旅・いろいろ地球人
モンゴル草原奇譚
- (3)わらう月夜の狼 2021年1月23日刊行
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島村一平(国立民族学博物館准教授)
草原の旅。ロシア製四輪駆動車は必須だった=モンゴル国ドルノド県ダシバルバル郡で2000年7月、筆者撮影
モンゴル人の「狼(おおかみ)観」はアンビバレントだ。崇敬すべき民族の始祖にして不倶戴天の敵。かの『元朝秘史』の冒頭は「上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき」で始まる。チンギス・ハーンの伝説上の始祖は「蒼き狼(正確には斑の狼)」だった。
現在でも狼に出会うことは吉兆だとされる。その一方で殺されなくてはならない。狼は遊牧民の大切な羊を襲う憎き敵だからだ。狼は羊の喉元の柔らかい部分しか食べない。1匹の狼によって一晩で何十頭の羊が食い散らかされることも稀ではない。
ある晩のこと。「チョノ(狼)!」ドライバーの男が叫んだ。我々は次の調査地へ向けて草原を移動中だった。「猟銃を出せ!お前が狙え!」ドライバーは後部座席の道案内の男に矢継ぎ早に指示を出す。「ズィヤー(おう!)」。その遊牧民の男は右ドアを開けるや身を乗り出して銃を構える。パーン。乾いた音が夜の静寂に響く。当たらない。狼は車が行きにくい林の方へと逃げていく。右へ左へ、ロシア製の四輪駆動車は飛び跳ねながら追いまわす。パーン。カチッ、パーン。
2時間に及んだ夜中の追跡戦の果て。狼は丘の上から林の中でエンストした我々の方を振り返った。なんと、口を開けてわらっているではないか。「狼に出会うと吉兆だが、仕留めれば男のスルド(運気)はさらに上がる」。そんな彼らの世界観を覗けた月夜の晩だった。
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