国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

コレクション展示「世界の民族服と日本の洋装100年 ─ 田中千代コレクション」

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田口理恵(たぐち りえ)
東京大学東洋文化研究所非常勤講師 民博外来研究員
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インドネシアのスンバ島で織られている布を取り上げ、産地社会の現状を複眼的に捉えるため、生産、布の利用、布の売買や海外への流通・消費と、幅広くフィールドワークを行ってきた。スンバ島、インドネシアから、日本、そしてアジアと視野を広げつつ、モノづくりを担う人々の暮らしについて考えていきたい。文化人類学専攻。博士(学術)。風響社より『ものづくりの人類学-インドネシア・スンバ島の布織る村の生活誌』を刊行予定。こうご期待!
田中千代と大村しげ

田口理恵
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今回公開された田中千代コレクションが国立民族学博物館に寄贈されたのは、2000年の暮れのことである。実はその年、民博は、二つのコレクションを得ており、もう一つのコレクションというのが大村しげコレクションである。くしくも、田中千代が永眠した同じ年に、もうひとつのコレクションの主である大村しげも、バリ島の病院で81年の生涯を閉じている。世 界の民俗衣装蒐集をインドネシア旅行から始めた千代と、人生の締めくくりをインドネシアで迎えたしげと、二人の女性の遺産が同じ年に民博にやって来たことに、なにかしら不思議な縁を感じる。

1918年に京都祇園の仕出屋の娘として生まれた大村しげは、京都に住まい、精力的な執筆活動を通して、「おばんざい」や着物の暮らしなど、伝統的な京都の暮らしぶりを表現してきた人である。大村しげコレクションは、彼女が暮らした姉小路の借家にあった生活道具の一切合財からなる。それらは、彼女の日常を取り巻いてきたモノたちであり、彼女が使い、あるいは 捨てずに蓄えてきた膨大な量のモノたちである。その整理作業は現在もまだ進行中である。

私は2001年4月より、衣類・布資料の整理作業に関わってきた。数々の衣裳箱や柳行李(やなぎごうり)をあけ、箪笥(たんす)の引き出しそれぞれの中身を吟味する機会を得た。そこには、彼女が晩年に来た衣類のみならず、彼女の娘時代の着物類や父親の着物、仕出屋での仕事着、国民服までと、様々なものが含まれていた。約1年の作業で、2,346件、4,942点(2002年5月で確認時点)を数えた衣類・布資料は、彼女の生き様と生活の実態を映すものである。袷(はかま)、単衣(ひとえ)の着物や羽織、帯などの和装類から、バティックで仕立てたサマードレス、既製服、下着、袋物と、着物類を解いた大量のハギレ類まで、多彩多様な布の形態が見て取れる。日本における洋装化100年の経過に照らせば、大村しげコレクション内の布の群れは、大正時代以降の変化に沿いつつ蓄えられたものと言える。

服飾史や風俗史の描く衣装の変化そのままに、個々人が着る物を選んできたわけではないだろう。それぞれの生活条件と好みに応じて、時と場合に応じて、着るものは選ばれる。大村しげが残した衣類・布資料は、洋装化に向う時代の流れを、個人がどのように生きたのかを具体的に示す資料となる。一方の田中千代コレクションは、日本における洋装化の最前線にたち、時代の方向を舵取りしてきた千代の活動の軌跡を映すものである。これら2つのコレクションは、日本人の衣生活のダイナミックな変化をたどるうえで補完的な価値をもつ。コレクションには、個々人の思いや生き様が反映されており、モノに付随する人の生の重みを引き受けつつ、そこから何を引き出し、いかに生かしていくかを、今の我々は問われている。

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『月刊みんぱく』8月号表紙写真の説明より