国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

みんぱくのオタカラ

帯用の織機(北海道アイヌ)  2012年11月16日刊行
齋藤玲子

この織機は、アイヌ語学者である知里真志保(ちりましほ)(1909-1961)が故郷の幌別(ほろべつ)村(現・登別市)で収集したものだ。当時、知里は東京大学の学生で、彼が集めた30点あまりの資料は私設の博物館「アチック・ミューゼアム」に収められた。付随する情報は、資料名・アイヌ語名称・収集地と、収蔵されたのが昭和11年10月ということである。帯を織るためのアイヌの機は国内にはあまり多く残されておらず、しかも櫛状ではなく板に穴をあけたタイプの筬(おさ)が興味深い。木綿製のタテ糸と、樹皮製のヨコ糸で織られている。

知里の遺稿「服装に関するアイヌ語調査資料」のなかに「帯」の項目がある。男性は帯用織機で織ったオヒョウ樹皮製の帯、女性はイラクサ製の帯で、荷を背負うときに用いる縄のように編んだもの・・・といったことが、ローマ字綴りのアイヌ語と漢字・カナ混じりでメモされていた。

この「調査資料」について、知里の没後の1965年に、金田一京助が次のように解説している。「・・・幌別方言と私は見た。しかも相手は伯母さんの金成マツさんであること、殆ど確実である。(後略)」

一方、昭和10年2月に知里がアチック・ミューゼアムに収めた資料のなかには、副葬品にするための荷負い縄があり、彼の祖母(金成マツの母)の名が記されていた。

この織りかけの帯が誰の手によるものなのか今はわからないが、80年前に想いをめぐらすことができる貴重な存在である。

齋藤玲子(民族文化研究部助教)

◆今月の「オタカラ」
標本番号:H0018709、H0018710/資料名:帯用の織機

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