Seoul Style 2002 E-News 『こりゃKOREA!』
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Seoul Style 2002 : E-News 『 こりゃKOREA!』 http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/200203/index ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2002.06.20 ━
ワールドカップもいよいよ佳境!日本と韓国それぞれの代表、がんばりましたね。とりあえずめでたしめでたし、と.。
ところで、こんなW杯人気に押されてわれらがソウルスタイル、会場に来られるお客さんの数が激減、、、なんてことはありません(^。^)。 身も世も捨ててワールドカップに盛りあがる人々を尻目に、ソウルスタイルの熱狂的ファンも大勢遊びにいらっしゃってるんです!ソウルスタイルから、こりゃKOREA第12号をお届けします!!
清水郁郎(副編集長)
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こりゃKOREA! 12号目次
│ ◇─2002年ソウルスタイル ここだけの話-17 │ 展示・演示・念じ その1 │ ◇─お知らせ:イベント情報等 │ ◇─こりゃこりゃ探検隊 │ りかまる先生の展示場レポート │ ◇─編集後記:こりゃこりゃ通信
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● 2002年ソウルスタイル ここだけの話 - 17
展示・演示・念じ その1
中西 啓(なかにし ひろし)
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今回の仕事は民博の共同研究員である大野木啓人先生からの依頼で始まり、昨春より特別展の実行委員として会場デザインを中心に関わることになりました。 当初より中央に李さんの家、外周に学校や故郷などを配するという概要は共同研究会(「韓国現代生活文化の基礎的研究」)の場で提示されていましたので、後は会場となる特展会場の持つ特性、例えば円形平面や中央正面に突き出してくる階段等が醸し出すあの権威主義的な空間を今回の「今までにない展示」に相応しい空間に変えることができるかどうかがポイントかな、などとその頃は結構気軽に考えてました。
昨夏、現地調査に同行して李さんの家や小学校の教室や故郷の家などの再現に必要となる寸法や各部の仕上げ、色、柄などを確認、帰国後記憶が薄れないうちにとタイルや壁紙など内装材のサンプル帳を繰ってみると結構同じようなものがあるんですね。結局無かったのはオンドル調の床シートのみでこれは現地で控えた品番のものを輸入することになりました。また、私としては観覧者の手が触れるところは実物にしたかったので佐藤先生にお願いして扉の握り玉や水道の蛇口なども外して持ってきてもらいました。衛生機器も見慣れた日本製では興ざめなので持ってきてもらいました。 実測した寸法を基に李さんの家や小学校の教室、墓などを図面にしながら李さんの家の台所の外に市場がくるよう、子供部屋には学校等、中央と外周とが対応するように配置していくと・・・うーん、柱も階段も邪魔!お墓はでかい!内と外が合わない、等々なかなかうまくいきません。小学生の入場者にはソウルの教室を実物大で体験させてあげたいし、故郷はやはり遠きにありたいし、という思いも邪魔します。それでも佐藤先生の「いきなり居間に飛び込みたい」といった言葉を勝手に解釈したりしてなんとか今あるような平面にたどり着きました。 収集資料だけで実物大に再現するのがむずかしいところはアングルを指定して写真を撮ってもらい、それを実物大に延ばそうとしたのですが会場の壁面の方が広い!あのデビット・ホックニーもどきのコラージュは苦肉の策です。 あとはモノたちによってようやく形を保っているという感じをどう空間で表現するかですね。わたしなりのそれに対する答えが李さんの家を囲む宙に浮いたあの輪っかです。いえと社会との間の薄い膜、でも透けて内外が混じり合おうとしているのをいえのモノたちが妨げている、もしくは防いでいるたがのような感じを(予算のなかで)空間にしてみたつもりですがどうでしょう。会場で見ているとエントランスを入ったところからいきなり靴を脱いで壁を潜って李さんの家に直行される方も多いようで、こちらが意図した内外のあいまい性はある意味成功、ある意味失敗といったところでしょうか。
