研究スタッフ便り 蘭語学ことはじめ
9月(2) オーストリアの「繰り返し語」
オーストリアのグラーツで畳語(じょうご、reduplication)に関するワークショップがあった。
畳語というと難しく聞こえるが、要するに「繰り返し」のことである。単語の全部、もしくは一部を繰り返すことがなんらかの文法的な機能と結びついている現象のことで、世界の言語でわりと一般的に見られる。複数形をつくるのに単語の一部を繰り返す、というのは珍しくないが、これなどは日本語の「山」、「人」に対して、「山々」とか「人びと」という言い方があることを考えれば、比較的、理解していただきやすいと思う。
この現象はなぜかヨーロッパの言語ではあまり一般的ではなく、オランダ語にもほとんどみられない。かろうじてスピードを示す副詞に snel 「速く」が snel-snel 「とても速く」といった現象がある、といったところらしい。ところが、オランダ語が基層となって南アフリカで新しくできた言語、アフリカーンス語などでは、オランダ語がもとになっている単語でもちゃんと、繰り返しが起こることが報告された。たとえば、次のようなものである。
この用法は、英語でたとえば、
You know, the lunch I had at that restaurant, it wasn't a real salad-salad...
「あのレストランで食べたサラダって、サラダらしいサラダというわけではなかったんだけど・・・」
などというときの名詞の使い方に少し似ている。ちなみに元祖オランダ語では huisや winkel をこのように重ねて使うことはない(そうだ)。
オランダ語にはアフリカーンス語から逆輸入(?)された語もある。たとえば rooibos というお茶。rooibos はアフリカーンス語では「赤い木」を意味するが、ハーブティーとしてオランダのスーパーには必ず売っている。オランダ語にはほかにも旧植民地の言語から入ってきた語がたくさんあって、代表的なものはなんといっても「うこん(ターメリック)」を表すkoenjit。これはインドネシア語kunyitから。(オランダ語の綴り oe は [u] を表す。)もちろん、オランダ語からインドネシア語に入った単語も多い。
話はそれたが、今回グラーツで四日間にわたって行われたこのワークショップ、意図的に発表数を25程度に制限したそうだが、プログラムの組み方も詰まりすぎず空きすぎずでちょうど良かったし、なんといっても30名という少人数の間では議論が必然的に密になり学問的にも有意義だった。とくに、reduplication というテーマにもとづいて、ないはずのヨーロッパ言語の専門家を含め、各言語グループからなんらかの報告が聞けたのはとてもよかった。民博で今後共同研究会を組むときにも、参考にできることがずいぶんあったように思う。
それはさておき、全部で四泊五日というこの短い滞在期間にも、ふたつのイベントがあった。ひとつめは、いってみれば「サイエンス・フェア」、オーストリア公用語のドイツ語では、
Schwarzmarkt für nützliches Wissen und Nicht-Wissen
名づけて「知識のブラック・マーケット」。
ワークショップのオーガナイザーが、自分も頼まれて参加しなくてはならないので初日のウェルカム・パーティーを中座しなくてはならない、と、申し訳なさそう。よくよく聞いてみると、バスク語(スペインとフランスの国境地域で話されている)の専門家である彼は、バスクとバスク語に関する知識を「売る」のだとか。バスクについてなにか知りたいことがある人は、当日会場に行って1ユーロ払うと彼と10分間話をする機会が与えられる。この時間内に自分が知りたいことについて何でも質問してよい。知識を売る専門家はさまざまな分野から50人ずつ3ラウンド、合計3時間で150人の参加だと聞いた。実際に会場にいってみると、質問がある人の順番待ちの長い列。会場ではさらにヘッドフォンを借りて、人が質問している内容を聞くことができるようになっており、さらには、同じ建物の別の階で専門家から聞いてきた知識のまた売り(?)をする人もいるなど、「知識」の需要の高さ(?)に驚かされた。
さて、学会やワークショップでは、中(なか)日に半日、長い学会の場合には一日休みをとって、ちょっとしたツアーを組んでくれることが多い。毎日次から次へと発表を聞き続けてだんだんまわらなくなってくる頭をリフレッシュする意味が大きいが、学会参加者にとっては、唯一、観光者気分を味わうことのできる時間でもある。
今回はワインの産地訪問だった。グラーツはオーストリアの南に位置しており、ここからスロベニア国境までは40km。バスで国境地域まで出かけると、道がほぼ国境線上を走っている地域に出て、両側にぶどう畑が見える。ここでは観光ガイド役のバスク語の専門家、マイクを片手に、「みなさん、左手に見えますのがスロベニア、右手がオーストリアとなります。当然、左側ではスロベニア語、右側ではドイツ語が話されていま~す。」
