国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

ミドルライフ・ブルース

研究スタッフ便り

研究スタッフ便り『ミドルライフ・ブルース』

広瀬浩二郎

ミドルライフブルース-シカゴの響き(1)

はじめに

45歳。ああ、いつの間にかすっかりおじさんになったものだ。今回、在外研究に出るに際して、日本語と英語で各種書類を作成した。我が年齢を書き込むたびに、自分が紛れもなく「中年」であることを確認させられた。ありがたいことに30歳を過ぎるまで学生だった僕は、いい意味でも悪い意味でも、あまり実年齢を意識せずに今日を迎えている。国立民族学博物館(民博)に就職して、あっという間に12年が経過した。職場では後輩の研究者が増えて、中堅と呼ばれる立場になったが、気持ちだけはいつまでも若手のつもりである。人生の折り返し地点に立って、自分の来し方行く末をじっくり考えてみよう。そんな希望を持って、8月5日から来年3月末までの8か月間、シカゴ大学の客員研究員として米国に滞在することを決めた。

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シカゴの自宅アパート前にて(2013年8月撮影)

僕がアメリカに住むのは3回目である。20代後半の大学院生時代、カリフォルニア州のバークレーに留学した。客員研究員としてニュージャージー州のプリンストン大学にお世話になったのは、民博就職から1年後のことだった。トータル2年もアメリカで生活したのに、英語はなかなか上達しない。今回、シカゴでも日常会話で四苦八苦している。しかし、20代、30代の米国体験は、僕の研究、そして人生にさまざまなプラスの影響を与えた。英語が喋れなくても、目が見えなくても、まあ世の中なんとかなるさ。こんな自信(ずうずうしさ)を身につけることができたのが、僕のアメリカンライフの最大の成果だったかもしれない。自信とともに、身体の真ん中、腹回りにしっかり付着した分厚い贅肉は、アメリカナイズの副産物ともいえるだろう。

1回目のアメリカ長期出張に当たって、居住地として選んだのがシカゴだった。もちろん、シカゴ大学の日本文化、人類学関係の充実した研究環境に魅力を感じたのが第一の理由である。でも本音を言えば、過去にカリフォルニア(西部)とニュージャージー(東部)に住んだので、今度は米国の真ん中(中部)で暮らしてみたいという単純な思いがあった。本連載では、中年おじさんが、米国の中部から「ミドルライフ」の一端を報告することにしたい。

さて、シカゴといえばブルースのメッカである。ブルースは奴隷制下の米国南部で黒人の宗教歌、労働歌が母体となって成立・発展し、後にはジャズなどにも取り入れられた。いわば、黒人たちの日常から自然発生した「魂のバイブレーション」がブルースなのである。もともとはギターの弾き語りが多かったが、1950年代にはシカゴを中心にバンド形式のブルース演奏が行われるようになった。今もシカゴ市内ではブルースを楽しむことができるライブハウスが人気を集めているし、ストリート・パフォーマンスや無料のコンサートも盛んである。

シカゴ到着直後、観光気分で著名なライブハウスに足を運んだ。正直なところ、僕にはブルースの知識がまったくないので、バーベキューと地ビールを味わう方がメインの目的だった。ところが、生演奏を聴くうちに、不思議な高揚感に包まれた。最後にはバンドメンバーに通じないことはわかっていながら、「いいぞ!」「アンコール!」と叫んでいた。大阪のおじさんの面目躍如というべきだろうか。

ここ数年、僕は瞽女(盲目の女性旅芸人)の研究をしている。残念ながら21世紀の現在、瞽女や琵琶法師は消滅してしまったが、彼らの芸能に代表される盲人文化をどのように再生することができるのか、僕なりにあれこれ考えてきた。明治期に神戸で瞽女唄を聴いたラフカディオ・ハーンは、以下のように述べている。「私はこれほど美しい唄を聴いたことがありません。その女の声の中には人生の一切の悲しみと美とが、また一切の苦と喜びが震動しておりました」。

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シカゴ市内のライブハウスにて(2013年8月撮影)

もしかすると、ハーンが感じた震動とは、ブルースが僕にもたらした興奮と同じなのではなかろうか。日本語力がまだ不十分だったハーンと同様に、英語が苦手な僕は、かえってブルースの音の響きに集中できたという面がある。ブルースはアメリカの瞽女唄なのだ! 瞽女と黒人の魂の共鳴を実感したのは新鮮な驚きだった。酔っぱらった勢いも手伝って、僕はライブハウスでCDを買い込み、シカゴ生活のBGM代わりに日々愛聴している。

瞽女たちは三味線を携え各地を旅し、視覚以外の全身の感覚で得た情報、肌でとらえた土地の印象を瞽女唄として表現した。瞽女唄を聴いた晴眼者(見常者)は、語り物に内包される心象風景をありありと思い浮かべることができた。瞽女唄の震動によって、盲女と見常者は「見えない世界をみる」醍醐味を共有していたのである。黒人たちのルーツがアフリカの大地にあるように、瞽女は「見えない世界」にどっしりと魂の根を下ろしていたともいえよう。

音痴の僕にはブルースや瞽女唄の震動を再現することは難しい。でも、触覚や聴覚、さらには皮膚感覚を駆使して、見常者とは違う角度から多様な事物を「身体でみる」ことができるかもしれない。本連載では、これから僕がシカゴでみる風景をブルース調の文体で記していくことにしよう。我が体重がミドル級に突入しないことを願いつつ……! 「中年が 中部で身撮る(ミドル) ブルース風」