グローバルとローカル(4) ─ 情報化の受けとめ方 ─
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昨年夏のことである。エストニアの南端、ロシア国境沿いの森林で急に携帯電話がなった。日本からの訃報であったが、こんなところにまで情報が追いかけてくる時代になったことを改めて痛感した。15年前、首都のタリンへの電話さえ何度つながらずあきらめたことか。
中国の片田舎でも同様の経験をした。地元の電話もまともに通じなかった町に数年前、突如黄色い公衆電話があらわれた。カード式で国際通話可能の電話である。これほど日本を近くに感じ、安心したことはなかった。
情報網の発達は実際、想像以上の速さだ。それも、電話もなかったところほど顕著なようだ。しかし、現地にはこれに驚き感激する人はあまりいない。ない苦労を味わったことがないからだろうか。
国立民族学博物館 庄司博史
中国の片田舎でも同様の経験をした。地元の電話もまともに通じなかった町に数年前、突如黄色い公衆電話があらわれた。カード式で国際通話可能の電話である。これほど日本を近くに感じ、安心したことはなかった。
情報網の発達は実際、想像以上の速さだ。それも、電話もなかったところほど顕著なようだ。しかし、現地にはこれに驚き感激する人はあまりいない。ない苦労を味わったことがないからだろうか。
国立民族学博物館 庄司博史
毎日新聞夕刊(2005年10月26日)に掲載