『知的生産の技術』元原稿
オリジナル原稿用紙
1969年 49歳のころ
『知的生産の技術』(1969年)の手がき原稿が残っています。出版社から印刷所に回された原稿を返してもらって、自分で製本し、残しておいたのです。一般に作家たちは四百字の原稿用紙をもちいますが、梅棹は二百字の原稿用紙を特別注文していました。『知的生産の技術』(1969年)では、「もし日本語がタイプライターで書けたら、原稿用紙はもういらないだろう」と書いています。日本語のワープロが登場して漢字変換ができるようになったのは1978年のことです。
モノ情報カード
『知的生産の技術』元原稿 オリジナル原稿用紙