国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

創世神話(4) ─『創世記』が『王書』と出合ったら─

異文化を学ぶ


ある宗教共同体が別の宗教を信奉する帝国をのみ込み、異なる神話体系が衝突した場合、何が起こるのか。7世紀にアラブ・ムスリム軍はササン朝ペルシャを支配した。前者の聖典『コーラン』における世の始まりは、ユダヤ・キリスト教の一神教的世界観と相通ずる。神が最初につくった人間はアダムで、彼が最初の預言者だ。一方、ゾロアスター教が国教のササン朝ペルシャには、原初の人間ガヨーマルトまでさかのぼる歴代アーリア人の王たちの功業を記した『王書』があった。こちらはインド神話との共通点が多く、世界観は全く異なる。

ムスリムによる征服後、多くのイラン人はイスラムに改宗し、ゾロアスター教自体は衰退する。しかし8世紀半ばから、古来の列王伝はイラン系改宗者によって中世ペルシャ語からアラビア語に翻訳され、アラブの歴史学に少なからぬ影響を与えた。ササン朝最後の王から人類の祖まで、歴代王の治世年数がはっきりと連続していた列王伝は、一神教的な古代史観に年代学的な見通しを与えたのである。

また、10世紀には『王書』が近世ペルシャ語で編纂(へんさん)されるが、ゾロアスター教的世界観はイスラムの教義にふれないように改変された。かくして、アダムはガヨーマルトと同一視されるようになる。異なる神話体系の相互浸透である。

国立民族学博物館 山中由里子
毎日新聞夕刊(2008年10月22日)に掲載