広瀬浩二郎『テリヤキ通信』 ─ はじめに
はじめに
今日の僕の昼食は、出前で頼んだ「チキン・テリヤキ」。出前も英語でいうと「デリバリー」、なんだかおいしそうでしょ…。このデリバリー・サービス、大学のカフェテリアで食べるよりも安く、また和食メニューもあるので、最近は愛用している。今日も注文の電話をして「Hello」と言っただけなのに、「Hi, Kojiro. Your address is …」とすらすら当てられてしまった。もう少し「いい所」で名前を覚えられたいのだが…。
さて、合気道の稽古を終えての夕食。足はなんとなく日本食レストランに向いてしまう。やはり夜は白いご飯でないと…。僕が通っているのは中国人経営の「イチバン」というお店。お世話になっている日本史の教授の「あの店の名前は『イチバン』だけど、味はプリンストンで『3番』くらいの日本食屋です」という言葉をぼんやり思い出しつつ歩く。そういえば、この辺に日本食レストランは3軒しかなかったっけ…!?
「イチバン」のおばちゃんは、僕の顔を見るとかならず「You need a bathroom」と言ってトイレに案内しようとする。ずいぶん前に1度だけトイレを借りたことがあるのだが、なにも毎回トイレに連れ込む(?)ことはないだろうに…。僕って、いつもそんなに深刻な顔してるのかな。まあ、これも少し変わった親しみの表現かなと軽く受け流し席に着く。
昼はチキンだったから…、としばし考え注文したのは「サーモン・テリヤキ」。これでも栄養のバランスを考えているつもりである。日本で「照り焼き」といえば家庭料理、あるいはファストフード店でお目にかかるくらいで、あまりポピュラーではない。でも僕の印象だと、ここアメリカでは「スシ」と並んで「テリヤキ」は日本料理の代表とされている。じつは僕が出前を頼む店の名も「テリヤキ・ボーイ」というほどだ。プリンストンに住んで2ヶ月余。すっかり僕も「テリヤキ」のお世話になっている。
辞書によると、照り焼きは「醤油や味醂で調味したたれを付けながら焼くこと」らしい。たしかに手軽だし、応用範囲も広そうだ。日本で生まれアメリカで受け入れられた「テリヤキ」に感謝しつつ、「テリヤキ・ボーイ」ならぬ「テリヤキおやじ」による「アメリカ報告」の不定期連載を始めることにしよう。
さて、お腹がいっぱいになったところで、もう少し日本食談議を続けたい。日本食の代表として照り焼き、寿司、味噌汁について考えてみる(かなりの独断と偏見である)。まず我が照り焼き。これは先ほどの定義が示すように、たれを工夫するくらいで料理法としてのバリエーションはない。アメリカのどの店で食べても大外れはないし、味も似通っている。照り焼きがそのまま「テリヤキ」にスムーズに移行したといえそうだ。
では、ヘルシー・フードとして欧米人に大人気の寿司はどうだろう。これも基本は日本の寿司が「スシ」になったわけだが、「スシ」は今も進化(?)し続けている。アボガドを寿司に利用したカリフォルニア・ロールは画期的な発明品だが、ここプリンストンでは怪しげな「スシ」も出回っている。プリンストン・ロール、マンハッタン・ロール、ドラゴン・ロール…!?日本人からすると、ちょっと納得できないものもある。寿司から「スシ」への移行は、独自の(時には余計な?)味付けを加えたものといえる。
最後に日本料理の基本、味噌汁はどうだろう。アメリカの日本食レストランでもほぼ例外なく味噌汁を出すが、これはご飯といっしょに食べる日本の感覚とはまったく違う。文字どおり「ミソスープ」なのだ。ご飯とメーン・ディッシュが出される前にスープとして味噌汁が出てくるのがアメリカの「常識」らしい。日本の味噌汁がアメリカ流に再解釈されて「ミソスープ」となったわけだ。味は似てても(似てない場合もあるが…)役割は異なる。
照り焼き型、寿司型、味噌汁型。多少強引なこじつけになるが、日本文化が海外で受容されていく時、あるいはもっと一般的に異文化が接触する場合、このような三つのパターンが考えられるのではなかろうか。僕がもう少し高級な料理を食べるようになったら、この3類型の呼び名も変化するかもしれないが、今は日常的に親しんでいる照り焼き、寿司、味噌汁を仮説として使うことにしよう。
たとえば、僕が参加している合気道道場。ほとんどは照り焼き型(日本の稽古スタイルをそのまま取り入れる)と寿司型(日本のスタイルを基本としつつアメリカ的発想も少し組み込む)のミックスで、各道場の師範(センセイ)によってその割合が決まる。僕はまだ見たことはないが、「合気道」、「武道」を名乗りながら、まったく異質の格闘技を教えている味噌汁型の道場もあるようだ。
現在僕が取り組んでいるニューヨークにおける日系新宗教の動向についても、この3類型を用いた分析をしてみたい(本連載の最後くらいかな…、たぶん)。「テリヤキ」概念(?)は、日本人プロ野球選手のメジャー・リーグ挑戦の成否などにも応用できそうだが、僕個人の好みも入ってしまいそうなので、今回はやめておこう。 この連載では、アメリカのさまざまな場面で「日本」がどのようにとらえられているか、マイノリティ文化とマジョリティ文化の接触から何が生まれてくるかなどについて考えていきたい。まあ、つまりはどうすれば「テリヤキ」、「スシ」、「ミソスープ」をおいしく食べれるかということだ(ちょっと違うかな…)。
武道と和食をこよなく愛する僕自身も、日本にいる時のありのままの姿で「アメリカ」に溶け込んでみたいと思っている。やはり「テリヤキおやじ」なのだ。そのためには、最低限の英会話とアメリカ人の「常識」をマスターする努力を惜しんではなるまい。「ミソスープ」が冷えても、ご飯が出てくるまで待つくらいの忍耐(?)は必要だろう。そのような努力や忍耐を読者のみなさんに共有してもらうつもりはさらさらないが、この「テリヤキ通信」を通じて、多くの人々がお腹いっぱいになってくれることを願っている。僕が帰国するころに「テリヤキ」の食べすぎで太っていないことを祈りつつ…。
[2002年11月]