国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

旅・いろいろ地球人

アラビアンナイト断章

(1)写本をめぐる旅  2016年1月7日刊行
西尾哲夫(国立民族学博物館教授)

雪景色のベルリン民族学博物館。中東地域展示には一見の価値がある=2009年1月、筆者撮影

アラビアンナイトを研究していると、世界各地を訪れることになる。

9世紀のバグダードで作られた最古の断片はアメリカに、16世紀のアレッポでまとめられた3巻本はパリ国立図書館にある。

だが、アラビアンナイトには「正典」があるわけではない。未発見の写本、図書館に死蔵されたままかえりみられなかった写本も多い。そのような写本をていねいに調査していくと、思わぬ発見がある。

ベルリン国立図書館では、現在知られているものとはあまりにも異なった内容の冒頭の物語が記されている写本を見つけることができた。

問題の写本は1805年ころのエジプトで筆写されたらしい。王と女性たちの内心の動きが近代的ともいえる語り口で示されている。凄惨(せいさん)な復讐(ふくしゅう)をとげて世捨て人となり、「自らの道」をさがそうとする王を誘惑する女性(魔人の愛人)も、王の一夜妻となって寝所におもむくシェヘラザード(アラビアンナイトの語り手)も、自らの望みをはっきりと自覚しており、内なる心の声に忠実に生きようとする。

このような展開は、近代前夜のエジプト民衆のあいだで、アラビアンナイトが変容しながら受けつがれていたことを示しているのだろう。

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