国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

開館30周年記念特別展「聖地・巡礼─自分探しの旅へ─」

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  巡礼Q&A  
 
  サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼とは
 
 
サンチャゴ・デ・コンポステラはスペイン北西部、ガリシア地方の都市(人口約93000人/2006年)で、エルサレム、ローマとならぶカトリックの三大聖地のひとつである。町の中心をなすサンチャゴ・デ・コンポステラ大聖堂には聖ヤコブ(スペイン語でサンチャゴ、フランス語でサンジャック)の遺骨が祀られ、中世より多くの巡礼者が訪れる。
 
  どのような巡礼路があるの?
 
 
フランスを通ってサンチャゴ・デ・コンポステラへ向かうには主に4つのルートがある。アルルからトゥールーズ、モンペリエを経てソンポール峠でピレネー山脈を越える「サン・ジルの道」、ル・ピュイからコンク。モワサックを経る「ル・ピュイの道」、ヴェズレーからリモージュ、ペリグーを経る「サン・レオナールの道」、トゥールからポワティエ、ボルドーを経る「トゥールの道」。後者の3つはオスタバ付近で合流し、イパニェタ峠を通ってピレネーを越え、プエンテ・ラ・レイナで「サン・ジルの道」とひとつになる。この道は「フランス人の道」とも呼ばれ、昔も今も最も多くの巡礼者が通る。
 
 
 
サン・セバスチャンからビルバオ、オビエドを経て海沿いに進む「北の道」、イギリス、オランダ、北欧から海路でフェロルまたはラ・コルーニャに上陸し、徒歩でサンチャゴ・デ・コンポステラへ向かう「海の道(イギリスの道とも呼ぶ)」、 セビリャからサラマンカを経てアストルガで「フランス人の道」に合流する「銀の道」、 ポルトガルのポルトから、聖ヤコブの遺体が流れ着いたパドロンを経る「ポルトガルの道」など。そのほかにもヨーロッパ各地からサンチャゴ・デ・コンポステラへ向かう巡礼路がある。
 
  フランス側とスペイン側に違いはあるの?
 
 
フランス側はスペイン側よりも巡礼者が圧倒的に少ないし、巡礼路や宿泊施設もスペイン側の方が整備されている。ル・ピュイからの道は中央山塊と呼ばれる標高の高いところを通るので道のアップダウンが大きく、蛇行している部分も多くフランス側はスペイン側と比べて相当ハード。
 
  歩かなければいけないの?
 
 
バスや自動車を利用してもよいが、「巡礼証明書(コンポステラ)」をもらうためにはサンチャゴ・デ・コンポステラ到着前の最後の100km以上を歩かなければいけない。
 
  宗教は?
 
 
サンチャゴ・デ・コンポステラはキリスト教カトリックの巡礼地であるが、巡礼者の宗教は問われない。
 
  どんな人が来ているの?
 
 
2005年の統計によると、国別ではスペインが一番多く(52928人)、ついでイタリア(7430人)、ドイツ(7155人)、フランス(5909人)。日本人は約300人。職業別では学生(18827人)、勤め人(16552人)、技術者(11592人)、自由業(11153人)、年金生活者(10389人)など。
 
  期間とシーズンは?
 
 
ル・ピュイからサンチャゴ・デ・コンポステラまでは1350km。一日平均20~30km歩くとして、約2か月かかる。一度に踏破する必要はなく、何度かに分けて到達してもよい。夏のバカンスシーズン、とくに聖ヤコブの祝日(7月25日)があるため7月は人が多く、冬季はピレネー越えやセブレイロ峠越えが困難になるので少ない。
 
  持ちものは?
 
 
リュック、寝袋、帽子、杖、靴、着替え、防寒具、雨具、洗面用具、薬、絆創膏、日焼け止め、洗濯用石けん、反射板、保存食、水筒、ガイドブック、巡礼手帳、ホタテ貝など。けれども荷物は小さければ小さいほど良い。
 
  服装は?
 
 
とくに決まりはない。いちばん大事なのは足元なので、よく合ったトレッキングシューズをはく。ズボンは動きが楽で乾きの早いもの。サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼者の目印、ホタテ貝をリュックにつけたり、首から下げたりするとよい。
 
  宿泊は?
 
 
巡礼手帳をもっていれば巡礼者用の宿(フランスではジット、スペインではアルベルゲ)に安価で泊まれる。もちろんホテルや民宿、キャンプ場を利用してもよい。フランスの巡礼宿は予約優先だが、スペインでは先着順。もし泊まる場所が見つからなくても警察や市役所を尋ねるとたいていは何とかなる。
 
  食事は?
 
 
巡礼宿には食事付きと食事なしがあり、共同台所があれば自炊できる。巡礼者には安く食事を出すレストランもある。パンやチーズ、果物を買って済ませてもよいが、重くならないように買いすぎに注意。普段より糖分補給を多めにすること。
 
  予算は?
 
