国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

開館40周年記念・カナダ建国150周年記念企画展「カナダ先住民の文化の力―過去、現在、未来」|解説

本企画展に関する図録はありません。その代わりに、展示に関連する基本情報をインターネットによって公開いたします。誤りやご質問があれば、メールでご連絡下さい。
連絡先:inuit★idc.minpaku.ac.jp[★を@に置き換えてください]

岸上伸啓(国立民族学博物館教授)

 

開館40周年記念・カナダ建国150周年記念企画展「カナダ先住民の文化の力―過去、現在、未来」ページはこちら

 
展示趣旨

2017年にカナダは建国150周年を迎えました。カナダは多様な民族や文化の共生をめざす多文化主義の国として有名です。現在のカナダには建国以前から長い間さまざまな民族が住み、多様で豊かな文化を形成してきました。彼らはカナダ先住民と呼ばれていますが、16世紀ごろから始まるヨーロッパ人との接触を契機として、大きな社会変化を経験しました。とくに建国後の150年間はカナダ政府の先住民政策が彼らの生活に大きな影響を及ぼしました。しかしその一方で、彼らは独自の文化を継承するとともに、あらたな文化を創り出してきました。
カナダの多様な先住民文化は、現在のカナダ全体の文化の重要な一部を構成しています。本企画展では、カナダ政府と先住民との関係の歴史的変化を考慮しながら、カナダの北西海岸地域、平原地域、東部森林地域、亜極北地域、極北地域における活力に満ちた先住民文化を紹介します。この展示に接した皆様にとって、カナダ先住民と国家との関係やカナダ先住民文化の多様性とその将来について考えるきっかけになれば幸いです。

展示構成

本展示は、(1)導入と(2)地域別展示、(3)資料・画像紹介から構成されています。ここでは、建国150周年を迎えたカナダに住む先住民の多様で豊かな文化を228点の標本資料を用いて紹介します。


(*)この平面図は、展示構成を紹介するものです。一部展示品に変更があります。

展示品のリスト (クリックして下さい。)

 
1.はじめに

カナダの歴史や現状について動画とパネルで概略した後で、年表を利用して国家と先住民との関係を紹介します。

1-1.動画によるカナダの自然と文化の紹介(カナダ観光局提供)1-2.カナダについて
1-3.カナダ先住民1-4.カナダの五大文化領域
1-5.ヨーロッパ人による植民化とカナダ先住民1-6.カナダ先住民とヨーロッパ人との接触以降の主要な事件年表

◇1-1.動画によるカナダの自然と文化の紹介(カナダ観光局提供)

「カナダの自然」(上映時間:2分)と「カナダの多民族社会」(上映時間:2分)

◇1-2.カナダについて

北アメリカ大陸北部地域の大半を占めるカナダは、西は太平洋、東は大西洋に接する広大な国土を持つ国です。西端から東端までの距離は約5500キロメートル、北端から南端までの距離は約4600キロメートルです。国土の総面積は、約998万5千平方キロメートル(日本の約26倍)で、世界第2位です。一方で人口は約3650万人で日本の約3分の1です。10州3準州からなるカナダは、イギリス王・女王を君主とする立憲君主制をとる連邦国家で、首都はオタワです。英語とフランス語を公用語としています。同国には先住民だけでなくヨーロッパなどからのたくさんの移民が住んでいるため、多様な民族や文化の共存・共生を目指す多文化主義を国家の基本方針としています。また、カナダ政府はヨーロッパからの入植者とその子孫が先住民に対し行ってきた不適切な行いや問題を解決し、先住民と「和解」し、共生する努力をしています。


カナダの現代地図(在日カナダ大使館提供)

