西アフリカ諸国では、人びとは日常的に複数のことばを使っている。たとえば、父とはソニンケ語、母とはフルベ語で話し、友達とはウォロフ語でつきあい、学校ではフランス語を使う。放課後はイスラームの寺子屋へ通い、アラビア語でコーランを暗誦(あんしょう)する。フランス語以外の欧米言語に通じているのは、高等教育を受けた者ばかりではない。外国生活が長い移民も、その地域のことばをあっという間に身につけてしまう。どんな言語を話すのかは、育った家庭や生活した場所などによる。学校の教育レベルとはほとんど関係ないのが日本とは大きな違いだろう。
セネガル人の某氏は、12歳頃までコーラン学校に住み込みでイスラームを学び、コーランをすべて諳(そら)んじる記憶力をもつ。それから小学校に入り、大学に進み言語学者になった。学校の勉強など、すべて紙に書いてあるのだから何の困難もなかったという。この人のすごいのは諸言語を操るだけでなく、ことばと地域の人の特徴をとらえて、その話者になりきるところである。世界の政治家のものまねはお手のものである。肩の力を抜いて、ことばのもつ音に耳を傾け、身体に入ってくる響きをまねる。それが多言語話者の極意かもしれない。
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