旅・いろいろ地球人
驚く
- (1)教訓 2015年3月19日刊行
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菅瀬晶子(国立民族学博物館助教)
シリア・アレッポ旧市街の市場。この街並みも内戦で失われた=2011年2月、筆者撮影学生時代、シリアのダマスカスで聖者崇敬の調査をしていたとき、同じ宿に逗留(とうりゅう)する自称ドイツ国籍の男性と親しくなった。シリア人の母を持ち、美しいシリア方言のアラビア語を喋(しゃべ)る彼は、近々国に戻るという。わたしはすっかり彼を信用し、これからパレスチナに留学することまで喋っていた。イスラエルと敵対する独裁国家シリアでは、占領地パレスチナの地名を口にすることすら危険を伴う。秘密警察にでも聞かれたら連行ものだと知っていたのに、彼なら大丈夫だと高をくくっていたのである。
しばらく北部の街アレッポに行き、戻ってくると、彼はすでに旅立っていた。連絡先を交換しなかったことを、わたしは多少残念に思った。ところがその翌日、アレッポで撮影した写真を眺めていたわたしはわが眼(め)を疑った。雑踏でなにげなく撮影した写真の一枚に、彼の横顔がはっきりと写り込んでいたのである。さらにその晩、匿名の不審な電話が宿にかかってきた。アラビア語を勉強するなら、ここシリアでよい家庭教師を紹介してやるという。彼の正体は、もう明白であった。
即座に断り、受話器を置いたときの恐怖を今も時折思い出し、教訓として肝に銘じる。わが身を守れるのは、自分だけなのだと。
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