研究スタッフ便り ニューヨーク! ニューヨッ! ニゥユィェ!
第05回 ニューヨークはサラダボウル?(1)――民族の協働を語りたおす
人種のサラダボウル
かつて、ニューヨークは「人種のるつぼ」と呼ばれた。多様な起源をもつ人びとが溶けあい、ニューヨーカーという新しい市民になっていくこの街のあり方が、料理や化学実験で物を混ぜ合わせ融合させる器、るつぼに例えられたのである。
しかし、民族の完全なる融合というものは、そう簡単に起きたりなどしない。外国で暮らす移民たちは、民族ごとに集まって、同じ地区に暮らすことが多いからである。この街でも、異郷にあって不便なことが多くても、同じ地域の出身者どうしで助けあう人びとの営みがみられる。同じ民族どうし助けあうという精神は、マイノリティーとしての民族が生きていくうえで、たいへん重要なものなのである。だから、「人種のサラダボウル」ということばが生まれ、この街の代名詞として「人種のるつぼ」にとって代わった。色いろな外見の野菜が盛られたサラダボウルのように、多彩な人種や民族の固まりが、混じり合わず点在する街――それこそが、ここニューヨークの実像だというわけである。
ここまで読んでも、民族別に集住する理由がどうも納得できないという方には、大阪市生野区など、終戦前から韓国・朝鮮の人びとが集住する地区のことを想像していただきたい。そうした集住地で、1世の人びとは、韓国・朝鮮のことばで気軽に会話し、民族食を手軽に入手している。2世以降の人びとは、民族のアイデンティティを忘れないために、民族学級や青年会活動などに参加することも、集住地でなら容易だ。しかも、わかりあえる人びとが御近所に多く、自然に親切にしあえることも多い。だから、1世の人びとがそこに集まりはじめてから半世紀以上がたっても、まだ在日コリアンの集住地域でありつづけているわけである。
ユダヤ系ばかりが働いている電化製品店
(2012年3月撮影)
ニューヨークでも、同じ理由や背景から、民族は集住している。いや、この街自体が、数知れない民族の集住地で組み立てられているといっても、過言ではないほどだ。市内だけに限っていっても、マンハッタン区ならウェスト・ハーレムがカリブ系の人びとの集住地になっている。おとなりのクイーンズ区は、もっとも「人種のサラダボウル」らしい場所で、ざっくりと例えを挙げるならば、フラッシング地区には中華系の人びとが、フォレストヒルズ地区にはユダヤ系の人びとが、ジャクソンハイツ地区には南アジア系の人びとが多い。もっと小さなコミュニティーもあちらこちらに点在し、ギリシャ系に、ロシア系、エチオピア系や、ブラジル系など、色いろな人びとの集住地区がある。当のニューヨーカーたちにだって、あまり知られていないような、小さな集住地区すら存在するくらいだ。
韓国人の助けあい
ニューヨーク市とその近郊で、韓国人が集住している地域として有名なのは、クイーンズ区の北東に位置するフラッシング地区からカレッジポイント地区にかけてと、ハドソン川の対岸に位置するニュージャージー州バーゲン郡フォートリー地区。このふたつの地区には、レストランや食料品店や日用雑貨店や韓国語学習塾はもちろん、はてはスーパー銭湯やケーブルテレビの代理店まで、韓国的なものがあふれている。なかには、自動車の整備工場やら、ガラス店やら、貸ビルやらといったように、別に韓国人が韓国人を相手に商売しなくてもよさそうな業種までもが完備されており、韓国語だけで日常が送れるようになっている。
韓国人の集住地区に暮らす韓国人と話をしていると、「けっきょく役に立つのは、韓国人の人脈だけさ」ということばをよく耳にする。たとえば、渡米して10年以上もたつAは、すでに英語も流暢に話すし、色いろな民族出身の友だちにも恵まれている。それでも、彼はこのことばを口にすることがある。「気軽に頼みごとをしあえるのは、韓国人だけ。外国人 [ママ] とは、助けあいの概念が違うんだから、仕方がないよね」、という具合だ。
韓国語でよく使われる動詞に、「チェンギョジュンダ」という語がある。辞書どおりに訳すと、「整えてやる」といった程度の意味しかない。ただ、このことばの実際の用法は、「たえず気にかけてやる」とか、「なにかにつけ力になってあげる」というもので、他の言語にはピッタリくる訳がないようにも思われる。日本語の「助ける」のような恩着せがましさもなければ、頼まれるからやるという行為でもないのが、韓国語の「整えてやる」だ。そんなことばが身近に行き交うほど、もともと韓国人は、隣人知人への思いやりをことばや行動で積極的に表現しようという人びとが多い。Aが言うような韓国人に独特な「助けあいの概念」は、こういったところから来るものなのだろう。