◇1-3.カナダ先住民

1982年発布のカナダ憲法では、カナダの先住民をインディアン、メイティ(メティス)、およびイヌイットであると明記しています。約615の民族から構成されているインディアンは、おもに極北地域をのぞくカナダ全土に住んでいます。彼らは、現在ではファースト・ネーションズ(First Nations)とよばれています。メイティ(Métis)は、ヨーロッパから来た毛皮交易者と先住民女性のあいだに生まれた人たちの子孫で、独自の文化と言語を形成してきた人びとであり、おもに大平原地域に居住しています。イヌイット(Inuit)は、極北地域の狩猟漁労民であり、イヌイット語を母語とする人びとです。2011年時の人口は、それぞれ約85万人、約45万人、約6万人の総計約140万人です。これはカナダの総人口の約4%に相当します。現在では、大半の人びとがふるさとを離れ、都市部や都市周辺に居住しています。なお、国際的に見ると先住民はインディジェナス・ピープル(Indigenous People)と呼ばれることが多くなってきていますが、最近のカナダではカナダの先住民のことをファースト・ピープル(First People)と呼んでいます。

◇1-4.カナダの五大文化領域

類似した自然環境に類似した生業で適応すると、民族はことなっていても類似した生活様式が形成されることがあります。特定の自然環境とその環境の中ではぐくまれてきた諸先住民文化の類似性に着目すると、ヨーロッパ人と接触し始めた頃のカナダ先住民文化は、自然環境の違いに対応させて大きく5つの大文化領域に分けることができます。すなわち、北西海岸地域、大平原地域、東部森林地域、亜極北地域、極北地域です。


カナダの五大文化領域

◇1-5.ヨーロッパ人による植民化とカナダ先住民

1500年代にはヨーロッパからフランス人やイギリス人がカナダ東部に到来しました。当初は、彼らと先住民は毛皮交易を通して互恵的な関係にありましたが、その利権やフランスとイギリスとの争いをめぐって先住民とヨーロッパ人の間や先住民間で対立が生じました。徐々にヨーロッパ人による植民化が進み、1867年にカナダ(国家)が成立すると、政府は先住民と土地譲渡条約を締結し、保留地(リザーブ)と保護(安全保障)、金銭的な補償と引き換えに、彼らから土地を奪い取りました。また、政府は先住民を国家の中に取りこもうと、同化政策や国民化政策を実施しました。19世紀後半から20世紀半ばまでポトラッチ儀礼・サンダンスの実施やトーテムポールの製作を法律で禁止したこともありました。しかし、1960年代以降に米国での黒人公民権運動やアメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)の権利獲得運動の影響を受け、カナダにおいても先住民の諸権利の獲得や先住民文化の復興を目的とした運動が盛んになりました。1970年代半ば以降、各地の先住民族はカナダ政府との政治交渉を通して土地権などを獲得し、政治的な自律化の道を歩み始めています。

◇1-6.カナダ先住民とヨーロッパ人との接触以降の主要な事件年表

10世紀 グリーンランドを経由してカナダ東北部にバイキングが到来
1497年 イギリス人ジョン・カボットがニューファンドランドの領有権を主張 16世紀初頭 ポルトガル人やスペイン人、バスク人、フランス人、イギリス人の漁師がタラ漁のためにカナダ東部地域に季節的に来訪
1534年 フランス人ジャック・カルティエがセント・ローレンス川の沿岸地帯をフランス領と宣言
16世紀から毛皮交易が盛んになる。英仏の毛皮争奪戦が展開
1670年 ハドソン湾会社の設立
1763年 英王布告(the Royal Proclamation)、北アメリカにおけるイギリスの覇権の確立
1867年 カナダ建国。英領北アメリカ法の制定によりカナダ連邦(自治領)の成立
1876年 カナダ政府によるインディアン法の制定
1871年~1921年 カナダ政府は西部地域の先住民族と土地割譲条約を結び、スペリオル瑚からロッキー山脈および北西部地域までの広大な土地を取得
1884年 ポトラッチ等の先住民儀礼の禁止
1885年 カナダの東西を結ぶカナダ太平洋鉄道が完成、大平原地域のメイティが政府に反発
1951年 ポトラッチ等の先住民儀礼の解禁
1971年 多文化主義を国の指針とするとのピエール・トルドー首相による提案
1973年 カナダ最高裁が先住民族の土地権原(aboriginal title)をはじめて認める。連邦政府は先住民族と土地権に関して交渉する意志を表明
1975年 カナダで最初の土地権に関する合意「ジェイムズ湾および北ケベック協定」の成立
1982年 先住民の権利を憲法第35条で保障
1988年 多文化主義法の成立
1995年 先住民族の自治を認める政策を採用
2008年 カナダ首相が先住民の寄宿舎学校での過ちを認め、公式に謝罪し、真実和解委員会を設置
2016年 カナダ政府は先住民族権利宣言の国内適用を公式に表明

