国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

研究スタッフ便り 蘭語学ことはじめ

研究スタッフ便り『蘭語学ことはじめ』

2月(2) オランダ人の名前
オランダにきてから、申込書だとか登録書に記入する機会が何度かあった。姓と名をそれぞれ違う欄に記入するようになっているのは、日本でも他の国でも珍しくない。ところがここでは不思議なことに記入欄がもうひとつあって、Tussenvoegsel(s) と書いてある。なにかとおもったら、van だとか、van den などといった例の「オランダ風」の姓についている頭の部分を書き込むための欄なのだそうな。いわれてみたら IIAS にくるときに事務手続き関係でお世話になった人は van Amersfoort、オランダ語の講義でお世話になったのは van Ginkel 先生、直接の知り合いではないけれどインドネシアのスラウェシ島の言語についてよく参照する論文の著者は van den Berg だ。確かにそのまま並べたら、V の項目だけものすごく多くなってしまって名簿の用をなさないかも。ちなみに、英語圏の国では、ミドルネームもしくはその頭文字を書く欄が別になっていることがよくあるが、オランダではそういったものは全て名の欄にまとめて一緒に書くのだとか。というわけで、以下は記入例。

Voornaam (名) Tussenvoegsel(s) Achternaam (姓)
Marise van Amersfoort
Rene van den Berg
Ritsuko   Kikusawa
Lawrence Andrew   Reid

思いついて電話帳をよく見てみると、名前は全部 Achternaam 順に並んでいるが、その最後にあるわあるわ、de、van、vd (van denの略)、van der、…。つまり以前に民博の地域研におられたオランダ出身のデヨン (Will de Jong) さんの電話番号をみつけようとおもったら、まず Jong で引いて、最後に de というのがついているのを探さなくてはならないわけだ。
Jong W de
と、こんな感じ。

ふーん、と感心している間もなく、学術誌の編集作業で参考文献にオランダ人の著者名が出てくることになり、こちらの受け入れ研究者にどのような形で掲載すればよいのかについてアドバイスを求めることになった。少し長くなりますが、その返事にいただいた長いなが~いメールの抜粋訳プラスαをここで披露することにしましょう。
オランダ苗字の起源
オランダではみんながみんな現在いう意味での名字を最初からもっていたわけではなく、名前に「だれだれの息子」だとか「だれだれの娘」をつける、いわゆるアイスランド風 (Icelandic system) といわれる慣習が一般的でした。これはたとえば次のようなものになります。

オランダ語の名前 英  訳 意  味
Jan Klaassen John, Claus' son クラースの息子・ヤン
Jan Janssen John, John's son ヤンの息子・ヤン
Marie Jansdochter Mary, John's daughter ヤンの娘・マリー
(注1)オランダ語の j は「ヤ行」を示す。
(注2)Jans-sen (Jan's-son), Jans-dochter (Jan's-daughter). ただし、現在のオランダ語では息子は zoon, 娘は dochter.


職業名やニックネームを自分の名前のあとに添えることもありましたが、この場合には、子供の代で職業がかわると、それをあらわす言葉もかわることになりました。だから次のように、クラースとその息子ヤンの名前が異なるということも当然ありえたわけです。

オランダ語の名前 英  訳 意  味
Klaas Schoenmaker Claus, Shoemaker 靴屋のクラース
Jan Timmerman John, Carpenter 大工のヤン

また、父親の名前と職業名を両方添えることも珍しくありませんでしたので、大工になったクラースの息子ヤンの名前は次のように書かれることが多かったのです。

オランダ語の名前 英  訳 意  味
Jan Klaassen Timmerman John, Claus' son, Carpenter クラースの息子、大工のヤン

ところがナポレオン時代の1811年、戸籍制度がはじまってすべての人びとが姓と名を登録しなくてはならなくなりました。そこではじめて今でいう家族に共通の固定した「姓」という概念がでてくることになります。その結果、たとえばこれまで「ヤンの息子」という意味でつかわれていた "Janssen" が文字通りの意味を失い、男性(息子)であっても女性(娘)であっても、同じ家族であれば Janssenという同じ形が用いられるようになりました。現在では綴りが一部変わった Jansen という姓も見られますが、語源的には同じです。また職業名がそのまま姓になったものも多くありますが、こちらも「姓」となってからは、実際の職業と関係なく家族間では同じ語が共通して使われるようになりました。現在よくみられる職業名からきた姓には、次のようなものがあります。

オランダ語の名前 英  訳 意  味
De Boer The farmer 農夫
Visser Fisherman 漁師
Bakker Baker パン屋
Smit Smith 鍛冶屋

ところで登録しなくてはならなくなったといっても、読み書きができない人もいましたし、誰もがそんなに簡単にどんな名前にするか決めることができたわけではありません。したがって、名前の登記官が創造力を発揮しなくてはならない場面が多々あったそうです。その結果、次のようにそれぞれの人の特徴を示すような名前になったり・・・

オランダ語の名前 英  訳 意  味
De Groot The big 「大きい人」
De Jong The young 「若者」
De Vries The Frisian 「フリースランド人の」
De Hollander The Hollander 「オランダ人の」 (注1)
Dik Fat 「ふとっちょ」
't Mannetje (注2) The little man 「小さい人」
Naaktgeboren (注3) Born naked 「裸で生まれた人」
(注1)Holland というのはオランダ (the Netherlands) のなかの地域名のひとつ.
(注2)man '人' + -tje. 語尾の-tje に注目! (cf. 1月(2). 't は het 「中性・定冠詞」の省略形.
(注3)naakt 'naked' 「裸の」, geboren 'born' 「生まれる」.

また、地名や地形を反映するものもできました。 van 'of' という形に続く形の姓はこのタイプのものなのです。

Van Amersfoort from Amersfoort アメルスフォート出身の
Van Vliet from Fliesland フリースランド出身の
Van der Molen of the mill 風車の
Van den/der Berg of the mountain 山の
Van der Meer of the lake 湖の
Van Dijk of dike 堤防の
(注)den, der などは名詞の性(女性形・男性形・中性形)の区別に関わる定冠詞です。現在のオランダ語では男性と女性の区別がなくなり、一般形 de と中性形 het の二対立になっています。

オランダは平坦で山がないのに、なぜか、「山の人」を意味する Van den Berg、Van der Berg が「オランダ人によくある苗字トップ10」に入っているのがちょっと不思議なところであります。

さて、以上がオランダ人の名前の van、van den、van der、de、etc. の起源に関するお話でした。ついでですが、ドイツ語の名前にみられる von というのは出身階級に関わる符合で、上にあげたオランダ人名の van と形は似ていますが性質の異なるものです。したがって、参考文献リストにあげるときにもオランダ名とは違う扱いになり、

「ご質問に対するお返事としては、ドイツ語名の von は略さず
 Kotzebue, O. von
と書きます。オランダ語名の場合には、
 Berg, R. v.d.
と略するのが(姓以外を省略するスタイルの場合には)一般的な掲載のしかたです。」

と、長いメールがしめくくられていました。

受け入れ担当の研究者の方には、本当にいろいろとお世話になります・・・。


電話帳 二月下旬、今年最初で最後の雪が積もりました。降り始め、研究室の窓からの風景です(向かい側のグリーンハウスと下の畑?は、ライデン大学附属植物園の一部)。オランダも今年は暖冬、12-2月の平均気温は、過去300年間(!)の3.3度に対し、今年は6.5度もあったそう。