻やサロンがつくられてきた。それらはおもに国内で庶民の日常着としてもちいられてきたが、近年ではペナンなどで、壁飾り、ハンカチーフ、スカーフなどの観光工芸品も生産されている。
タイのロウケツ染めは、1970年代にマレーシアから伝えられたとされており、プーケットやチェンマイを中心として、おもに衣装や壁飾り、ハンカチーフやスカーフなどの観光工芸品がつくられている。ロウ置きには、チャンティンのほかに、プリント用の木版製や金属製のスタンプ、さらにはインド更紗の手描き用ロウ置き道具であるカラム・ペンも一部で使われている。また、バンコクの美術大学やチェンマイ近郊の身障者用の職業訓練校などでは、ロウケツ染めの実習もおこなわれている。
ミャンマーのロウケツ染めは、1990年代にシンガポールからもたらされたと伝えられている。現在、首都のヤンゴンとその周辺には10軒あまりの工房がある。それらの工房でのロウ置きには、もっぱら木のブロックに銅板を埋め込んだスタンプが使われている。ロウケツ染めの製品の多くは、ジャワ更紗のデザインを模倣したもので、それらはもっぱら国内で女性用のサロン(現地名称はロンジー)その他の衣装としてもちいられている。

蔦をモティーフにしたロウケツ染めの帯
蔦をモティーフにした
ロウケツ染めの帯
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日本のロウケツ染め
日本では奈良時代に唐から伝来したロウケツ染めがおこなわれていたが、その後に衰退した。
今日、日本のロウケツ染めは京友禅の染色技法のひとつに数えられ、キモノや帯のうちにはロウケツ染めによる模様染めがおこなわれており、伝統工芸や現代工芸の作家も輩出している。そうした現代のロウケツ染めは、明治時代の末頃、のちに京都工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)校長となった鶴巻鶴一がジャワ更紗の技術を導入してはじまったとされている。
ただし、そうした現代のロウケツ染めでは、ロウ置きには、おもに筆が使用されており、ジャワ更紗のロウ置き道具であるチャンティンやチャップの使用例はほとんど認められない。なお、ジャワ更紗は、紅毛船によって江戸時代にオランダ東インド会社の交易品としてもたらされたたとき以来、そこはかとない魅力的な布として日本人の心を惹きつけてきたようであり、インドネシアのジャワ島では、第2次世界大戦前から、おもに京都の室町筋で京呉服の商いをしてきた業者からの発注によって、断続的にキモノ用のバティックがつくられてきた。また、20世紀後半には、伊藤ふさ美をはじめとして、ジャワ島で技術を習得し、日本、あるいはインドネシアのジャワ島で、ロウケツ染めによる創作活動をしているアーティストも少なくない。

オーストラリア、アーナベラのロウケツ染め
オーストラリア、アーナベラの
ロウケツ染め
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オーストラリア、アーナベラのロウケツ染め
チャンティンによるロウ置き。
オーストラリア、アーナベラ。
アボリジニのロウケツ染め
オーストラリアでは1970年代に、いくつかのアボリジニのコミュニティーで、ジャワ更紗のロウケツ染め技法が取り入れられ、女性たちがチャンティンによるロウケツ染めをはじめた。それらは、イギリスの植民地統治のはじまりとともに荒廃する一方であったアボリジニの文化に対する、キリスト教のミッションとオーストラリア政府の指導や援助による文化復興プロジェクトの一環としておこなわれてきた。
アボリジニのロウケツ染めは、点描や線描、さらにはロウをまきちらして染めたアクション・ペインティング風のものなどさまざまで、それらの作品であるバティックは、アボリジニの女性たちによるあらたなアート&クラフトとして展開してきた。
アボリジニがロウケツ染めをはじめてすでに四半世紀が過ぎた今、もはやロウケツ染めをやめてしまったコミュニティーもあるものの、アボリジニのロウケツ染めの中心的なコミュニティーとして知られてきたアーナベラでは、今も活発な創作活動がつづいており、インドネシアのロウケツ染めのアーティストと連携した展覧会やワークショップなども開催されている。
また、最近になってはじまった陶器づくりでは、素焼きの土器にチャンティンを使ってロウで模様を描き、その後に釉薬(ゆうやく)をかけて焼成するという、ジャワ更紗のロウケツ染め技法を転用した新機軸の絵付けもおこなわれている。

バハマ、アンドロス島のロウケツ染め
バハマ、アンドロス島の
ロウケツ染め
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カリブ海諸国のロウケツ染め
カリブ海諸国では、1970年代以降にほとんどすべての国々で、欧米人によってジャワ更紗のロウケツ染め技法が導入されている。ロウケツ染めでは、おもに観光工芸品としての衣装や壁飾りなどがつくられている。また、海洋リゾートとしての自然環境以外に、観光資源のない島々では、ロウケツ染めの作業現場も貴重な観光スポットとして観光客に公開されている。
ジャワ更紗のロウケツ染め技法を導入した当初、ロウ置きにはチャンティンやチャップを使うことも多かったが、今日ではおもに筆を使用している例が多いようである。ただし、バハマのアンドロス島では、試行錯誤を繰り返しながら独自にスポンジを素材とした独特のロウのプリント用スタンプを考案しており、最近ではもっぱらこのスポンジ製のスタンプによってロウのプリントがおこなわれている。
また、スリナムでは産業としてのロウケツ染めはおこなわれていないが、洋画家として有名なスキ・イロディクロモ(Soeki Irodikromo)が、チャンティンや筆や刷毛を使ってバティック・ペインティングの作品を創作している。かれはスリナムがオランダ領ガイアナであった時代にインドネシアのジャワ島から移住してきた移民の3世で、首都パラマリボの高級ホテルのロビーには、民族衣装をまとったジャワ人をテーマにしたかれの大作が飾られている。


観覧料:一般830円(560円)、高校・大学生450円(250円)、小・中学生250円(130円)
※( )は20名以上の団体料金、および割引料金です。※上記料金で常設展も御覧になれます。
※割引料金対象者(要証明書)・・・大学等(短大・大学・大学院)の授業での利用、3ヶ月以内のリピーター、満65歳以上
※毎週土曜日は、小・中・高校生は無料。