国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

旅・いろいろ地球人

フィジー語で暮らす

(1)私は「ワイレブ人」  2020年3月7日刊行

菊澤律子(国立民族学博物館准教授)


「トンガ人」の子どもを抱いている「ワイレブ人」の筆者(左)=フィジーで1992年、Kitione Leqeti撮影

日本で出身地を聞かれると困ってしまう。生まれた場所とその時の住所が異なり、さらにその後何度も引っ越しをしていると、何をもって「出身地」としていいのかがわからない。

フィジーでは、父親の出自イコール自分の出自と、定義がはっきり決まっている。ナタカラ村で生まれ育った知り合いは、父方の祖父がトンガから来たので父も自分も「トンガ人」。とはいえ、トンガ語を話すわけでも、トンガの文化を知っているわけでもない。首都スバで出会う人たちも同じこと。ヤサワ諸島テジ村出身と聞いて、テジ語の調査ができる、しめしめ、と思っても、よく聞いてみれば、スバ生まれのスバ育ち。テジのことばはよくわからないといわれてがっかりする。

例外は外国人研究者。たいていは最初に調査に入った村の言語や文化を身につけるから、最初に育ててもらった土地が出身地となる。かくて私は長い間「カンダブ人」と呼ばれていた。カンダブ島の中であちこち動きまわるようになると、今度はさらに正確に村の名称をとり「ワイレブ人」になった。そして、首都でもどこに行っても、ワイレブ語で話す。日本でいえば、外国人が関西弁で話すようなもの。最初は驚かれるが、自分では、地域言語の推進に一役かっていると自負している。

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