国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

陸を越え海を渡ったモノ(8) ─間宮海峡を渡った絹織物─

異文化を学ぶ


今はロシア連邦の一部となっているサハリンとハバロフスク地方には、今から150年ほど前までは中国と日本を結ぶ交易の道が走っていた。道といっても川と海の道である。中国から松花江をくだってアムール川に入り、それをくだって河口近くの湖で東に曲がり、間宮海峡に面した海岸に出る。そして、海峡を渡ってサハリンの西海岸を南下する。その南端には、かつて松前藩や幕府が設けた交易所があった。

この道をとおって中国から日本へ輸出されたのが絹織物だった。江戸時代、中国特産の絹は長崎だけでなく、北の蝦夷地(えぞち)からも来ていたのである。当時の日本人はそれを「蝦夷錦」と呼んで珍重した。その交易を担っていたのが「サンタン人」と呼ばれたアムール川流域の人々、現在のナーナイ、ウリチ、ニヴフという先住民族の祖先たちである。

彼らは当時、中国清朝に毛皮を貢納していた。そして、毛皮貢納の恩賞として受け取る絹織物が日本で需要が高く、逆に清朝の宮廷が必要とするクロテンや銀ギツネの毛皮が日本では安いことを知っていた。中国の絹をもって日本の交易所へ行き、そこでたっぷりの毛皮と交換して再び中国側に行けば、濡(ぬ)れ手で粟(あわ)のもうけだったのである。

150年前、先住民族の祖先たちは絹と毛皮の交易で好景気にわいていた。今は昔の話である。

国立民族学博物館 佐々木史郎
毎日新聞夕刊(2008年9月24日)に掲載