モノめずらしいくらし(9) ─ モノからゴミへ ─
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携帯、バッグ、時計、刃物。人が愛着をもつモノはいろいろある。人間はモノに囲まれながら生きる。というより、モノと共に記憶を作り、年を経ながら生きていく。モノと共に作った記憶が、各自のモノ語りになるわけだ。
初めてアフリカに行ったのは25年前。アフリカで驚いたことはたくさんあるが、その一つがゴミの少ないこと。割りばしていどの木片があれば、器用に組み合わせて鳥を撃つパチンコを作る。残量の少ない電池だって、かれらのよりはましだ。電気がなくなっても、外側の鉛は錘(おもり)になる。
ご多分に漏れずグローバル化の結果、アフリカの片田舎でもゴミがあふれるようになっている。ゴミとはモノの死がいのことだとするなら、現代の私たちはモノ語りの死を生きているのだろうか。
国立民族学博物館 竹沢尚一郎
初めてアフリカに行ったのは25年前。アフリカで驚いたことはたくさんあるが、その一つがゴミの少ないこと。割りばしていどの木片があれば、器用に組み合わせて鳥を撃つパチンコを作る。残量の少ない電池だって、かれらのよりはましだ。電気がなくなっても、外側の鉛は錘(おもり)になる。
ご多分に漏れずグローバル化の結果、アフリカの片田舎でもゴミがあふれるようになっている。ゴミとはモノの死がいのことだとするなら、現代の私たちはモノ語りの死を生きているのだろうか。
国立民族学博物館 竹沢尚一郎
毎日新聞夕刊(2005年9月28日)に掲載