国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

聖なるモノの商品化 ~ペルー~  2015年6月1日刊行
八木百合子

アンデス農村でカトリックの聖人信仰の調査をしている私は、村々を訪問すると必ず教会堂へ足を運ぶ。そこで最近よく目にするのが、同じ聖人の彫像が一つの教会堂に2体も3体も並ぶ姿である。聞けば、これらの聖像は、村から都市へと移住した人が寄進したものだという。

ペルーでは近年こうした聖なるモノの商品化が著しく、首都リマの旧市街地には聖人の彫像を販売する聖具店が数多く軒を連ねている。店内には、大小さまざまなサイズの聖人や聖母の彫像が所狭しと置かれている。そこには、日本円にして1体数万円の高価なものから500円程度の廉価なものまである。材質も陶製や石膏を使ったものからプラスチック製など多様である。なかでも最近人気なのはプラスチック製のもので、中身が空洞になった聖像は軽量で、耐久性にも優れているという。

じつは、こうした聖像の制作を担う工房の多くは、リマ市の郊外に広がるいわゆる都市貧困層の居住地域にある。そこで制作に携わっているのは、教会関係者でも、著名な美術家や彫刻家でもない。地方から都市へと出てきた人びとである。そこで鋳型にはめられた聖像が大量に生産されている。そして、彼らが作った聖像は、今や首都の聖具店を介して地方へと流通しているのである。

リマの聖具店では、村へ持ち帰りたいという人のために発送も請け負う。新聞紙で梱包し、地方へ向かう長距離バスの停留所まで届けてくれるのだ。一般の荷物と一緒に送るのはいささか聖像に対する冒涜のように感じてしまう。だが、店側にしてみれば、聖像はあくまで商品にすぎず、単なるモノでしかないのかもしれない。

しかし、村へとやってきた聖像は、ひとたび祭壇に置かれれば、それは聖なるモノとして人びとの崇拝の対象となる。それがどんな素材で作られ、いかに安価に仕上げられていても。村人にしてみれば、それが奇跡を起こすことが大事なのである。聖像はあくまで聖なるイメージを表す媒体にすぎないのだから。

そうであるなら、その媒体を支える物質性の変化や一般の人びとの手を介して増殖する聖像は、今日、各地における信仰普及の一翼を担っているといえるだろう。ペルーでは聖職者不足が著しく、1年に1度の祭りの時にしか司祭が訪れない村も多々ある。説教や聖人伝に触れる機会のほとんどない地方の村で、聖像は人びとの想像力や信仰心を掻き立てるものになっているにちがいない。

八木百合子(研究戦略センター機関研究員)

◆関連写真

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聖具店で売られている聖像

◆関連ウェブサイト
ペルー司教協議会(スペイン語)
ペルー共和国(日本国外務省ホームページ)