労働と宗教(6) ─イスラーム的働き方─
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イスラーム世界の人と仕事をした経験をもつ日本人は、ムスリムは怠け者で約束も時間も守らないと嘆くことが多い。
確かに、私が暮らしたセネガルでは、お祈りの時間にはタクシーが止まってしまう。モスクでの集団礼拝の金曜日には、午後の役所に行っても誰もつかまらない。約束をしても「インシャラー」と言われ、何事も神のおぼしめしのままにということになる。日本人には誠に由々しき態度である。
ムスリムはほんとうに怠け者なのだろうか。イスラームの経典コーランには勤勉であれと書いてある。しかし、日本人が考える勤勉とは少々異なる。大切なことは、コーランに規定されている神との契約(シャリーア)を履行することである。その結果、自分を取り巻く現世での契約は二の次になることもある。働くのは宗教的生活の手段にすぎない。神の創生を信じて地の果てまで商売をしに出かけることも、重要な宗教的実践となる。
日本人は仕事を生きがいとし、そこに自己実現を求める。その自己実現を目指して、所属する社会の規範のもとに自分を律し、社会が求める役割を演じることになる。ムスリムは神と対峙(たいじ)することによって自己実現を達成しようとする。そもそも働くことの意味が違うのである。
国立民族学博物館 三島禎子
毎日新聞夕刊(2008年5月7日)に掲載