 
2.地域別展示

各地域の先住民文化の現在の姿を紹介します。

2-1.北西海岸地域の先住民文化2-2.大平原地域の先住民文化2-3.東部森林地域の先住民文化
2-4.亜極北地域の先住民文化2-5.極北地域の先住民文化

◇2-1.北西海岸地域の先住民文化

北アメリカ大陸の太平洋に面したアラスカ南東部から現在のオレゴン州あたりまでの海岸地域を北西海岸地域と呼びます。この地域にはトリンギット(Tlingit)やハイダ(Haida)、クワクワカワクゥ(Kwakwakawakw)、ヌーチャーヌヒ(Nuu-Chah-Nulth)、セイリッシュ(Salish)など多数の民族が6000年以上も前から住んでいます。彼らは異なる言葉を話しますが、比較的温暖で、雨の多いこの地域で豊富な森林資源と海産資源を利用し、定住性が高く、貧富の格差やはっきりした上下関係があり、複雑な社会組織や儀礼を有する文化を形成しました。彼らの文化は、巨木を利用したトーテムポールや大型丸木舟の製作、大きな家屋の建設、さらにポトラッチと呼ばれる大規模な祝宴をともなう儀礼を実施したことで有名です。この地域の神話には様々な動物が登場しますが、なかでもワタリガラスは重要な役割を果たしています。
1778年以降はラッコ毛皮の交易が盛んになり、欧米人と交易を始めました。カナダ政府は文明化を促進するために、19世紀後半から20世紀半ばにかけてポトラッチの開催やトーテムポールの製作を禁止しました。その結果、先住民文化は大きなダメージを受けましたが、20世紀の後半より解禁され、同地域の先住民は伝統文化を継承しつつ新たな文化を創りだしつつあります。現在では、版画や伝統的な木・樹皮製工芸品などを制作しています。
また、この地域の先住民はイギリス政府やカナダ政府と土地譲渡条約を結んでいなかったので、1970年代半ば以降から集団ごとに先住民の諸権利の獲得をめざしてカナダ政府やブリィティッシュコロンビア州政府と政治的な交渉を行っています。ニスガ(Nisga’a)やヌーチャーヌヒなどのいくつかの集団は土地権をふくむ先住民の諸権利を既に手に入れています。


北西海岸地域
 

北西海岸地域の自然環境
カナダ・バンクーバー島トフィノ、2006年2月、岸上伸啓(撮影)
 

ハイダ民族のポトラッチの様子
カナダ・クィーンシャーロット島マセット、2006年8月、岸上伸啓(撮影)
 

ハイダ民族のトーテムポールの建立
カナダ・クィーンシャーロット島マセット、2006年8月、岸上伸啓(撮影)
 

クワクワカワクゥの博物館・文化センター、ウミスタ文化センター
カナダ・バンクーバー島地域アラートベイ、2017年7月、岸上伸啓(撮影)
 

2017年のトライバル・ジャーニーズの様子
カナダ・バンクーバー島キャンベルリバー、2017年8月、岸上伸啓(撮影)
 

◆ ラッコ

1790年代から1830年代にかけて、イギリス人やアメリカ人の交易者がラッコの毛皮を求めて北西海岸地域にやってきました。彼らは中国に毛皮を持って行き高値で販売し、巨万の富を築きました。一方、北西海岸先住民もラッコ毛皮の交易によってビーズやナイフ、道具や武具など欧米製品を入手しました。毛皮交易によって富みを蓄積し、新たな道具を手に入れた人びとは、かつてよりはるかに大きなトーテムポールを製作し、より盛大なポトラッチ儀礼を開催するようになりました。同地域の文化の隆盛は、毛皮交易の結果であると考えられています。

