国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

旅・いろいろ地球人

写真から射真へ

(2)心眼とは何か  2019年6月15日刊行

広瀬浩二郎(国立民族学博物館准教授)


視覚を離れれば死角がなくなる。「飛んで行け、レンズのぞかず、空を追う」=大阪市内2019年5月、筆者撮影

デジカメ購入後、しばらく僕は写真撮影を楽しんだ。しかし、徐々に写真から離れていく。その理由は二つある。第一に、撮るのはいいが、撮影後の写真を視覚的に確認できないこと。画像データをパソコンに保存すれば、全盲者が独力で撮影場所、日時などを整理できる。でも、パソコンは写真そのものの状況説明はしてくれない。自身の撮った写真の出来は、晴眼の友人・家族に判断してもらうことになる。せっかく撮っても、自分で確かめることができないなら、興味は半減してしまう。

第二の理由は、世間の「心眼」観念への疑問、反発である。近年、各地で視覚障害者の写真展が開催されている。写真を撮ることを楽しむ視覚障害者を否定するつもりはない。僕も、自分の写真が晴眼者に褒められると嬉しい。だが、自力で確認できない写真が作品として展示されることには、やはり抵抗がある。

視覚障害者の写真は、「心眼で撮る」と称される。心眼とは何だろう。ひねくれ者の僕は、「心に眼があるなら、苦労しないよ」と突っ込みを入れたくなる。厳しい言い方をすれば、心眼とは健常者が障害者を美化する際の決まり文句である。多数派の少数派に対する幻想ともいえる。僕の射真は聴覚や嗅覚を駆使して撮るもので、それは心眼などとは無縁だということを強調したい。

シリーズの他のコラムを読む
(1)なぜ僕は写真を撮るのか
(2)心眼とは何か
(3)写真がない時代
(4)射真展開催をめざして