(京都造形芸術大学空間演出デザイン学科)
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● お知らせ
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┌────新聞・雑誌で「ソウルスタイル」が紹介されました!───┐
Men's Ex 2002年7月号 「ソウルに暮らす一家のくらしをリアルに再現」 日経おとなのOFF 2002年7月号 「一見似ているからこそ一層気になる韓国・ ソウルの今の素顔の市民生活」 日本経済新聞(夕刊)6月6日(木) 「ソウルフル・ライフ(5)銭湯で散髪もOK」 日本経済新聞(夕刊)6月13日(木) 「市場の楽しみ方」 └───────────────────────────────┘
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 ̄ ̄ ̄ ̄こりゃこりゃ探検隊 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
りかまる先生の展示場レポート
山下里加(やました りか)
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はじめまして。りかまる先生と申します。今年の4月から京都造形芸術大学情報デザイン科の非常勤講師をしています。担当授業は「フィールド・ワーク」。サブタイトルを「メディアとしての場、メディアとしての人」と設定して、美術館や画廊、アーティスト自主運営などの”場”があることで何が起こるのか、その場で企画・運営する”人”で何が変わるのか、といったことを実地で見ていこう、という内容です。まあ、要は、行きたいところへ行って、話したい人と話すという時間です。 さて、6月6日に国立民族学博物館、「2002年ソウルスタイル 李さん一家の素顔のくらし」展を訪問し、特別展実行委員の佐藤浩司さんにお話をうかがうという機会に恵まれました。 本展を選んだのは、プライベートで出かけた時に、うっかりハマりこんでしまったから。会場に入ったとたんに頭の中のネジが飛んで、引き出しや冷蔵庫を開けまくり、物を取り出し、手に持って、ピカチューだ、キムチだ、ネクタイだ、洗濯物だ、生理用品だ…とニマニマと正体不明の一人笑いをしていたのでした。 展示方法にも、感服しました。靴を脱いで家に上がるのは予想していましたが、そのまま2階にあがれるとは! 空間を移動する時のわずらわしさ、ストレスがほとんどない。そして美術館にはつきものの、膝掛けをして椅子に座っている監視員がいない。その代わりボランティア(普通の服装で、立っている)がいて、聞くといろいろ説明してくれます。この人達は、目の邪魔にならない。見張られている気がしないからでしょう。 こんな展覧会を作った人に話を聞いてみたい! そうだ、授業にしてしまおう、という自分自身の欲望を満たすために、適当な方を探していました。 佐藤さんに白羽の矢を立てたのは、図録や「月刊みんぱく」の佐藤さんが書いた文章から熱気が立ちこめていたので。私は美術ライターを本業にしているのですが、こういう行間がぴちぴちに詰まった文章はなかなか書けない。ちょっぴり嫉妬しながら、授業でお話してくださるようお願いしたのでした。 さて、授業当日。学生達の反応はいかに? あらら、まずは家の周囲に置かれたガラスケースに入った展示台の方へ行く。ビデオや解説文などをじっくり見て、読んでいる。私は、初めから引き出しや冷蔵庫を開けまくっていたので、その反応にちょっと驚きました。でも、美術館での「手を触れないでください」という展示に慣れていると、当然かもしれない。でも、時間がたつにつれて、ひとり、ふたりと引き出しを開け始め、中の物を取り出してみたり、子供の勉強机に座ってみたり、いろいろ動き始めました。そうなると時間が足りない。10時30分集合だったのに、すでにお昼をすぎて午後1時。みんなお昼ご飯抜きで、佐藤さんにお話をうかがうことになりました。 学生からも佐藤さんへの質問は数々あったのですが、ここでは割愛します。教育的効果よりも私の個人的な欲望を満たす方が大切ですから。 私が最も興味をそそられたのは、佐藤さんという一研究者が、自身の研究を展覧会という外部に披露する形に落とし込む時の、明快な思想と方向性と責任感でした。