国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from China  2012年8月17日刊行
横山廣子

● 民族的帰属の変更と「文化振興」

7月の初め、中国湖南省桑植(そうしょく)県で開催された「ペー(白)族文化国際学術討論会」に参加した。主催は雲南省の大理白族自治州、湖南省の張家界(ちょうかかい)市と桑植県の3ヶ所の白族学会だが、運営したのは人口約38万人の山がちの小県、桑植県の学会である。ペー族は、早くから中国文明に接した少数民族の一つで、その先人たちは唐代の南詔(なんしょう)国、宋代の大理国の中枢を担ったとされる。それら中国西南部の小王国は、現在の雲南省とその周辺に及ぶ領域を支配した。最近でも総人口190万人の6割近くが大理州に居住している。

大理から遠く離れた桑植県には、1984年にペー族となった人びとがいる。民族政策が停止していた文化大革命が終わった中国では、80年代に民族的帰属に関する諸問題が息を吹き返した。特に民族別の登録がされる全国人口センサスが82年に実施されることになり、民族的帰属の変更を認める上での基本方針が中央から通達され、各地で変更を求める活動が盛んになった。

桑植県のペー族は、元来、ある集団名称で呼ばれて周囲の人びととは区別され、言語的にも少し異なる特徴があったが、どのような集団なのかは自分たちも分かっていなかった。雲南省をよく知る桑植県出身者が、ペー族との類似性を指摘し、大理との繋がりを求める作業が始まった。史書や伝承を手がかりに、13世紀の半ば、モンゴル軍に滅ぼされた大理国の人びとのなかに、モンゴル軍に加わって遠征し、故郷に戻れずに桑植県に定着した者がいた、という歴史が見つけ出され、1984年に約4万人がペー族として公認されることになった。

しかし、700年もの歴史を遡及してペー族となった人びとの文化的特徴は、言語学者がその言語を漢語方言の一つと結論づけるように、周囲の漢族や他の少数民族とも深く関わっている。そのままで自他ともに「ペー族らしい」と感じられるものでもない。

そういうなか、桑植県では大理のペー族との交流を通して、民族文化を高揚させる努力が続けられてきた。白族学会は、いわば、「文化振興」活動の拠点でもある。その前身は1991年に雲南白族学会の桑植分会として組織され、その後、省境を超えた学会が中国の地域組織の規定に合わないことから、改めて、桑植県を含む上のレベルの行政単位となっていた張家界市と桑植県とに白族学会が設立された。昨年、大理州の援助により桑植県に大理ペー族様式の家屋が建設され、現在、その一室が学会事務室となっている。半年ごとに『桑植白族』を刊行し、会員数は168人である。県のペー族人口も9万人を超えた。

今回の滞在中、ペー族の村を訪問する機会があった。見せてくれた伝統の舞の身のこなしには、武術の伝統のある湖南らしさが感じられた。その彼らが、大理ペー族から導入した民族衣装を着用しているの少々複雑な思いを抱きつつ、湖南のペー族文化の今後を見守っていかねばと思った。

横山廣子(民族社会研究部准教授)

◆関連ウェブサイト
桑植県国際学術討論会
中華人民共和国(日本外務省ホームページ)