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アイヌの木彫り
- (1)江戸時代からのみやげ 2017年7月6日刊行
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齋藤玲子(国立民族学博物館准教授)
松浦武四郎記念館(三重県松阪市)所蔵の木彫品。武四郎は1845~58年の間に6度の蝦夷地探検をおこなった=筆者撮影国立民族学博物館の「アイヌの文化」展示場のリニューアルからちょうど1年が経つ。新しく加えた「観光」のコーナーの解説パネルに「工芸品販売や舞踊公演は大正時代からおこなわれていた」と書いた。実は、観光として定着してきたのが大正時代で、それより古い江戸時代から木彫品は「蝦夷みやげ」「蝦夷細工」などとして知られていた。
食器や小刀の鞘、煙草入れなど、アイヌの日用品には精緻な彫りが施されているものが多い。18世紀には松前藩や幕府の家臣・探検家などがアイヌの様子を記した文書が増え、男性たちが木彫りの腕に優れ、その製品が献上品やみやげになっていたことが記録されている。
具体的にはアイヌ自身が使うものと同様の盆、匙、糸巻などのほか、見本をつかわして、茶托、筆軸、筆筒など希望の物を彫らせてもいた。当館には、江戸時代までさかのぼれる資料はないが、幕末の探検家・松浦武四郎の記念館など、各地の博物館や旧家に残された蝦夷地のみやげは少なくない。
明治時代になるとアイヌは日本化を余儀なくされ、生活は大きく変化した。一方で、博覧会への出品や副業として木彫りが奨励され、製品の買い上げもおこなわれていた。明治末期には、旭川に木彫りや刺繍をほどこした小物などのみやげ物を売る店もあらわれた。
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