「思想」というと偏ったイメージを持たれるかもしれませんが、「普段から自分は何を考えて、何を軸に研究を積み重ねているのか」という意味での「思想」を、収集した物と情報で他者に伝えるにはどうしたらいいかを真剣に考えている。エンターテイメント性も貪欲に取り入れながら。そして分かりやすく、素人にも楽しい展示と、専門家をうならせる質的レベルの高さは矛盾しないことを証明しています。 では、佐藤さんの「軸」は何か、と私は考えました。佐藤さんは、「展覧会でも図録でも、”韓国人””日本人”ではなく”韓国の人””日本の人”という表現をしている」(余談だが、美術家の森村泰昌も同じことを言ってます。森村さんは、”彼””彼女”という表現も使わないように気をつけている)とのこと。つまり、図録などでも書かれていた企画趣旨----「李さん一家」は韓国の代表ではない。平均的家庭でもない。「韓国」を語るための影絵としての「李さん一家」ではなく、「李さん一家」を凝視することをまず目的とし、その背後に「2002年のソウル、韓国」が見えてくるかもしれない----ということなんだな、と納得したのでした。 ところが、そこが最終でなく、もう一段階、底があったのでした。佐藤さんは「国」という枠を外しているだけでなく、李さん一家という「家族」という幻想も突き抜けて、「人間」「個人」を見ようとしている。世界中どこででも、2002年の都市生活者は、「個人」としてしかあり得ないのだ……これが、多分、佐藤さんの思想の「軸」のように思います。 正直に言って、私は初めてこの展覧会を見た時には、物の面白さに夢中になっていて、「人間」や「個人」をそれほど意識はしていませんでした。各部屋に飾られた「家族写真」を見て「韓国では家族を大切にするのだなぁ」と思いつつ、それぞれの持ち物のバラバラさ加減(子供のピカチューぬいぐるみと、おばあさんの詩の本など)に、ほんのり違和感を感じていた程度。ですが、やっぱりこの展覧会にハマったのは、企画者である佐藤さんの「思想」に共鳴していたからだと思います。「同志。同質。同化」ではなく、「共有。共生。共鳴」であること。これは、最近私がこだわっているテーマです。 ところがところが、もう一発パンチをくらいました。授業に参加してくれていたアーティストのはぎのみほさん(社会人であり、メキシコ滞在経験あり)が「一家の思い出や過去のよりどころである物を博物館に持ち込み、収集してしまうことへの罪悪感はありませんか?」という質問をした時に、佐藤さんは間髪入れずに「ない。李さんの奥さんとの共犯だから」と応えていました(はぎのさん、鋭利な質問ありがとう)。「それほど李さん一家と深く関わったし、その責任を負えるのは僕しかいない」。 「共犯」…。共有や共生といった口当たりのいい言葉とはまた違う響きに、クラクラしてしまいました。もちろん、2人が法律にひっかかる犯罪をおかしたわけじゃなく、この展覧会が持っているヤバイ部分、人の生き方に深い影響を与えてしまうかもしれない危険性を双方が自覚している、ということです。うーん、ここまで底が深かったとは…。やられっぱなしです。悔しいので、また会場に行ってリベンジ計画を練ろうと思っています。
(こりゃこりゃ探検隊)
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■ 編 集 後 記 :こりゃこりゃ通信 ■ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 調査や研究をつうじて研究者のかんがえていることと現実の展示場空間のあいだには、ときとして跳び越えねばならない大きな溝があります。とくに今回のように、どこにでもありそうでいて実現されたためしのない展示であればなおさらです。李さん一家はあくまでも個性ゆたかな5人の家族、その家族をどのような文脈に位置づけるのか、展示を見にくる人びとにいったいなにをつたえるのか、展示場をデザインする以前につめておかねばならない大問題です。すべての物を提供してくれた李さん一家にたいする責任からも。 アパートの部屋を中心として、家族それぞれの生きる世界を学校や市場や職場や故郷としてえがく。そうした基本コンセプトはかなりはやい段階から決まっていました。展示場デザインはこのコンセプトをいかに実現してゆくかにつきるのですが、最終案にいたるまでにはかなりの紆余曲折がありました。各空間要素をできるだけ実物どおりに再現しようという案と、アパートの各部屋を分割することもいとわないというコンセプト重視の案のあいだで意見がわかれたのです。 