旅・いろいろ地球人
写真から射真へ
- (1)なぜ僕は写真を撮るのか 2019年6月8日刊行
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広瀬浩二郎(国立民族学博物館准教授)
聴覚で被射体の位置・距離を推測する。「音に触れ、今日から僕も、撮り鉄に」=大阪市内で2019年5月、筆者撮影
全盲の僕は、写真を撮る機会があまりない。過去に刊行した単著・編著では、自身が被写体となっている写真を掲載することが多かった。自撮りならぬ自撮られ写真を多用する僕だが、べつに自分好きというわけではない。触文化の豊かさを伝えるのが拙著の目的なので、僕が美術作品などに触れる写真はそれなりに説得力がある。拙著掲載の自撮られ写真は、年齢とともに変化(劣化)する僕の真の姿を写す記録として大切にすべきだと考えている。
デジカメが流布し始めたころ、自分専用のカメラを購入した。米国での在外研究に旅立つ直前ということで、アメリカでの異文化体験を写真の形で残したいという思いがあった。失敗したらすぐにデータ削除できるので、僕は気軽に撮影練習にいそしんだ。全盲者にも写真を撮ることができる事実に、素直に興奮した。
最初のころは、なぜか友人の首から上がないなど、「芸術的」な写真が多かった。でも、少し慣れると、コツがわかってくる。僕は被写体が発する声・音、時にはにおいに向かってシャッターを切る。手を伸ばして被写体を掴み取るイメージである。いつしか僕は、自分が撮る写真を「射真」と呼ぶようになった。受動的に写すのではなく、能動的に射る。今回の連載では、我が射真作品をいくつか紹介してみたい。
シリーズの他のコラムを読む
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- (2)心眼とは何か
- (3)写真がない時代
- (4)射真展開催をめざして