旅・いろいろ地球人
日本から遠く離れて
- (4)収容所体験と戦後 2018年10月27日刊行
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丹羽典生(国立民族学博物館准教授)
朝枝利男の生涯における転換点として第二次世界大戦は外すことができない。1930年代の太平洋での周遊と探検に一区切りつけた後、日系人と結婚して、米国カリフォルニアに自らの写真スタジオを構えていたという。
ところが朝枝夫妻の生活は、41年に急変する。当時のアメリカにおける日系人がそうであったように、彼らも収容所へと送られた。
最初はカリフォルニア近郊のタンフォラン競馬場跡地に収容され、その後、砂漠に囲まれたユタ州のトパーズ収容所へと移送された。
それまで太平洋をまたにかけ日本人として単身探検隊に参加していた朝枝は、一転して日系人に囲まれた狭い収容所内での生活を余儀なくされることになったわけである。
そうしたなか、朝枝は自身の探検について自作の絵画とともに披露し、収容者に地理学を教授していたという。また彼は収容所内での生活を大量の水彩画として残している。そうした絵画を友人・知人などに寄贈していた。2017年スミソニアン博物館で企画された日系人に関する展示のチラシの両面は彼の水彩画で飾られている。
戦後、朝枝はカリフォルニア科学アカデミーにて学芸員として勤めた。68年に、サンフランシスコにてその生涯を閉じている。
シリーズの他のコラムを読む
- (1)「朝枝利男とは誰か」
- (2)「ガラパゴス探検」
- (3)「スナップ写真」
- (4)「収容所体験と戦後」