みんぱく世界の旅
- 点字で世界旅行(2) 『毎日小学生新聞』掲載 2015年2月14日刊行
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広瀬浩二郎(国立民族学博物館准教授)
日本で最初の展示図書館
日本点字図書館を創立した本間一夫さん僕は京都の大学に進学するまで、東京でくらしていました。杉並区立若杉小学校を卒業しています。小学生のころは塾に通うこともなく、学校の授業が終わると、いつも友達と遊んでいました。のんびりした時代だったなあと思います。学校の近くに古い商店街があり、いろいろなお店の子どもが同級生にいました。彼らの家(店)に遊びに行き、さまざまな大人と出会ったのもなつかしい思い出です。
今でも、たまに東京に帰ると、ほんとうにいろんな人がいるなあと感じます。最近は外国の方も増えましたね。それぞれに異なる個性をもつ人が集まることにより、東京の町のパワーが生まれているのでしょう。
日本点字図書館好きな本がたくさん
僕は小学5年生のころから視力が下がり、周囲のものが見えにくくなりました。好きな本を読めなくなったのがつらかったことを覚えています。そんなとき、日本点字図書館を知りました。ここは、1940年に本間一夫さんによってつくられた日本で最初の本格的な点字図書館です。本間さんは幼いころに目が見えなくなり、北海道の盲学校で点字に出会いました。点字を学び、「自分で本が読める」喜びを味わう一方、点字の本があまりにも少ないことにショックを受けます。彼は多くの人に協力してもらい、大学を卒業後、東京で点字図書館をはじめました。
点字奉者と呼ばれたボランティア=いずれも日本点字図書館提供ボランティアたちの熱意によって
現在、点訳(目で見る文字を点字にすること)ではパソコン、点字プリンタが使われています。本間さんの時代には、ボランティアが点字器で一文字ずつ点字を書いていました。そのころ、ボランティアは「奉仕者」とよばれていましたが、1冊の点字の本をつくるためには根気と集中力が必要だったのです。本間さんの取り組みを支えていたのは、点字図書館の本を少しずつ増やしていったボランティアたちの熱意なのでしょう。
今年は日本点字図書館ができて75年、本間さんが生まれて100年の記念の年です。僕は今日まで、たくさんの点字本を通じて、読書を楽しんできました。今はインターネットでいろいろな知識を得ることができますが、やはりじっくり点字の本を読む時間は僕にとって大切です。1冊の点字の本には、作者だけでなく、ルイ・ブライユや本間さん、点訳者、図書館員など、さまざまな人の思いがこめられています。さまざまな人の知恵と力が集まる東京だからこそ、日本最大の点字図書館を育てることができたのかもしれません。
シリーズの他のコラムを読む
- 点字で世界旅行(1)
- 点字で世界旅行(2)
- 点字で世界旅行(3)
- 点字で世界旅行(4)