道路が最初に国境と接する地点にEUの旗と入国管理のための小さな小屋があった。(中には誰もいなかったけど。)そしてそこから先は、道路が国境線と交差するたびに、スロベニア領なのかオーストリア領なのかが記してあった。写真2にうつっている、丸で囲まれた SLO というのが「ここから先はスロベニア領」というしるしなのだそうだ。このしるし、道がゆるくうねるたびに現れ、そのたびに参加者から歓声があがっていた。
そうこうするうちに、バスは国境ぎりぎり地域を離れてワインの産地へと向かい、小さな村を順に通過。道沿いには、村の名前を書いた標識が順にあらわれはじめた。観光地化してパステルカラーにぬられた明るい色の建物と、古びてほとんど省みられていないような建物が入れ混ざる地域を通過するうちに・・・。
「Reduplication だ!」と車内騒然。見ると標識には「Klein-Klein」。ワークショップのコーディネーターの人は「だからここにきたんじゃないか」と自分もくすくす笑いながら、かといって語源についての質問には「よくわからない。」すると、参加者の中にいたスラブ諸語の専門家が立ちあがり、よどみないスピーチがはじまった。klein というのは、スロベニア語で「楓(かえで)」を意味する語klenがドイツ語風になまったもの。したがって、Groß-Klein とKlein-Klein というのは、大楓町と小楓町、とでもいったところ。ドイツ語の小さいという単語 klein と、「楓」を意味するスロベニア起源の単語がたまたま同じ語形であったため、みかけは同じ語が並んでいるように見えるようになったのだ。
ホテルにもどってからインターネットで調べてみると、確かにオーストリア南部ではスロベニア語がまざった独特のドイツ語が話されているとのことだった。 Styria と呼ばれるこの地方はもともとスロベニア側とはひとつの地域だったらしい。空港でであったスロベニア出身だけれど十年以上グラーツに住んでいるという人に、じゃがいも料理についてスロベニアとグラーツとの違いを聞くと、「違うわけないじゃない」という感じなのだ。引っ越して国名もつかう言語もかわったというのに、それでも住んでいるのは同じ地域内、という感覚でいるのが面白いと思った。「国境の線なんて、最近になってから引かれたものだからね」とのコメントだったが、まさにその通りなのだろうと思う。
・・・言語学者の集団なんて、なんの役にも立たないかもしれないけれど、少なくとも知識欲だけはじゅぶん満たしてもらえる。そこに価値があると思ってもらえるかどうか、については意見が分かれるところかもしれないけれど、ブラック・マーケットで売れるくらいだから、やっぱりそれなりの存在意義はあるのではないだろうか?と変に自信のついたオーストリア訪問であった。
<後日譚>
ワイン産地訪問の夜、インターネットにアクセスしていたのは私だけではなかった。次の日のセッションが始まる前に会場でささやかれた調査結果の報告(?)の中からいくつか。
1)ゲルマン諸語の下位祖語には楓という語が再建されていることが判明。したがって、ドイツ語の「楓」を示す語klein ももともとドイツ語にあった単語だと思われる。 Klein-Klein の二つ目の語がスロベニア語からの借用である、という主張をするには、より詳細な検討が必要。
2)ドイツ北部にも類似の地名がみられる。すなわち、Gross Klein 「大楓町」と Lützen Klein 「小楓町」。ただし、この地域では、「小さい」という単語が別の形 lützen (ドイツ語の litten, 英語のlittle と同源語) であるため、繰り返しのように見える形にはならない。
根っからの研究者集団というべきか、それとも外から見れば単なるオタクの集まりなのか・・・。
畳語というと難しく聞こえるが、要するに「繰り返し」のことである。単語の全部、もしくは一部を繰り返すことがなんらかの文法的な機能と結びついている現象のことで、世界の言語でわりと一般的に見られる。複数形をつくるのに単語の一部を繰り返す、というのは珍しくないが、これなどは日本語の「山」、「人」に対して、「山々」とか「人びと」という言い方があることを考えれば、比較的、理解していただきやすいと思う。
この現象はなぜかヨーロッパの言語ではあまり一般的ではなく、オランダ語にもほとんどみられない。かろうじてスピードを示す副詞に snel 「速く」が snel-snel 「とても速く」といった現象がある、といったところらしい。ところが、オランダ語が基層となって南アフリカで新しくできた言語、アフリカーンス語などでは、オランダ語がもとになっている単語でもちゃんと、繰り返しが起こることが報告された。たとえば、次のようなものである。
huis | 「家」 | huis-huis | 「本当の家」 |
winkel | 「店」 | winkel-winkel | 「本当の店」 |
この用法は、英語でたとえば、
You know, the lunch I had at that restaurant, it wasn't a real salad-salad...
