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河西回廊・石窟寺紀行

(4)敦煌・莫高窟  2019年9月28日刊行

末森薫(国立民族学博物館機関研究員)


数多(あまた)の洞窟が並ぶ莫高窟の崖面=中国・甘粛省で2016年8月、筆者撮影

河西(かせい)四郡の最も西にある敦煌(とんこう)は、その近郊に玉門関(ぎょくもんかん)と陽関(ようかん)の二つの関所が築かれるなど、中国と西域の出入り口として長らく栄えてきた。しかし、シルクロードの交易が下火となり、その活気は失われていった。1900年、道教僧の王円籙(おうえんろく)が偶然に発見した大量の文書により、敦煌は再び脚光を浴びることとなる。故井上靖氏は、小説『敦煌』の中で文章の謎に迫り、西田敏行氏と佐藤浩市氏が主演する映画にもなった。

文書が発見された莫高窟(ばっこうくつ)は、敦煌市の南東約20キロに位置する。1600メートル以上におよぶ崖面には、1000年以上の時を経て、700以上の洞窟が開けられた。洞窟には2000体を超える塑像、4万5000平方メートルにおよぶ壁画が残されている。

最も広い面積に描かれた壁画は、無数の趺坐仏(ふざぶつ)を並べた千仏図である。その描写は一見単調であり、壁面の隙間を埋めるために描かれたとも捉えられていた。しかし、千仏図の描き方を詳細に調べると、あるルールに則り配色されており、宗教的な空間をつくる上で視覚的に重要な役割を担っていることが分かってきた。

長い年月の中で壁画は変退色し、石窟を照らす光の特性も変わった。空間を彩ってきた千仏図も描かれた当時とは大分と印象が異なっているであろう。壁画の色や光の環境を再現し、石窟の空間を新たな視点から捉えなおしたいと考えている。

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