 
宿泊費はフランスの巡礼宿は1泊2000円前後。スペインでは基本的に無料だが、寄付として400円ぐらいは置くのが普通。質素にすれば食費は一日1500円程度で済む。
 
  ガイドブックは?
 
 
スペイン語、フランス語、英語はもちろん各国語で出版されているが日本語のものは少ない。インターネットでの情報も増えている。一番古いガイドブックは1139年頃、ヴェズレーの司祭エムリー・ピコ著とされる『巡礼の案内』(複製を「サンチャゴ・デ・コンポステラ大聖堂」コーナーにて展示中)
 
  言葉の問題は?
 
 
スペインの巡礼宿の管理人で英語が話せる人は約半分。けれども慣れたもので、言葉がわからない時は身振り手振りでコミュニケーションはできる。巡礼者もさまざまな国から来ているため、心配はいらない。
 
  巡礼の始め方は?
 
 
サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼にはいくつかの巡礼路があり、どのルートを取るかを決める。そのなかで整備が整い、風景も美しいので最も人気があるのがル・ピュイからの道(全1350km)。ル・ピュイから始める場合、ノートルダム大聖堂の隣にある巡礼協会で巡礼手帳を発行してもらい、スタート地点のスタンプをもらう。これで準備完了。
 
  巡礼手帳とは
 
 
巡礼者のパスポート(身分証明書兼通行許可書)のようなもので、巡礼協会や主要出発点で発行してもらえる。これを提示することで巡礼者用の宿を利用したり、その他の施設で巡礼者用の特典を利用できる。巡礼路の教会や巡礼宿でスタンプを押してもらい、その場所を通過したことを証明する。スタンプを押す場所がある限り、何度でも使える。発行元によってさまざまなデザインの違いがある。「クレデンシャル」という。
 
  なぜ「最後の100km」なの?
 
 
最後の100kmは徒歩、乗馬、自転車でしか通れない細い道。自らの身体を酷使してこの道を往き、かつての殉教者や巡礼者の苦難を追体験するため。
 
  一日のスケジュールは?
 
 
暗くなる前にその日の目的地に着くように、朝早く出発するのが一般的。1日に25~30kmを歩く人が多く、またそのくらいの距離に巡礼宿や教会がある。宿に着いたらシャワーを浴び、洗濯をし、夕食をとり、翌日に備えて早めに就寝する。
 
  道に迷うことは?
 
 
巡礼路には道標があり、フランス側では「赤と白」、スペイン側では「黄色の矢印」の目印があるので迷うことはない。
 
  どんな場所を通るの?
 
 
野原、畑沿いの農道、放牧地、民家の裏道、国道や県道沿い、たまには町。山越え、峠越えがあって案外とアップダウンがある。
 
  道の様子は?
 
 
ほとんどが土の道。石を敷き詰めた道や、町中ではもちろんアスファルト舗装もある。牛などの通り道となっている場合も多い。また車道で分断されている箇所も多い。水場やベンチ、テーブルが用意されている遊歩道のようなところもあれば、ほとんど人影を見ない山道のようなところもある。
 
  宿の様子は?
 
 
フランスのジットもスペインのアルベルゲも公営と私営がある。自炊できる台所、食堂、シャワー室、2段ベッドが備えられている。洗濯機や乾燥機、パソコンのある宿もある。快適な宿もそうでないところもさまざま。宿泊者同士の情報交換や交流の場でもある。
 
  けがや病気をしたら?
 
 
スペインでは巡礼の途中でけがや病気をした場合、治療費・薬代ともに無料になる。また巡礼宿は原則では1泊しかできないが、医師の診断書があれば連泊を認められる。
 
  聖ヤコブとは?
 
 
イエスの十二使徒のうちの一人。イスラエルのガリラヤの漁師の家に生まれ、44年頃、キリスト教迫害のために斬首され、最初の殉教者となった。844年、イスラム教徒とキリスト教徒の激闘の際、白馬に乗った聖ヤコブが現れキリスト教軍を勝利に導いたとされ、「ムーア人(ムスリム)殺しのヤコブ」とも呼ばれる。十字架、殉教の剣をもった使徒の姿や、ホタテ貝のついた帽子をかぶり、杖を持った巡礼者の姿、あるいは白馬にまたがり、異教徒(ムスリム)と戦う騎士の姿で表されることが多い。
 
  サンチャゴ・デ・コンポステラの地名の由来は?
 
 
サンチャゴは「聖ヤコブ」のスペイン語読み、コンポステラは「墓廟(コンポシトゥーム compositum)」を意味するラテン語に由来するとされるが確証はない。コンポステラの語源を「星の野(カンプス・ステラーエ campuss stellae)」とするものもあるが、近年、大聖堂の地下を考古学調査したところ4世紀から6世紀にかけて使用された地下墓地が発掘されたため、最近の研究では「墓廟」がほぼ定説となっている。
 
  ホタテ貝とは?
 
