国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from India  2007年10月17日刊行
杉本良男

● 聖地の復興

今年の夏は、部長職から解放されたこともあって、久しぶりに雑用に追われずにインドへ調査研究のため行くことができた。南アジアの都市研究の科研費(三尾稔・研究代表者)をいただいたので、おもに聖地・巡礼地の調査研究を行ったが、南インドの代表的なキリスト教の聖地ウェーラーンガンニでの調査のさなか、2004年末の津波被害の追跡調査も実施した。聖地があるタミルナードゥ州中部海岸は、インドでもっともひどい津波被害を受けた地域である。被災地の復興そのものについては、あまりにも多くの問題が山積しているので別の機会をまつとして、ここでは津波後の聖地の状況を簡単にご紹介したい。

ウェーラーンガンニ周辺地域では、2005年2月末にやはり科研費で緊急調査を行ったが、そのころは巡礼客・観光客が激減して、巡礼・観光産業に関わる人びとは大いに危機感を募らせていた。じっさい平日だろうが休日だろうが、多くの人びとで賑わっていた聖堂周辺には閑古鳥が鳴き、国際機関やNGOなどのスタッフが泊まる上等のホテルをのぞいてがらがらの状態であった。その影響は、こうした宿泊施設のレストランに野菜などをおろす農民にも及んでいた。また、漁が全面的にストップしていたので魚も食べられない状態であった。

危機感を募らせた地元の有力者と聖堂側が協議してさまざまな検討を行った結果、いくつかの善後策が講じられた。まず、イースター前の四旬節(しじゅんせつ)の毎土曜日に、例年であれば聖母マリアの像を祀った山車をひきだし、聖堂の周囲のみを回っていたのを、2005年だけは津波が襲って多くの犠牲者が出た海岸部を、鎮魂の意味を込めて回るようにした。また衛星放送を通じて、聖地を主題にした大型の連続ドラマが放映されて、その安全性などが広く知られるようになった。この聖地には、聖母マリアにちなんで、足の不自由な少年が歩けるようになった話、からの壺に牛乳が満たされた話、そしてポルトガルの船を難破から救った話、の3つの奇蹟譚(きせきたん)があるが、そのほかに、聖堂付属の博物館に納められている巡礼客の病気が治った体験談などを題材にして連続ドラマが製作されたという。

こうした対策は予想以上に効果を上げ、地元の人びとが驚くほどの観光客・巡礼客が集まるようになった。もともとこの聖地は、さまざまな面でヒンドゥー的な要素を取り込んでいて、ヒンドゥー教徒もいわば聖母マリアを女神のひとりとして崇拝していた。2005年のイースター後にはヒンドゥー、クリスチャンさらにはムスリムなど宗教を問わず、以前にも増して聖地を訪れる人が殺到するようになった。ちょうどわれわれが訪れた時期は8月29日から9月8日まで行われる大祭の直前で、多くの観光客・巡礼客が集まることを想定してあわただしく準備が進められていた。

われわれは、残念ながら大祭の前に別の聖地へ移動しなければならなかったが、道中歩いて聖地に向かう人びとの列がひきもきらなかった。その列は聖地からはるか250キロ以上はなれたところまで続いており、なかには足の不自由な人をのせた手押し車をおして行く人、大きな旗を振りながら歩く人、あるいはリヤカーに聖母の像をのせて押していく人まであった。反対の経路を車で移動したわれわれが疲れたなどといっていては、ばちが当たると反省させられた。巡礼の人びとは1日におよそ4~50キロの道を歩くというが、大型バスやダンプカーなどがブンブン行き来しているハイウェー沿いを歩くことが多いので、その困難は想像を絶するものがある。

はじめにも述べたように、津波災害からの復興には、宗教間対立の要素が持ち込まれたり、さまざまな格差がかえって表面化し拡大していたりで、大きな混乱を招いており、また援助するがわにも巨額の援助金に目がくらんで持ち逃げする者もあり、現地の状況を無視してむしろ自らの宣伝のために復興住宅が建てられている印象もあった。インドでは物資、資金ともありあまるほど集まっており、疑心暗鬼になった人びとの人心はひどく荒廃しているようにみえた。

そうしたなかで、聖地の復興は例外的に明るい話題のひとつといえるのかもしれないが、それにつけても、こうした巨大災害については人類学のような人文社会科学的な研究が不可欠であることをあらためて感じさせられた。それは災害が自然現象を契機にしてはいるが、生きている人間が被害をこうむってはじめて起こるものだという当たり前のことが忘れられがちだからである。

杉本良男(民族社会研究部)

◆参考写真(2007年8月 杉本良男撮影)

写真1 津波で崩れた橋の周辺でも漁が再開されている
(タミルナードゥ州キーチャンクッパム、2007年8月)
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写真2 台湾のNGOによる復興住宅
(タミルナードゥ州パーパーコーイル、2007年8月)
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写真3 観光客がもどってきた。
ウェーラーンガンニ聖堂(奥)の前の商店(2007年8月)
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写真4 津波で亡くなった人の慰霊碑
(タミルナードゥ州ウェーラーンガンニ、2007年8月)
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写真5 ウェーラーンガンニに向かう巡礼
(タミルナードゥ州ディンディクル付近、2007年8月)
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◆参考サイト
インド洋地震津波災害調査研究グループ
インド概要(日本外務省)