特別展「世界大風呂敷展」
展示の趣旨
「心」を包む風呂敷の旅
世界の風呂敷、といえば「え、世界に風呂敷があるの?」という素朴な疑問が浮かぶだろう。答えはイエスであり、かつノーである。世界各地に「風呂敷のような使い方をする布」はある。その意味でイエス。しかし、日本の風呂敷のように、ものを包むためだけにつくられた正方形の布は、どこにもあるというわけではない。その意味でノーである。
世界の、布で包む文化をみると、いかに人類が布を多様につかってきたかが、うかがえよう。運搬のためにまとまりにくいものを布に包む、というのがもっとも一般的な風呂敷の使い方であるが、風呂敷がなくとも、手近な布が自由にもちいられる。たとえば肩掛けであったりスカーフであったり、はたまた腰布や衣服の一部であったりする。むしろ多様なはたらきをもつ布が生活のなかにあって、そのはたらきのひとつがものを包む、ということなのである。いいかえれば、多様なはたらきのなかに、包むという使い方がある布は、ひろい意味での「風呂敷」とかんがえることにしよう。
特別なおつかいものであれば、やはり紙袋ではちょっと、失礼な感じがある。あるいは金包みなどを人に贈るとき、袱紗に包む人はいまもおおい。風呂敷や袱紗で包むということは、ものを包むと同時に、ていねいさ、とか敬意という「心」を包んでいる。そのことがもっともよくあらわれるのは、死者を弔い冥福を祈る心と、生命の誕生を祝う心を表現する風呂敷である。
布で包む文化の最たるものは衣服だが、これは風呂敷には含めない。しかし、なくなったかたの遺体を包む布は、ひろい意味の風呂敷とかんがえることにした。というのは、遺体包みの文化は、いわば風呂敷の根源であり、今日も貴重な布をもって遺体を何重にも包む文化が世界中にのこっているからである。
めずらしい布や高価な布は日常につかえない貴重品だが、これをおしげもなくつかって遺体を包み、聖なるものとしてまつり、また祈りの心をそこにこめる。インドネシアの葬式では、死者への供物としてたくさんの布が寄せられ、これをつかって遺体を包んでいる。
日本では遺体包みの文化は発達しなかったが、そのかわり祝いの風呂敷文化は、世界に例がないほど発達した。デザインや技法のうえで見事な袱紗がつくられ、祝いものに掛けたり、それを包んだりする。また嫁入り道具を包む風呂敷は、長持ちに掛ける布、箪笥や鏡台にかける布など、家紋を染めぬいた布で一式がつくられた。孫ごしらえまで含めると25点もの祝いの風呂敷セットになる。
この展覧会では、世界中の風呂敷の旅をして、さらに心を包む遺体包みや祝い風呂敷の復元をとおして、風呂敷の不思議な力を見直していただきたい。
最後に、本展覧会では明日への風呂敷の提案として、デザイナーのヨーガン・レール氏による斬新な28点の風呂敷が発表される。大量消費文化に流されず、ものと心を包む風呂敷の便利さとその美を再発見する展覧会としたい。
実行委員長 熊倉功夫
【『月刊みんぱく』2002年9月号より転載 】