◆ ワタリガラス

北西海岸地域には、ワタリガラスにまつわるたくさんの話が伝わっています。ワタリガラスは貝殻の中にいた人間を解放した創造神のような存在であり、箱の中に閉じ込められていた太陽を盗んで暗闇の世界に光をもたらした存在であるとも言い伝えられてきました。一方、人をだましたり、過ちを犯したりするおろかな存在でもありました。さまざまな話に出てくるワタリガラスは、北西海岸先住民にとって特別な動物です。


ワタリガラス
カナダ・バンクーバー島地域博物館、1990年代、岸上伸啓(撮影)
 

◇2-2.大平原地域の先住民文化

大平原地域には約1万1千年前から人類が住みはじめ、約9000年前から中心的な生業としてバッファロー(野牛)狩りを始めました。その後、野生植物の採集や小規模な農耕も行うようになりました。ところが、18世紀前半にヨーロッパ人や他地域の先住民を介して馬が入ってくると、バッファロー狩りに馬を用いるようになりました。さらに毛皮交易では馬の運搬力を利用し、他地域の先住民とヨーロッパ人交易者との仲介者の役割を果たしました。そのため、この地域では在来のバッファローと外来の馬が重要な動物でした。カナダ政府は同地域の先住民と1871年から1889年にかけて土地譲渡条約を結びました。その結果、ブラックフット(Blackfoot)やアシニボイン(Assiniboine)、平原クリー(Plain Cree)、平原オジブウェ(PlainOjibwe)などの先住民はリザーブ(保留地)に住み、農業や牧畜業を行うようになりました。この地域の先住民によるサンダンスとパウワウのお祭りは有名です。
この地域の先住民女性のなかにはヨーロッパ人の毛皮交易者と子どもを持つ者が多くいました。そうして生まれた人びととその子孫は、メイティ(Métis、メティス Metis)と呼ばれ、独自の文化と言語を形成しました。彼らは、おもにカナダの中部諸州で生活を営んできました。しかし、カナダ政府はメイティを先住民とはみなさなかったため、土地譲渡条約を結びませんでした。1885年にカナダの東西を結ぶカナダ太平洋鉄道が完成すると、ヨーロッパ人の入植者が増加したため、土地の利用や所有をめぐってメイティが政府に反発し、ルイ・リエル(Lois Riel)をリーダーとして武力行使をしたこともありました。1982年憲法ではじめてメティスは先住民と認定されました。現在、大平原地域のメイティの人びとは、農業や牧畜業に従事しています。


大平原地域
 

大平原地域の自然環境
サスカチュワン州サスカトーン近郊、2016年6月 岸上伸啓(撮影)
 

ワヌスケウィン文化遺産センター
サスカチュワン州サスカトーン近郊、2016年6月 岸上伸啓(撮影)
 

◆ バッファロー(バイソン)

バイソンとも呼ばれるバッファロー(野牛)は、大平原地域に多数、生息していました。夏には平原で大きな群れを形成し、冬には渓谷などに移動し分散するという習性を持っています。この地域の先住民にとってバッファローの肉は食料となり、毛皮は衣類やティピ(テント)の材料として、さらには交易品として重要でした。しかし、1880年頃からバッファローは激減し、絶滅状態に陥りました。現在では人為的に保護し、その数は増えつつあります。また、食肉用に牧畜も行われています。


バッファロー
サスカチュワン州サスカトーン近郊ワヌスケウィン文化遺産センター、2016年6月 岸上伸啓(撮影)
 

