働くということ(6) ─ 職のないのが当たり前 ─
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メキシコやグアテマラのマヤの村では、定職がある人はまれだ。現金収入は、日雇いの工事や荷担ぎくらい。仕事がないので、日がな一日広場ですごしたり、友達とおしゃべりしたり、子供たちと遊びに興じる。それでも農業で何とか生活ができる。
ところが最近は、物質的に豊かになれるよう都会に出て、少しでも金を多く稼げる仕事を探す、そんな人が増えてきた。そうすると、家族を村において休みの日にしか村に帰れない生活となる。
私が昔世話になった家の主人は、そんな生活がいやで、村で家族一緒につつましく暮らしている。そんな平和な生活をみていると、何も出稼ぎに行かなくても、という気持ちになる。フリーターやニートをしている人も、きっとそれとよく似た考えに違いない。
国立民族学博物館 八杉佳穂
ところが最近は、物質的に豊かになれるよう都会に出て、少しでも金を多く稼げる仕事を探す、そんな人が増えてきた。そうすると、家族を村において休みの日にしか村に帰れない生活となる。
私が昔世話になった家の主人は、そんな生活がいやで、村で家族一緒につつましく暮らしている。そんな平和な生活をみていると、何も出稼ぎに行かなくても、という気持ちになる。フリーターやニートをしている人も、きっとそれとよく似た考えに違いない。
国立民族学博物館 八杉佳穂
毎日新聞夕刊(2006年7月12日)に掲載