島国フィジーの日常的な風景の一コマに、歩き回っている人に、「ご飯をどう」とか「お茶でもどう」と大きな声で呼び掛けることがある。あるいは、暑いさなかに畑作に精を出す人に、「休憩、休憩」と言葉を掛ける。声を掛ける方は、木陰にひかれたゴザの上に腹ばいとなり雑談に花を咲かせていたりする。
面識のない人に対してであれば儀礼的な挨拶(あいさつ)という側面もある。親しい間柄であれば、さっそく誘いに応じて、顔をほころばせ、冗談を口にしながら、同じマットの上にごろんと横たわり、雑談に加わったりする。
「自分たちは怠け者の民族だからね」と冗談を口にする人もいるが、年を通して暑いフィジーにおける農作業では、こうした一息つく時も実際に必要である。何より暑いとはいえ日本ほど湿気に悩まされることのないフィジーでは、そよ風に吹かれながら木陰で午睡に興じることは身体的な快楽でさえある。
お前は日本で生活していけるのかと友人からからかわれるほど昼寝が堂に入った頃、帰国となった。実際、帰国後何年かあとまで、東京の研究室の中でもゴザをひいて昼寝したいという誘惑とたたかうこととなった。
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