「あのレストランで食べたサラダって、サラダらしいサラダというわけではなかったんだけど・・・」
などというときの名詞の使い方に少し似ている。ちなみに元祖オランダ語では huisや winkel をこのように重ねて使うことはない(そうだ)。
オランダ語にはアフリカーンス語から逆輸入(?)された語もある。たとえば rooibos というお茶。rooibos はアフリカーンス語では「赤い木」を意味するが、ハーブティーとしてオランダのスーパーには必ず売っている。オランダ語にはほかにも旧植民地の言語から入ってきた語がたくさんあって、代表的なものはなんといっても「うこん(ターメリック)」を表すkoenjit。これはインドネシア語kunyitから。(オランダ語の綴り oe は [u] を表す。)もちろん、オランダ語からインドネシア語に入った単語も多い。
話はそれたが、今回グラーツで四日間にわたって行われたこのワークショップ、意図的に発表数を25程度に制限したそうだが、プログラムの組み方も詰まりすぎず空きすぎずでちょうど良かったし、なんといっても30名という少人数の間では議論が必然的に密になり学問的にも有意義だった。とくに、reduplication というテーマにもとづいて、ないはずのヨーロッパ言語の専門家を含め、各言語グループからなんらかの報告が聞けたのはとてもよかった。民博で今後共同研究会を組むときにも、参考にできることがずいぶんあったように思う。
それはさておき、全部で四泊五日というこの短い滞在期間にも、ふたつのイベントがあった。ひとつめは、いってみれば「サイエンス・フェア」、オーストリア公用語のドイツ語では、
Schwarzmarkt für nützliches Wissen und Nicht-Wissen
名づけて「知識のブラック・マーケット」。
ワークショップのオーガナイザーが、自分も頼まれて参加しなくてはならないので初日のウェルカム・パーティーを中座しなくてはならない、と、申し訳なさそう。よくよく聞いてみると、バスク語(スペインとフランスの国境地域で話されている)の専門家である彼は、バスクとバスク語に関する知識を「売る」のだとか。バスクについてなにか知りたいことがある人は、当日会場に行って1ユーロ払うと彼と10分間話をする機会が与えられる。この時間内に自分が知りたいことについて何でも質問してよい。知識を売る専門家はさまざまな分野から50人ずつ3ラウンド、合計3時間で150人の参加だと聞いた。実際に会場にいってみると、質問がある人の順番待ちの長い列。会場ではさらにヘッドフォンを借りて、人が質問している内容を聞くことができるようになっており、さらには、同じ建物の別の階で専門家から聞いてきた知識のまた売り(?)をする人もいるなど、「知識」の需要の高さ(?)に驚かされた。
さて、学会やワークショップでは、中(なか)日に半日、長い学会の場合には一日休みをとって、ちょっとしたツアーを組んでくれることが多い。毎日次から次へと発表を聞き続けてだんだんまわらなくなってくる頭をリフレッシュする意味が大きいが、学会参加者にとっては、唯一、観光者気分を味わうことのできる時間でもある。
今回はワインの産地訪問だった。グラーツはオーストリアの南に位置しており、ここからスロベニア国境までは40km。バスで国境地域まで出かけると、道がほぼ国境線上を走っている地域に出て、両側にぶどう畑が見える。ここでは観光ガイド役のバスク語の専門家、マイクを片手に、「みなさん、左手に見えますのがスロベニア、右手がオーストリアとなります。当然、左側ではスロベニア語、右側ではドイツ語が話されていま~す。」
道路が最初に国境と接する地点にEUの旗と入国管理のための小さな小屋があった。(中には誰もいなかったけど。)そしてそこから先は、道路が国境線と交差するたびに、スロベニア領なのかオーストリア領なのかが記してあった。写真2にうつっている、丸で囲まれた SLO というのが「ここから先はスロベニア領」というしるしなのだそうだ。このしるし、道がゆるくうねるたびに現れ、そのたびに参加者から歓声があがっていた。