◇2-3.東部森林地域の先住民文化

五大湖周辺の東部森林地域には多くの先住民のグループが住んできました。彼らの生業はトウモロコシ、カボチャ、マメを栽培する農耕で、それに加えてシカ狩りや漁撈、野生植物の採集も行っていました。彼らは7000年以上前から自然銅を利用し、2500年前には土器を製作していたことが知られています。
五大湖の東側にはイロコイ同盟を結成したセネカとカユーガ、オノンダガ、オネイダ、モホーク、タスカローラが、その東方にはモホークやミクマックが、五大湖の北側にはヒューロンが、北西側にはオジブウェが住んでいました。
イロコイ同盟に属する先住民は、複数のロングハウスから構成される村に住んでいました。複雑な政治組織が特徴で、代表者の合議制による政治スタイルは、現代の民主主義制度の起源のひとつと考えられています。また、年長の女性が強い影響力を持っていたことも知られています。
16世紀ごろにヨーロッパ人がこの地域に到来すると、先住民は彼らと毛皮交易を行うようになりました。また、毛皮の産地が西方および西北方に拡大するとともに、交易の仲介者としても活躍しました。ヒューロンはニューフランス(現ケベック州)のフランス人と交易し、イロコイ同盟の諸集団は、現在のアメリカ合衆国東北部地域のオランダ人やイギリス人と交易していました。
この地域の先住民の多くは、1784年から1923年にかけてイギリス政府やカナダ政府と土地譲渡条約を結びました。その結果、各地に創られた保留地(リザーブ)に移り住み、農業や牧畜を営むようになりました。現在、彼らは政治的な自治化をめざすとともに、文化復興に力を入れています。


東部森林地域
 

五大湖周辺の風景
オンタリオ州オンタリオ湖サウザンド諸島、ワールド航空サービス提供
 

マラシートの文化教育用サマーキャンプの様子
ニューブランズウィック州フレデリクトン近郊、1996年7月、岸上伸啓(撮影)
 

モホークの踊り
モントリオール先住民友好センター、1997年6月、岸上伸啓(撮影)
 

セント・メリーズ保留地
ニューブランズウィック州フレデリクトン近郊、1996年7月、岸上伸啓(撮影)
 

◆ 亀

五大湖周辺の先住民に伝わっている神話によると、偉大なる精霊が巨大な亀のこうらの上に人間の世界を作ったそうです。このため、亀はこの地域の先住民にとって非常に大切な動物と信じられています。

 

◇2-4.亜極北地域の先住民文化

カナダ北方の広大なツンドラ地帯と南部の平原・森林地帯の間には、寒冷針葉樹林(タイガ)地帯が東西に帯状に広がっています。この亜極北地域の気温は、夏は20度以上になりますが、冬は零下20度以下に極端に下がります。この地域には、アルゴンキン語族のクリー(Cree)や、ナスカピ(Naskapi)、オジブウェ(Ojibwe)やアサバスカン語族のグィッチン(Gwich’in)やチペワイヤン(Chipewayan)などの人びとが、季節的な移動を繰り返しながら生活してきました。彼らの生業は従来、ヘラジカや野生トナカイ、渡り鳥などの狩猟やサケ・マス類の漁労、ベリー類の採集でした。17世紀になると、ビーバーやテン、カワウソなどを捕獲し、その毛皮を欧米人と交易し始めました。1960年代ごろまで狩猟・漁労や毛皮交易によって生活を営んできました。現在では、村に住宅をかまえて定住し、夏や冬にキャンプ地に出向き、狩猟・漁労や罠猟をしています。
カナダにやってきたヨーロッパ人は、農業や牧畜に不向きなこの地域にあまり関心を示さなかったため、カナダ政府はこの地域に住む先住民と土地譲渡条約を結んでいませんでした。このため、1970年代から交渉を開始し、1975年にはケベック州北部に住むクリーがカナダではじめての土地権に関する総合協定である「ジェームズ湾および北ケベック協定」を締結しました。1984年にはその東側に住むナスカピがクリー・ナスカピ法によってカナダではじめての先住民自治政府を樹立しました。


東部森林地域
 

北方針葉樹林
ユーコン準州リアド川上流、2013年8月、山口未花子(岐阜大学・撮影)
 

ヘラジカを解体する古老
ユーコン準州リアド川上流、2013年8月、山口未花子(岐阜大学・撮影)
 

