国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

地域テーマ展示 中国地域 | 鹿野忠雄 年譜

西暦 鹿野忠雄の活動 主なできごと
1906(明治39年) 東京に生まれる  
1917 尋常小学校4年生頃から昆虫採集をはじめる  
1919 『昆虫世界』にはじめての論文が掲載される  
1921 台湾の昆虫標本を見る機会をえる  
1922 北海道とサハリンに昆虫採集にでかける  
    関東大震災(1923)
1924 中学卒業後、1年間を昆虫採集に費やす  
1925 台北高等学校入学。高等学校在学中は台湾の山岳地帯をくまなく歩き回り、昆虫採集に没頭する。それぞれの土地では原住民族の人たちと交流をもち、次第に彼らの文化に魅了されていく  
1929 台北高等学校卒業。卒業後も台湾にとどまり昆虫採集を中心とした調査を継続  
1930 帰京。東京帝国大学地理学科に入学
大学入学後は生物地理学を専攻しながら、地形学と民族学の調査も台湾で行うようになる。いわば3足のわらじをはいた状態で、精力的に調査を行った
 
1933 東京帝国大学卒業、同大学院進学 ブヌン族のタマホ社が帰順
1934 大学院生のまま、台湾総督府の嘱託職員に任用 日本民族学会設立
1936 澁澤敬三と初めて出会う  
1937 澁澤の援助をうけて、パイワン族、ヤミ族の調査を行う。アチック同人であった宮本啓太郎らと協力して、パイワン族の調査の様子を16ミリフィルムにおさめる 日中戦争勃発
1938 ヤミ族の調査報告を東京人類学会の例会で行い、好評を得る。以後、調査の内容は民族学的な色彩を強めていく 日本民族学会附属
民族学博物館開館(1939)
1940 結婚  
1941 「次高山彙に於ける動物地理学的研究」によって理学博士の学位を得る。一方で、『山と雲と蕃人と』を出版する 太平洋戦争勃発
1942 陸軍の嘱託となりマニラに赴く。フィリピン大学やマニラ国立博物館等の学術資料の保全と学術機関の整備に奔走する  
1943 帰国し、それまでの研究成果のとりまとめを行う  
1944 陸軍嘱託として、北ボルネオに赴く  
1945 消息を絶つ。『台湾原住民図譜』第一巻(瀬川幸吉との共著)が刊行される 太平洋戦争終結
1946 論文集『東南亜細亜民族学先史学研究』第一巻刊行  
1952 『東南亜細亜民族学先史学研究』第二巻刊行