ここだけの話(^^ゞ、議論が紛糾したのは、私ひとりが最後まで後者の案に固執していたからでした。せっかくだから、なぜなのか書いておかねばなりませんね。 そもそもアパートの部屋にある物を徹底的にしらべようとしたのには理由があります。建築家が理想の住宅を設計してみせるとしても、たいていの人は自分ののぞむような家を手に入れるわけではないでしょう。住宅は所詮経済性や利便性などの妥協の産物。そのなかで、私たちはせいぜい物にたくして自分らしさを発揮しているのが現実です。だから調査では、空間という器ではなく、そのなかの物に注目したのです。彼らにとっての、そして同時に私にとっての生きがいの意味を確認するために! ところが、アパートの部屋や学校や職場の空間を、展示場にそのままのかたちで再現しようということになって、リアリズムのために不足している展示品を無理にでも収集する必要が生じたのです。その結果、展示場には李さん一家の思いをすくいあげた貴重な資料と素性のわからない演示用の消費財とが見境なくならぶことになりました。空間にとらわれたくないという切実さではじめた物の調査が、空間のために奉仕せねばならない展示をまねいている。私の感じていたこのジレンマやふかい落胆の気持ちを誰ひとり理解できる関係者はいませんでした。 どうか誤解しないでください。展示場のデザインに異議をとなえようというのではないのです。結果として、ソウルスタイルの展示の成功は、実現された現在の展示案に帰すべきものだからです。 展示場には観客が期待する「3LDKのアパート」や「韓国文化」がわかりやすいパッケージとなって提示されています。まさに、老人から子供までたのしめる本展示の真骨頂はこのテーマパーク空間が約束してくれたものです。李さん一家の人びとさえ、目をうたがうほど忠実に再現された部屋を見て、今回の企画に納得し、感激してくれたのですから。 そして、そうした手触りのよいパッケージにこめられた不協和音 - こわれた変圧器から自動車にいたるまで家族の所有するすべての物を等価値にとらえた3千点あまりの画像、展示ケースにおさめられた財布のなかのメモ用紙、各所に配置された家族ひとりひとりのインタビューや一日の行動をおさめた映像、それになにより展示場の構成など - をいかに感じとり、そこからどのような真実をつむぎだすかは、いわばソウルスタイルに挑戦する者ひとりひとりの手にゆだねられることになりました。 だから、あえて言いましょう。手触りのよい現実そのものに爪をたてること! 私もまた、こうした通信の力をかりて、そしてあらゆる機会を利用して、ソウルスタイルへの挑戦をつづけているところなのです。 長居をしすぎました。もちろん、デザイン上の問題を解決するだけで展示場ができあがるわけではありません。物や人や予算や時間の制約とたたかいながら、想像を絶するこの展示計画をまとめあげてくれたのは中西啓さんと大野木啓人さんのおふたりです。展示場の実現にかけたスタッフのかたがたの奮戦記は、ひきつづいて次号でもおつたえする予定です。 ちょうど中西さんとおなじ京都造形芸術大学のりかまる先生様ご一行様から展示場の探険報告を頂戴しました。美術館と人をめぐる「猫道日記」、近日某ネットワークでオープンされるそうです。 今号は、私自身の思いの丈がつよすぎて編集後記がまとめられず、発行がのびのびになってしまいました。りかまる先生のご協力でやっと肩の荷をおろせた次第です。関係者のかたがたにご迷惑をおかけしました。どうかおゆるしくださいm(__)m
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※このE-Newsは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』 を利用して 発行しています。 http://www.mag2.com/ (マガジンID:0000086722) E-News配信解除: http://www.mag2.com/m/0000086722.htm バックナンバー: http://www.minpaku.ac.jp/special/200203/news/index └──────────────────────────────────┘
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編集・発行:2002年ソウルスタイル・プロジェクト・チーム
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