◆ ビーバー

亜極北地域の河川や湖、池などの湿地にはたくさんのビーバーが生息しています。先住民はビーバーの肉を食べ、その毛皮を衣類の素材として利用してきました。
17世紀のヨーロッパでは、ビーバーの毛皮を原料としたフェルトの山高帽の人気が高まったため、カナダ北部は当時ビーバー毛皮の世界的供給地となりました。カナダ先住民はビーバーを捕獲し、その毛皮をヨーロッパ人の交易者にわたし、その見返りにナイフや銃器、布地、ビーズなどのヨーロッパ製品を手に入れていました。19世紀初めには乱獲により絶滅寸前まで追い込まれたため、カナダやアメリカでは保護法が作られました。その後、生息数は増加しています。


ビーバー
ニューファンド・ラブラドル州立ルームズ博物館、2016年7月、岸上伸啓(撮影)
 

◇2-5.極北地域の先住民文化

カナダの北方には広大なツンドラ地帯が広がっています。夏でも月間平均気温が10度以下で、冬には零下20度以下になります。高木がほとんど育たないこの厳しい自然のなかでは農業ができません。先住民イヌイットは、4000年ほど前からアザラシやセイウチ、カリブー(野生トナカイ)を狩り、ホッキョクイワナを捕って生活をしてきました。20世紀に入ると欧米人を相手にホッキョクギツネの毛皮やアザラシの毛皮を交易するようになりました。これまで季節移動をしていたイヌイットは1950年代から定住生活をするようになりました。現在、彼らは村で賃金労働に従事していますが、週末や夏休みには狩猟や漁労をしています。
 ヨーロッパ人は農業や牧畜ができないこの地域には関心を持たなかったため、イギリス政府もカナダ政府もイヌイットといかなる土地譲渡条約を結びませんでした。しかし1970年代半ばから政治的な話し合いを開始し、1975年にはケベック州北部のイヌイットが土地権に関する協定を結んだのを皮切りに、その他の地域のイヌイットもそれに続きました。これによってカナダ極北地域のイヌイットは、所有権や利用権、狩猟・漁労権、言語権などを手に入れました。


極北地域
 

極北地域の冬の自然環境
ケベック州(ヌナヴィク)アクリヴィク村の周辺、2004年2月、岸上伸啓(撮影)
 

極北地域の夏の自然環境
ケベック州(ヌナヴィク)アクリヴィク村の周辺、1990年代、岸上伸啓(撮影)
 

カナダ・イヌイットの村の風景
ケベック州(ヌナヴィク)アクリヴィク村、2016年11月、岸上伸啓(撮影)
 

カナダ・イヌイットの海獣狩猟
ケベック州(ヌナヴィク)アクリヴィク村周辺、1990年代、岸上伸啓(撮影)
 

◆ 極北地域を象徴する動物「ホッキョクグマ」

北極地域における百獣の王(である)ホッキョクグマは、イヌイットにとって特別な生き物です。イヌイットの昔話によると、ホッキョクグマは巣穴に帰って毛皮を脱ぐと人間と同じ姿になり、人間と同じような家族生活を送っていたそうです。また、強力なシャーマンはホッキョクグマに変身し、アザラシを捕ることができたと伝えられています。近年、イヌイットのアーティストはホッキョクグマの石製彫刻品や版画を好んで制作しています。


ホッキョクグマ
カナダケベック州ヌナヴィク地域、1990年代、ボブ・メッシャー(Bob Mesher・撮影)
 
3.民博収蔵北米北方先住民文化のデータベースと画像によるカナダ紹介

◇3-1.北米北方先住民関連文化資源データベース

国立民族学博物館には今回の展示では紹介しきれない約3000点の北アメリカの北方先住民の資料があります。このPCには、本館が収蔵している北アメリカ北方地域先住民の標本資料に関する情報がおさめられたデータベースが入っており、標本資料情報を検索することができます。なお、このデータベースは開発中のフォーラム型情報ミュージアムの成果の一部です。

◇3-2.カナダ全州・準州の画像による紹介

カナダの10州や3準州の写真を約60枚見ることができます。カナダの雄大な自然やと社会・文化の魅力の多様性を見ることができます。なお、画像はカナダ観光局の提供によるものです。

