巻頭コラム
- World Watching from Washington, DC 2006年5月19日刊行
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久保正敏
● スミソニアン訪問記
本年3月に米国ワシントンにあるスミソニアン博物館群やニューヨーク自然史博物館を訪問する機会を得た。スミソニアン訪問は私にとって初めてであり、博物館関係者としては恥ずかしくも遅ればせながらではあったが、世界に例を見ない合計16の博物館・美術館から成る複合体が、ワシントン記念塔から国会議事堂に至る「ナショナル・モール」の両側に並ぶ様、そこを訪れる国内外からの入館者数の多さに目を見張った。
今回の訪問は、先端的な研究と市民とを結びつける「サイエンス・コミュニケーションのあり方を研究するうえでの先行事例調査の一環として、博物館学の教育プログラムやアウトリーチに関して積極的な展開を図っているスミソニアン博物館群などの専門家との意見交換・資料収集を行うことが目的であった。
専門家との懇談の中で、本題の意見交換とは別の点で興味を引いたのは、このナショナル・モールが米国民にとっての聖地であり、巡礼の対象である、との見方である。なるほど、ワシントン観光の目玉であり、また、かの1963年ワシントン大行進などが行われた歴史的なサイトでもある国家中枢地区は、米国民の統合、アイデンティティ醸成、意見表明のシンボリックな地域であって、博物館がその一翼を担う様は、国家と博物館の関係を考えるうえでまことに示唆的である。
モールの両側にひしめくスミソニアン博物館群が、失礼ながら門前町に見えてきたことであった。博物館が国家に奉仕し、あるいは国家に無害な存在と見なされるのは、博物学が世間離れした中立的な学だと見なされてきた流れと相通じ、また、日本の皇族の方々が博物学や考古学の研究者にはなるが、決して政治学者・社会学者にならない点にもつながるのではないか、と私は密かに思っている。また自然史博物館の科学教育部門ヘッドとの懇談の中で、米国民は、大学は政治的に左翼偏向していると考えており、博物館が情報源としては最も信頼されている、さらに、自然科学は教会のように絶大な信頼を得ている、という話も面白かった。逆に言えば、自然科学に対する米国民のリテラシーが低下し科学技術がブラックボックス化している訳で、これが学校教育で大きな問題になっているらしい。
かつてスプートニク・ショックで自然科学教育が重点化された流れが米国では継続していると思いこんでいた私にとって意外であった。学校教育と博物館の連携が盛んに進められている理由の一つも、この危機感にあるようだ。ただし、宗教とからむ進化論の扱いは厄介で、ちょうどニューヨーク自然史博物館で開催中の「ダーウィン企画展」の解説パネルには、例の「インテリジェント・デザイン」論にも言及してバランスをとる配慮も見られ、宗教をバックボーンの一つとする社会における自然科学者の苦労は、日本では及びもつかないと感じたことであった。久保正敏(文化資源研究センター教授)
◆参考サイト
スミソニアン
※スミソニアンは特定の博物館の名前ではなく、自然史博物館やアメリカ歴史博物館など、複数の博物館の複合体の名称です。◆用語解説
「インテリジェント・デザイン」
「スプートニク」
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