民族学者の仕事場:Vol.4 近藤雅樹―少女たちの霊的体験の研究
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少女たちの霊的体験の研究
近藤 本人が霊的体験というふうに自覚しているというか、信じている話ですよね。
※『霊感少女論』近藤雅樹 河出書房新社 1997年
近藤 兵庫県立歴史博物館で妖怪の展覧会をやったあたりからですね。「おんな紋」と「霊感少女」の研究は、ぼくの頭の中ではペアになっていました。「おんな紋」は、さっき言いましたように女性の血縁とか血筋、また「霊感少女」の方は、まさに霊感で、超能力。どちらも実体がないんです。ないんだけれども、すがりついていたいものなんですよね。「私は優れた血筋を受けついでる」とか、あるいは「すごく霊感が強いんだ、並の人間ではないんだ」と思いたい。エリートとはいいませんが、身勝手な優越意識をもち続けることが本人のアイデンティティーになっていたり、生きる意欲の源になっていたりする。これも、やっぱり、現実世界にかぶさっているイマジネーションのベールなんですけどね。
近藤 虚像ですよ。血筋にしたところで、霊感にしたところで・・・。そんなもの、ありはしない。ですが、そのありはしないものが、さもあるようにふるまって生きている。そう考えると、ミもフタもない話になるんですけどね。でも、バラしちゃったんですよね。この2冊の本で。
近藤 「おんな紋」をずっとたどっていったら、帰るべきところは家柄が誇れる場所なんです。永遠に回帰しているわけじゃない。家系図と同じです。むかしの家柄に何か自分の存在意義を見出しているだけで、現実とは関係ないんですよね。この社会の中で、それがどうなんだという、日常生活とは関係ないところでの優越意識をみたしているだけなんです。霊感もそうですよね。ウソで固めた世界です。でも、本人がそうと信じこんでしまうと、これほどたちの悪いものはない。
近藤 男の子たちも凝っていますよ。ギャンブルで縁起をかつぐ人たちだってね。自分で判断することからの逃避、自己責任を回避しようとするから、アドバイスに従いたい。そのときに何かすがるものが欲しい。占いとか、神さまとかは、その点で、便利なアイテムなんですよね。