国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

旅・いろいろ地球人

風を求めて

(7)風景に刻まれた歴史  2012年8月23日刊行
笹原亮二(国立民族学博物館教授)

東北でも九州でも変わらぬ緑のパッチワーク=長崎県対馬市で、筆者撮影

柳田国男の『遠野物語』は、柳田が岩手県遠野出身の佐々木喜善から聞いた様々(さまざま)な話をまとめた著作である。刊行から随分経(た)つが読む度に発見があり、私には未(いま)だその価値は減じていない。

序文には、柳田が刊行前年の8月に遠野を訪れた際の記述がある。曰(いわ)く、水田を「高処(こうしょ)より展望すれば早稲正に熟し晩稲(おくて)は花盛にて水は悉(ことごと)く落ちて川に在(あ)」るが、「稲の色合は種類によりて様々」で、「三つ四つ五つの田を続けて稲の色の同じきは即(すなわ)ち一家に属する田にして所謂(いわゆる)名処(みょうしょ)の同じきなるべし」。

私は、夏の水田地帯にいて青々と育った田の面を揺らす風に吹かれる度に、この一文を思い出す。そして、一面緑一色に見えていた水田が、実は微妙に異なる緑色のパッチワークで構成されていたことに改めて気付かされる。

こうした水田の風景は、柳田が記すように、そこで暮らす人々が長い時の流れの中で、様々なかたちで土地の使用や所有を営んできた結果であり、その意味では、その地ならではの歴史の表れといえる。風景を「里山」や「田舎暮らし」といった紋切り型の常套句(じょうとうく)で片付けず、そこに刻された微細な歴史の襞(ひだ)に目を凝らすこと。『遠野物語』に吹く風はそんな姿勢に私を誘ってくれる。

シリーズの他のコラムを読む
(1)地中海のほとりにて 菅瀬晶子
(2)保留地から都市へ 伊藤敦規
(3)都市を漕ぎ渡る 小川さやか
(4)いにしえの航海者たち 丹羽典生
(5)砂漠の弓矢猟師 池谷和信
(6)国境の向こうから 菅瀬晶子
(7)風景に刻まれた歴史 笹原亮二
(8)モンスーンに吹かれて 佐藤浩司