みんぱく世界の旅
- アラブ世界(2) 『毎日小学生新聞』掲載 2015年5月9日刊行
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菅瀬晶子(国立民族学博物館助教)
シイエス・キリストの復活祭の1週間前に行われる「しゅろの主日」のパレード=ガリラヤ地方、ハイファで -
共存する二つの宗教
私が初めてアラブの人々と、個人的な交流を持つようになったのは、1993年のことです。パレスチナのヨルダン川西岸地区に2か月半、大学のアラビア語夏期講習に参加したのですが、そのときの担当だったムーサー先生は、イスラム教徒ではなくキリスト教徒でした。
世界最初のキリスト教徒の子孫
マロン派カトリックという宗派の子どもの洗礼式=ガリラヤ地方、クフル・ビルアムでアラブ諸国の中でも、東地中海沿岸とその周辺には、キリスト教徒が多く住んでいます。シリアやパレスチナでは人口の1割前後、レバノンでは4割をしめ、場所によってはキリスト教徒しか住んでいない村もあります。その歴史は古く、彼らこそが文字通り、世界最初のキリスト教徒の子孫たちです。キリスト教徒が救世主とあがめるイエスが、パレスチナで生まれ育ったことを考えれば、不思議ではないでしょう。彼らは自分たちの祖先が、イエスやその弟子たちから直接教えを受けた人々だと信じ、そのことをとてもほこりに思っています。
毎週日曜朝の礼拝は、社交の場でもあります。礼拝が終わると、みなおしゃべりに興じます=ヨルダン川西岸地区、アル・ハディルで7世紀にイスラム教がアラビア半島で誕生して以降、シリアやパレスチナなど、アラブの国々に住む人々の祖先の多くは、イスラムに改宗しました。しかし一部のキリスト教徒は、税金を払うことを条件に、信仰の自由を許されました。イスラム教徒はキリスト教徒を共存し、ともに生きてきたのです。キリスト教徒は教養の高さから、ときにはイスラム世界の文化を主導する立場に立ちました。今でも映画監督や作家には、キリスト教徒が多いです。「イスラムの歴史のなかに、キリスト教徒は内包されてきた。けれどもその礎を築いたのは、私たちキリスト教徒だよ」。私の友人たちは、そう言って胸を張ります。
一口メモ
イスラム教徒とキリスト教徒に、服装上のちがいはあまりなく、見分ける手がかりはペンダントです。キリスト教徒のほとんどは、十字架や聖母マリアのペンダントを身につけたり、入れ墨をしている男性もいます。シリーズの他のコラムを読む