国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

野林厚志『ブリテン島紳士録』

野林厚志『ブリテン島紳士録』

イングランド児童文学紀行

 今回は、英国からの「旅の読書室」ということになった。今回は旅にしては少し長い。1年間こちらの大学博物館で研修することになっている。英国ならばという妻の了解のもと、娘2人も一緒に家族での滞在となった。子づれの旅は、もちろん煩わしいことも多いが、勝手気ままな一人旅のときとはまたちがった発見を与えてくれる。もうすぐ4歳になる上の娘は、就寝前の本の読み聞かせをせがむようになってきた。日本の絵本もさることながら、せっかくだからこちらの絵本にもチャレンジするのだが、単語がわからなくて愕然とすることもしばしばである。

 英国の数多い児童文学のなかでも「不思議の国のアリス」はけっこうな難物である。子どもむけに書きなおされた『おとぎの“アリス”』(ルイス・キャロル著・ほるぷ出版)本でさえも前後の脈絡がよくわからない。一つ一つのひらめきが言葉では説明できないつむぎ方をされているといってよいのだろうか。大人にとって難解なこの物語は、子どもにとっては面白いらしい。「だって、色々なものが次から次にでてくるからだから」だそうである。

筆者の滞在しているオックスフォードはアリスの生まれ故郷である。著者のルイスキャロルは、オックスフォード大学のセント・クライスト・チャーチ・カレッジの卒業生であり数学の講師でもあった。このカレッジは現在もオックスフォード大学の数あるカレッジの中の一つとして、多くの学生が学んでいる。ここもそうなのだが、オックスフォード大学のいくつかのカレッジは、中世に建てられた建造物をそのままの姿で残しているところが多い。観光客は入場料を払ってカレッジの一部を見学することができ、カレッジ内の観光コースにはみやげ物屋まで作られている。最初は大学がこんな商売をするかとなかば呆れていた。しかしながら、よくよく考えてみると日本でも古い神社仏閣に入るのに入場料を払わされることが多い。近代以降、いわゆる教育機関としての大学が設置される以前、日本でも神社仏閣が知の空間として、そして教育の場として重要な役割を果たしてきた。禅宗寺院を例にとれば、仏像をまつり礼拝する仏殿、講義をうける法堂、経典が収められている経蔵、日常生活の場である庫裏はそれぞれ、英国のカレッジにおけるチャーチ、セミナー・ルーム、ライブラリー、そしてドミトリーにあたると考えられなくもない。

 アリスは難物だと書いたが、アリス以上にその内容が難しくとらえられている物語がある。「くまのプーさん」である。クリストファーロビンという男の子と森の仲間達との間で繰り広げられるたわいも無い話である、と私は思うのだが、くまのプーさんに関する啓発本はやたら多い。その代表ともいえるのが『プーさんの哲学』(ジョン・ウィリアムス著・河出書房新社)だろう。プーを哲学者にしたてて、西洋哲学を解説するのだから手が込んでいる。さらにプーの大の親友であるピグレットにいたっては老荘思想の担い手らしく、くまのプーの物語は東洋と西洋とが融合した一大思想書になってしまっているのである。一方で親ばかな筆者は、ロンドンから少し南へくだったところにある、原作の舞台となったアシュダウンの森まで子どもを連れて行き、プーコーナーというみやげ物屋で小物を買ってしまったり、ロイヤルダルトンのプーの絵柄の食器を揃えては悦にはいる。子どもの言葉をかりれば、「だって、ティガーがぴょんぴょんはねるし、プーはゆっくり歩くから好きなの」だそうである。この言葉も哲学的に解釈しようと思えばできないことはないが、プーの物語を楽しむ親子には小難しい哲学などは必要ない。ところで、作者のミルンは、自分の息子のおもちゃ箱にはいっていたぬいぐるみを登場「動」物にしたといわれている。人間と動物との関係史に関心のある筆者としては、この動物たちが気になってしかたがない。物語に登場する動物たちのなかで、くま、うさぎ、ふくろうは森の動物だし、ぶたとろばは森にこそいないが、森のまわりにある農園にはいそうなので、これもまあ許せる。問題はカンガルーとトラである。どう考えても英国の森にいてもらうと困るのである。この2匹、いずれもイギリスの植民地だったオーストラリアとインドを代表する動物である。ミルンがこの動物を選んだ理由はわからない。でも解釈の仕方によっては「植民地主義のくまのプー」と言えないこともない。もっとも、あまり趣味がいいとはいえない切り口ではある。
ハリー・ポッター ビーンズ
 さて、アリスもプーも日本人にとってはディズニーのキャラクターとしてなじみが深い。アメリカンドリームは大人にとっては夢だが、子どもの夢は英国に置き忘れてしまったのだろう。ディズニーの物語はかなりの数を英国生まれの児童文学に頼っている。ロビンフッドやピーターパンといった英国生まれ、英国育ちの人気者たちはディズニーを乗り物にして世界中に飛び出していった。時代はかわり、今ではディズニー以外の乗り物がたくさん用意されるようになった。そんな中で、最近新しいヒーローが英国から飛び出した。ハリー・ポッターである。「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」は第3巻の翻訳である。現在、原作は第4巻が出版されたところで全7巻の出版が予定されている。一人前の魔法使いなるために魔法学校で勉強する男の子の成長の物語である。ロンドンの下町、学校生活、子どもがちょっとあこがれるパブの様子など、英国の日常生活の様子が丁寧に描かれている。もちろんベストセラーに足る内容を備えているのだが、ここまで人気がでているのは、読者の広がり方がこれまでとはちがう形で進んでいるからのように思える。インターネットの存在である。「ハリー・ポッター」に関連したウェッブサイトは英文、和文ともかなりの数にのぼる。もちろん、アリスやプーに関連したウェッブサイトも数多くあるが、すでに完結した物語に新しい話題を提供するのはそう簡単ではない。「ハリー・ポッター」はまさに現在進行形であり、その先に何が待ち受けているかを想像するのは読者の自由である。そして、インターネットという道具によって読者は自分自身で話題を提供し、それを他の読者と共有することが容易となっている。これまでもこれは読者から出版社へという一方向的な流れをつくる読書カードなるものは存在した。もちろん出版社はこれをもとによりよい本作りをしたというのであろうが、最近の読者が求めるのはやはりダイレクトな相互作用なのである。読者という同じ目線でたつ者どうしが同時進行形で語り合えるそんなきっかけを「ハリー・ポッター」はインターネットを通してあたえているのだろう。新しい参加型児童文学の幕開けなのかもしれない。

『まほら』第29号(旅の文化研究所発行)より転載

[2001年12月]