国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学者の仕事場:Vol.3 立川武蔵―近代と日本仏教

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─ キリスト教とかイスラム教、それからユダヤ教といった旧約聖書の宗教世界、それからヒンドゥイズムなどでは、復興運動といいますか、いわゆる原理的な動きがでてきてます。そういうなかで、日本の諸宗教ははっきりしないまま、存在意義があきらかではないままなようにおもうんです。拠り所をなくしてしまっているというんでしょうか。
立川 ただですね、いまわたしが申しあげたのは既成教団に関してでありまして、新宗教や新新宗教の方へ目を向けますと、創価学会、立正佼成会、霊友会、天理教、黒住教、金光教、それから世界救世教にしましても、それぞれすごいエネルギーをもっている。それらをトータルしますと、日本のなかでも宗教エネルギーというのはかなりあるんです。徳川以降、仏教の既成教団はどんどん力を失ってゆく。これは、わたくしは室町の後半からはじまっているとおもうんです。室町の前半までは、仏教というのは創造的だったとおもうんです。そのあと、どんどん力を失っていく。その一方で、教派神道系の宗教がでてくる。また、日蓮の法華宗をバックにした仏教が、いわゆる近代化を遂行したんです。徳川の中頃あたりから考えますと、今の時代は、教派神道の方の時代に入ってきているんじゃないかとおもうんです。鍵は、わたしがおもうに、近代というものに対して仏教がどのように対処したかということなんですよ。近代における仏教の特徴は、私有財産というものをどのように評価したかということと、労働というものをどう評価したかということにあるとわたくしはおもうんです。労働とそれによって得た財を、宗教がどう肯定的に位置づけたかということだとおもうんです。創価学会でも、ご存じのように、真善美といわずに利善美といってるわけでしょう。ということは、利ということを積極的にうちだしたわけですね。これは、いい悪いは別にしまして、仏教の近代化だったんですね。
─ 徳川時代に仏教の既成教団が檀家制度と結びついて、また祖先崇拝と結びついてしまったということが力を失っていったひとつの原因だとよくいわれますが。
立川 1630年代だとおもうんですが、寺請制度というのが確立していきます。それは、幕府が仏教の寺院に命じたわけでは決してなかったそうですね。むしろ、お寺側が幕府の方針を先取りして、2000万人の国民を全部仏教徒にしてしまった。自分の檀家になりますから。そのときには、仏教はそれでいけるとおもったんでしょう。でも、それがかえって命取りだったとおもうんですよ。もうあとは守らないといけないだけですから。全員が檀家になるわけですから、当然、祖先崇拝のことも寺にのしかかってきますね。それは、徳川幕府がねらっていたことだとおもうんですよ。それに、まんまとのってしまった(笑)。ただそれは、原因というよりは結果なのかもしれない。ある程度、もう力を失っていたわけですから。僧侶で、室町までにでた人物と室町以降でた人物をみればわかります。徳川期にはそんなにでていませんね。白隠禅師とか、一休さんとかはでてますけれど、親鸞や法然や日蓮と比べれば、やっぱり、それほど仏教を画期的に再生し直したという人ではないでしょう。それはもちろん結果なんですけれども、仏教というものがやっぱり力を失っていただろうとおもうんです。明治以降、新しいものに仕立てあげられていくわけですが、ただ、既成教団そのものは今後とも新しいものがでて、また再生していくかどうかはわたしにはわかりません。

 
【目次】
マンダラとはなにかマンダラを観想する武蔵少年、学に志す「中論」研究 ─ 空と色インド思想 ─ 実在論と唯名論の闘い世界が神の姿であるというインド的世界観ヒンドゥー教と図像実践としての宗教近代と日本仏教私有財産をどう考えるか「癒し」の共同研究癒しと救いの違い浄土とマンダラの統合