そうこうするうちに、バスは国境ぎりぎり地域を離れてワインの産地へと向かい、小さな村を順に通過。道沿いには、村の名前を書いた標識が順にあらわれはじめた。観光地化してパステルカラーにぬられた明るい色の建物と、古びてほとんど省みられていないような建物が入れ混ざる地域を通過するうちに・・・。
「Reduplication だ!」と車内騒然。見ると標識には「Klein-Klein」。ワークショップのコーディネーターの人は「だからここにきたんじゃないか」と自分もくすくす笑いながら、かといって語源についての質問には「よくわからない。」すると、参加者の中にいたスラブ諸語の専門家が立ちあがり、よどみないスピーチがはじまった。klein というのは、スロベニア語で「楓(かえで)」を意味する語klenがドイツ語風になまったもの。したがって、Groß-Klein とKlein-Klein というのは、大楓町と小楓町、とでもいったところ。ドイツ語の小さいという単語 klein と、「楓」を意味するスロベニア起源の単語がたまたま同じ語形であったため、みかけは同じ語が並んでいるように見えるようになったのだ。
ホテルにもどってからインターネットで調べてみると、確かにオーストリア南部ではスロベニア語がまざった独特のドイツ語が話されているとのことだった。 Styria と呼ばれるこの地方はもともとスロベニア側とはひとつの地域だったらしい。空港でであったスロベニア出身だけれど十年以上グラーツに住んでいるという人に、じゃがいも料理についてスロベニアとグラーツとの違いを聞くと、「違うわけないじゃない」という感じなのだ。引っ越して国名もつかう言語もかわったというのに、それでも住んでいるのは同じ地域内、という感覚でいるのが面白いと思った。「国境の線なんて、最近になってから引かれたものだからね」とのコメントだったが、まさにその通りなのだろうと思う。
・・・言語学者の集団なんて、なんの役にも立たないかもしれないけれど、少なくとも知識欲だけはじゅぶん満たしてもらえる。そこに価値があると思ってもらえるかどうか、については意見が分かれるところかもしれないけれど、ブラック・マーケットで売れるくらいだから、やっぱりそれなりの存在意義はあるのではないだろうか?と変に自信のついたオーストリア訪問であった。
<後日譚>
ワイン産地訪問の夜、インターネットにアクセスしていたのは私だけではなかった。次の日のセッションが始まる前に会場でささやかれた調査結果の報告(?)の中からいくつか。
1)ゲルマン諸語の下位祖語には楓という語が再建されていることが判明。したがって、ドイツ語の「楓」を示す語klein ももともとドイツ語にあった単語だと思われる。 Klein-Klein の二つ目の語がスロベニア語からの借用である、という主張をするには、より詳細な検討が必要。
2)ドイツ北部にも類似の地名がみられる。すなわち、Gross Klein 「大楓町」と Lützen Klein 「小楓町」。ただし、この地域では、「小さい」という単語が別の形 lützen (ドイツ語の litten, 英語のlittle と同源語) であるため、繰り返しのように見える形にはならない。
根っからの研究者集団というべきか、それとも外から見れば単なるオタクの集まりなのか・・・。
(写真1-1)「知識のブラックマーケット」。どの専門家も大繁盛。 | (写真1-2)周りには、ヘッドフォンで売られる知識のおこぼれをもらう人も。 |
(写真2) ここからスロベニアです・・・しばらくするとオーストリアにもどりま~す。 |
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(写真3) 右手はオーストリア、左手はスロベニア。訪問したい国側にお降りください。 |
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(写真4) オーストリア側(だったと思う)のぶどう畑。風景はどちら側でもほとんど同じ。 |
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(写真5) Klein-Klein (小かえで)村の境を示す標識。 |
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