韓国に一時帰国したBが、大荷物をもってケネディー国際空港に帰ってきた時、私はこの「助けあいの概念」のことをあらためて考えさせられた。Bには米国人の友だちも多い。それなのに、彼が真っ先に手助けを求めたのは、韓国人だった。実は、助けを求めた相手は、Bがふだんあまり親交を結んでいない人物である。それなのに、送迎を快諾してもらえたばかりか、荷物の運搬まで手伝ってもらっていた。彼のアパートの前では、やはり韓国人たちが自発的に集まり、Bが到着するなり、テキパキと荷卸しを手伝っていた。(なぜか私も、他の韓国人に呼ばれて行っていた。)「こんなにいっぱい、何を持って来たの?」といぶかしげに聞いたところ、Bは「半分は、韓国人たちからの頼まれ物だよ」と笑った。それも、荷物の運搬を手伝った人たちのものではない。別の韓国人たちからの頼まれ物だった。
韓国人をターゲットにした病院、保険会社、旅行社
(2012年6月撮影)
では、韓国人は韓国人にだけ優しいのだろうか。これに対して私は、「違う」という考え方をもっている。そういえば、韓国で生活していたころの私も、日本でなら一人で苦労して当然の、引越だの、大量の買い出しだの、車での長距離移動だののたびに、同じようにして韓国人の友だちに「整えて」もらったからである。もちろん、反対に「整えてやる」こともあった。同じ「民族」である在韓日本人の義理人情がありがたいこともあったけれど、他人事にはあまり首を突っ込みたがらないというのも、やはり日本人ならではのことで、自発的に私の日常を「整えてくれる」のは、やはり韓国人ばかりだった。Bはいう、「それは、韓国で君も、同じ概念を共有するようになったからさ」と。たしかに、そんな気がする。
概念のサラダボウル
民族が協働したり、集住したりしているという見かけの裏には、ここまでで述べた韓国人の助けあいの話の例にみられるように、実は違った実情があるのではないだろうか。なにせニューヨークには、色いろな人種や民族が暮らしていて、街の多様性が見た目で語られがちなのだが、そういった目に見えるものよりも、目に見えないものの方が、ニューヨーカーにとってはもっと重要なようなのである。ニューヨークには、たくさんの違った概念が存在する。ここでは、それらの多様な概念のうち、同じものを共有できる者どうしが、なにかと関係しながら暮らしているだけなのではないだろうか。別の概念で生きている人たちと隣あわせに暮らしていても、その人たちを攻撃したり排除したりする必要はなく、たんに概念を共有できないから疎遠になりがちなだけのように思われる。こうして、多様な概念が、ただただ雑多に積み重なり、別個に維持されている街が、ニューヨークなのである。こう考えれば、この街は、少し違ったサラダボウルに見えてくる。いわば、概念のサラダボウルというわけだ。
Aも、Bも、協働以外のことについては、非韓国系の友人と過ごす時間が多い。趣味を分かち合う友だちも大事にしているし、生活のリズムが似た者とは自然とお近づきになっていく。ただ、「整えてやる」という概念に代表されるような、別の概念に置き換えて説明したり理解させたりしづらいような概念は、他者におしつけるのでなく、もともと共有できる者とだけ分かちあっている。食べ物や生活雑貨だって、物を共有するだけなら、韓国人以外とでも出来るが、その食べ方や使い方、そこに含まれる意味や象徴までは、なかなか共有できるものではない。だから、韓国系の人びとが集まる地区も、なにかと有用なのだ。けっして、自分たちだけの世界を作りたいとか、韓国にいるかのように生活したいというわけではないのである。
この街の知りあいといえば韓国人だけだった私にも、ニューヨークに住んで半年がたったいまでは、変化が訪れようとしているようだ。趣味をより共有できる友人や、一緒にいて心地いい友人が、韓国人以外に出来てきた。フレンドリーな米国人の友人に助けてもらうことだって、増えてきた。しかし、韓国的に「整えてもらう」ことを覚え、韓国産の概念を共有して生きてきた私のことである。韓国人の人脈は、いつまでたっても、私の日常生活に必要な気がする。
韓国料理を楽しんでいるのは韓国人ばかりでもない
(2012年3月撮影)