国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

みんぱく世界の旅

アフリカ発掘調査(1) 『毎日小学生新聞』掲載 2015年3月7日刊行
竹沢尚一郎(国立民族学博物館教授)


サハラ砂漠中央の世界遺産「タッシリ・ナジェール」。ここにはたくさんの岩絵がのこされています


船に乗ってサハラでカバ狩りをしている狩人たちの岩絵もあります

その昔、サハラは草原だった

アフリカの北側には、サハラ砂漠という世界最大の砂漠があります。砂漠といっても、砂だけがあるのではなく、高い山もあれば、岩もあります。ただ、1年中、雨がほとんど降らないので、草や木の生えない乾燥地が広がっているのです。

サハラ砂漠の北側には地中海があり、沿岸には多くの町や都市があります。砂漠の南側にはニジェール川やセネガル川という大きな川があり、そこにもたくさん人が住んでいます。しかし、その間の砂漠に暮らしているのは、乾燥に強いラクダや羊を飼育するトゥアレグ人だけです。彼らはラクダや羊の乳を飲み、砂漠を横断して商品を運ぶことで、生活を成り立たせてきたのです。

とはいっても、昔から砂漠が広がっていたわけではありません。砂漠の中にはあちこちに岩山があり、その岩の壁にはたくさんの絵が描かれています。それを見ると、キリンやゾウやカバなどの草原に住む動物が描かれ、狩をする人々の姿もあります。サハラは遠い昔には、草原の広がる緑の大地だったのです。

いつ? どうして?

いつごろ草原が砂漠に変わったのでしょうか。地球は昔、氷河期といって、氷がたくさんある寒い時期がありました。それが終わったのが約1万年前。そのころから地球は暖かくなり、アフリカでは乾燥化が進みました。サハラの草原は今から5千年程前には終わって、砂漠になったと考えられています。そして、砂漠に住んでいた人々は南に下って、農業を始めました。アフリカの文明の誕生です。

私はこの15年ほどの間、サハラ砂漠のすぐ南側で発掘をおこなって、アフリカの歴史を明らかにしてきました。サハラ砂漠の南側で、最初の国家が誕生したのが5世紀ごろ。日本より少しおそいだけです。砂漠の南側のアフリカの歴史を、4回に分けて考えてみましょう。


私たちが発掘をしているそばを、市場で売られるラクダが毎週のように通っていきます
 

一口メモ

アフリカというと、どんなイメージがうかぶでしょうか。アフリカにも豊かな歴史がありますが、これまであまり研究されてきませんでした。考古学によって何が明らかになったか、最新の情報を伝えます。

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