 
中世からホタテ貝はサンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼者の印。当初は巡礼の記念として持ち帰るものであったが、いつしか身分を示すものとして往路から身につけるようになった。現代の巡礼者たちも首から下げたり、リュックにぶら下げたりしている。
 
  ホタテ貝がシンボルになった理由は?
 
 
海中に落ちた騎士が聖ヤコブに祈ったところ、命を救われ、海からあがった体にはホタテ貝がびっしりはりついていたという伝説や、巡礼者が食器代わりに使ったからという説、ガリシア地方の名産品だからという説、聖ヤコブの杖にホタテ貝が付いていたからという説、聖ヤコブが漁師の家の生まれでこの貝を紋章としていたからという説、貝は女性の生殖と豊穣のシンボルであるため巡礼者の再生を表すという説などさまざまである。
 
  ホタテ貝を英独仏伊語で言うと?
 
 
フランス語ではcoquille Saint-Jacques、ドイツ語ではJakobsmuschel、イタリア語ではconchiglia di San Giacomo、英語ではSt. James' Scallop(いずれも「聖ヤコブの貝」)。これは、昔からこの国々の大勢の人たちがサンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼に訪れたということを示している。またスペイン語ではConcha de peregrino(巡礼の貝)と呼ぶ。
 
  「聖ヤコブの道」とは?
 
 
「聖ヤコブの道」とはフランス語やスペイン語で「天の川」のこと。イベリア半島の夜空を東西に横たわる天の川と、真西に向かう巡礼路を重ね合わせたのだろう。それにちなんで当ホームページの背景は星空。
 
  日本とつながりは?
 
 
スペインのガリシア州内にある約200kmの巡礼道は、和歌山県内の熊野古道と友好姉妹道(1998年10月締結)になっている。
 
  四国巡礼と比較すると?
 
 
巡礼の目的が信仰や贖罪、願掛け、とくに病気治癒祈願であること、歩くことが重視されていること、巡礼者への慈善活動(お接待)がおこなわれていること、組織された団体(巡礼講)より個人巡礼が中心であること、などの特徴が両者に共通。さらに最近は「癒し」や「自分探し」、健康指向などの目的が多様化していること、若者の増加、観光資源としての注目されていることなども類似。 一方、かつて四国巡礼に武士階級以上はほとんど見られず、慈善活動も民衆レベルで行われたが、サンチャゴ・デ・コンポステラへは民衆だけでなく貴族、騎士、国王までが巡礼したこと、都市当局、教会、兄弟団(巡礼経験者の集まり)、王権力により組織的に慈善活動が展開されたことが相違点。
 
  巡礼をする理由は?
 
 
人生を変える何かを求めて(オランダ人女性)
 
 
新しい考え方を得るため(ピレネーにて。女性)
 
 
理由なんてない。ただやりたいと思ったから(ピレネーにて。女性)
 
 
一人になるため(自転車で巡礼する男性)
 
 
巡礼路が好きだから(オブラックにて。グループで巡礼する人)
 
 
ただ歩いてみたいから(エコ博物館にて)
 
 
日常から切り離されて熟考するため(ル・ピュイにて)
 
 
有名だし、宗教的な理由もあるから(スペイン人女性)
 
 
巡礼の精神と文化を知るため(スペイン人)
 
 
糖尿病なので痩せるため(自転車で巡礼するドイツ人)
 
 
スポーツとして(自転車の若者たち)
 
 
自分の限界を知るため(3年連続来ている人)
 
 
楽しみ。なくてはならないもの(スイス人)
 
 
スポーツと文化のため(フランス人)
 
 
信仰のため(フランス人)
 
 
精神の回復のため(カナダ人)
 
 
巡礼路に呼ばれたから(メキシコ人)
 
 
巡礼路が好きだから(スペイン人、フランス人)
 
 
定年退職したから(日本人)
 
 
願掛けのため(スペイン人)
 
 
パウロ・コエーリョの『星の巡礼』(注:サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼をテーマにした小説)を読んだから(日本人)
 
 
多くの人が巡礼する理由を知りたかったから(スペイン人)
 
 
スペインを歩くのを楽しむため(カナダ人)
 
 
ハイキングコースを歩いていて、偶然、巡礼路を見つけたため(オーストリアから歩いているドイツ人親子)
 
 
いろいろと変えたかったから(宿でボランティアをする人)
 
 
人生の方向を考えるためと自然の中に身を置くため(イギリス人)
 
 
巡礼者になるとどんな感じがするかを体験するため(アメリカ人)
 
 
サンチャゴ・デ・コンポステラ大聖堂のミサに参加するため(イギリス人)
 
 
理由はわからないけれど、来たいと思ったから(ハンガリー人)
 
 
人生を振り返るため(もうすぐ社会人になるフランス人)
 
 
神様からの天啓を受けたため(準備中の女性)
 
 
自分の守護聖人に詣でるため(巡礼協会の職員)