 
 
展示クレジット

主催:国立民族学博物館
後援:在日本カナダ大使館、日本カナダ学会
協力:カナダ観光局、カナダ歴史博物館、ブリティッシュコロンビア大学人類学博物館、アヴァタック文化研究所、マッコード博物館、ケベック州立文明博物館

企画展実行委員会
岸上伸啓(国立民族学博物館教授)実行委員長
伊藤敦規(国立民族学博物館准教授)
齋藤玲子(国立民族学博物館准教授)

協力者
ジェイムズ・サベール(James Savelle, 国立民族学博物館・マッギル大学)、田主誠(版画家)、タレナ・アットフィールド(Talena Atfield, カナダ歴史博物館)、グイスレン・レメイ(Guislaine Lemay, マッコード博物館)、ジャン・タングェイ(Jean Tanguay, ケベック州立文明博物館)、シルヴィ・コテ=チュー(Sylvie Cote-Chew, アヴァタック文化研究所)、永井文也(京都大学)、山口未花子(岐阜大学)ほか

展示設計:フジイ企画

*本展示を企画・準備し、実施するにあたりご助力を頂戴した関係諸機関および協力者の皆様に心よりお礼を申し上げます。

カナダ全般に関する文献紹介

飯野正子・竹中豊編(2013)『現代カナダを知るための57章』東京:明石書店。
飯野正子・竹中豊編(2012)『カナダを旅する37章』東京:明石書店。
小塩和人・岸上伸啓編(2006)『アメリカ・カナダ』(朝倉世界地理講座13)東京: 朝倉書店。
小畑精和・竹中豊編(2010)『ケベックを知るための54章』東京:明石書店。
加藤普章(1990)『多元国家カナダの実験―連邦主義・先住民・憲法改正』東京:未来社。
カナダ学会編(2009)『はじめて出会うカナダ』東京:有斐閣。
細川道久(2017)『カナダの歴史を知るための50章』東京:明石書店。

カナダの先住民文化を学ぶための文献紹介

浅井晃(2004)『カナダ先住民の世界―インディアン・イヌイット・メティスを知る』東京:彩流社。
煎本孝(1983)『カナダ・インディアンの世界から』東京:福音館。
大村敬一(2013)『カナダ・イヌイトの民族誌 日常的実践のダイナミクス』大阪:大阪大学出版会。
岸上伸啓(1998)『極北の民 カナダ・イヌイット』東京:弘文堂。
岸上伸啓(2005)『イヌイット』(中公新書)東京:中央公論新社。
岸上伸啓(2007)『カナダ・イヌイットの社会変化と食文化』京都:世界思想社。
岸上伸啓編(2005)『極北』東京:農文協。
国立民族学編(岸上伸啓責任編集)(2009)『自然の声 命のかたち ―カナダ先住民の生みだす美』京都:昭和堂。
齋藤玲子・大村敬一・岸上伸啓編(2010)『極北と森林の記憶 イヌイットと北西海岸インディアンの版画』京都:昭和堂。
ヒラリー・スチュアート(1987)『海と川のインディアン―自然とわざとくらし』(木村英明・木村アヤ子訳)東京:雄山閣出版。
スチュアートヘンリ編(1996)『採集狩猟民の現在 生業文化の変容と再生』東京:言叢社。
立川陽仁(2009)『カナダ先住民と近代産業の民族誌―北西海岸におけるサケ漁業と先住民漁師による技術的適応』東京:御茶ノ水書房。
富田虎男・スチュアートヘンリ編(2005)『07 北米 講座 世界の先住民族―ファースト・ピープルズの現在―』東京:明石書店。
原ひろ子(1989)『ヘヤー・インディアンとその世界』東京:平凡社。
本多勝一(1972)『カナダ・エスキモー』東京:すずさわ書店。
山口未花子(2014)『ヘラジカの贈り物―北方狩猟民カスカと動物の自然誌』横浜:春風社。

 
お問い合わせ:〒565-8511 大阪府吹田市千里万博公園10番1号 Tel:06-6876-2151(代)